スピルバーグの自伝的物語
巨匠スティーヴン・スピルバーグの新たなる代表作『フェイブルマンズ』が、3月3日(金)より大ヒット上映中。このたび、“フェイブルマンズ”というタイトルの由来が明かされ、幼少期のサミーが映画監督としての才能の片鱗をみせる本編映像もあわせて解禁となった。
『フェイブルマンズ』はスピルバーグの子ども時代に由来した成長譚であり、映画制作に人生を捧げた彼の原点に迫る物語。「私の作品のほとんどが、成長期に私自身に起こったことを反映したものだ。たとえ他人の脚本であろうと、映画制作者が入れ込むものはすべて、否応なく、自分の人生がフィルム上に零れ落ちてしまう。これはどうしようもない。しかし『フェイブルマンズ』で描いているのは、比喩ではなく、記憶なんだ」とスピルバーグ監督が語るように、本作は今まで彼が手掛けてきた傑作の数々とは一線を画す、とりわけ特別な思いが詰まった作品となっている。
「これこそ自分がずっと考えてきた映画だ」とスピルバーグは言うが、このプロジェクトを真剣に検討し始めたのは、本作で共同脚本兼プロデューサーを勤めているトニー・クシュナーと深い関係を築くようになってからのことだったという。ふたりは16年以上にわたる断続的なインタビュー、濃密な会話、スピルバーグが冗談半分で“セラピー”に例えた執筆セッションを経て、スピルバーグの子ども時代の決定的な体験を『フェイブルマンズ』というフィクションに昇華させた。事実を寓話に変えていくにあたり、登場人物である自分をサミー、母をミッツィ、父をバート、3人の妹をレジー、ナタリー、リサと名づけたのだが、“fabelman”という言葉を思いついたのはスピルバーグではなくクシュナーだった。“スピルバーグ”の英訳 “play mountain”と、スピルバーグと題材との関係を考慮しつつ、劇作家や演出家が戯曲をよりよく理解してもらうために、その解釈を強調して書いた戯曲の要約を表す“fabel”という演劇用語に行きついたのだとか。
「この物語を語らずにキャリアを終えるなんて、想像すらできない」
本作の撮影はスピルバーグにとって予期せぬ感情をもたらすこととなる。「自分と被写体の間に距離をおこうと思った。だがそれは難しかった。物語は絶えず私を現実の記憶に強く引き戻すからね。実際に自分の身に起こったことを再現し、それを目の前で見ることは、耐えがたく奇妙な体験だった。今まで経験したことのないようなことだった」とスピルバーグは50年のキャリアをもってしても初めて味わう貴重な経験を回顧している。さらに、「スティーヴンは、撮影中のシーンにのめり込むあまり、“カット”と叫ぶのを忘れてしまうことがあったわ。彼は自分のために時間を割く必要があった」とプロデューサーのクリスティ・マコスコ・クリーガーが語るように、スピルバーグは撮影に相当没入していたようで、献身的な周囲のスタッフたちはすぐにこの特殊な状況に適応し、巨匠の集大成となる本作に一丸となって向き合った。
また、スピルバーグは本作の撮影が終了した際「この作品に別れを告げるのは、これまでで一番辛かった。『ウエスト・サイド・ストーリー』(21)もそうだったし、『E.T.』(82)もそうだった。でもこれは、本当に辛かった。この物語を語らずにキャリアを終えるなんて、想像すらできない。私にとってこの映画は、タイムマシンのようなものだ。このタイムマシンが突然停止したら全ての記憶が所定の位置に固定され、順番が決められ、編集され、それで終わりになる。『フェイブルマンズ』を撮り終えたとき、私は、もう二度と故郷には帰れないと悟った。だが少なくとも、この作品を共有することができたんだ」と後ろ髪を引かれる思いを吐露する反面、作品として表現できたことの意義を振り返っている。
解禁となった本編映像は、妹らと遊び半分ながらもカメラを回し、映画制作に勤しむサミー。抜歯のシーンでの吐血表現をケチャップで代用、家中のトイレットペーパーを使用してミイラを表現するなど、アイデア溢れる表現で映画を撮る楽しさに気が付いてく微笑ましいシーンとなっている。
『フェイブルマンズ』は3月3日(金)より大ヒット上映中