映画『ファーゴ』(1996年)などで知られ、カンヌ国際映画祭の常連としても有名なコーエン兄弟(イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン)。彼らの作品の中には、偏執的に標的を追い続けるヤバいキャラや、極めて暴力的なシーンなどが数多く登場することで知られているが、その中でもとりわけヤバい要素が詰め込まれている作品といえば、スリラー作品『ノーカントリー(原題:No Country for Old Men)』(2007年)だろう。
閲覧注意な戦慄オープニング
人気作家コーマック・マッカーシーの小説『血と暴力の国』を元に、アメリカとメキシコの国境地帯で行われている麻薬の密輸入と、そこで動いた大金を巡って繰り広げられる凄惨な抗争を描いたこの作品は、アメリカでR指定、日本でもR-15指定となったほどの危険な作品。そんな同映画の中で、“一番ヤバいヤツ”といえば、やはりハビエル・バルデム演じる殺し屋、アントン・シガーだ。
映画はのっけから、自分に掛けられた手錠で保安官を強引に絞殺するところからスタートする。しかも、その独特な描写は「スクリーンの中の出来事」、さらにいえば「作り事」であることを、多くの観客たちに忘れさせるほどに生々しく、また、極めて理不尽かつ残酷すぎるものとなっている。コーエン監督は、あえて冒頭でこのようなシーンを入れたそうだが、結果としてその判断は正解であったと言えるだろう。なぜなら、『ノーカントリー』で描かれている世界には、絶えず混沌とした暴力的な空気が漂っており、逆に言えば、この冒頭シーンを観るだけで、残りの尺すべてに共通する空気を効果的に感じ取ることができるからだ。
「首が割れてしまって、血が吹き出す……」
ちなみに、このシーンの撮影については『ノーカントリー』のメイキング映像で、監督やスタント担当、メイク担当などが綿密に打ち合わせをしている様子が紹介されているが、その際に監督は、このシーンに対する強い思い入れを制作陣に理解させたうえで、いかに残酷で、いかに血なまぐさいものにするかを練りに練っていることが窺える。実際、メイク担当のクリスティアン・ティンスレーによると、監督は「彼の首を絞めるんだよ。そして、彼は死ぬんだ。首が割れてしまって、血が吹き出す……そう、きっとこのシーンは映画の中で一番暴力的なものになるだろうし、今までで最も恐ろしくて、拷問のようで、窒息してしまうような描写になるはずだ」と、自分の狙いをどこか確信を持った様子で語っていたそうである。
たしかに、「首を絞めて殺す」というシーン自体は、多くの映画の中に登場するし、ややもすると“ありふれた”光景になってしまうことだろう。しかし、「誰かの首を絞めて殺す」という行為は、本来ならばとても残忍で生々しいものなのだ。要はそうした“生の絞殺感”ともいうべき体感を、映像を通じて観客に与えるべく、監督はとことんこだわったというわけだが、これが実際に映像にしようとするとなかなか難しい。というのも、小道具の手錠でキャストが怪我をしてしまう危険もあるからだ。そこで監督は、特撮クルーたちの協力を得て、ハーネスと人工装具を使った撮影に挑戦。編集上の工夫で効果的に、そして最小限のカットに留めることで、キャストへの身体的苦痛を与えずに、臨場感のある「死」へと仕上げることが可能となったのだそうだ。
最近ではCGどころかAIを駆使した作品が、どこの世界でも幅広く流通し、映画業界でも、古い世代のファンからすると、まさに隔世の感といった印象も少なからずある。しかし、そうしたハイテク全盛の時代だからこそ、『ノーカントリー』の場面づくりで行われたような、そこでしか描けない空気を考慮すれば、知識と経験に基づくアナログ的な手法も極めて重要な意味を持つのかもしれない。
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