Netflixで配信された続編が話題沸騰中のドラマ『全裸監督2』の実在のモデルで、AV界の帝王と称される村西とおるが「週刊アサヒ芸能」に連載中の「全裸で出直せ!」に加筆・修正した実録エッセイ『「全裸監督」の修羅場学』を2021年7月31日(土)に発売した!
80年代に一世を風靡した「AV界の帝王」の栄光と凋落を描いて話題をさらっているNetflixドラマ『全裸監督2』。その第1話に象徴的なシーンがある。
SHIBUYA TSUTAYAが渋谷のランドマークになる遥か以前、80年代後半のスクランブル交差点に、土井たか子党首率いる「社会党」の街宣カーが登場し多くの観衆が演説に耳を傾ける。
そこに、イタリアの元ポルノ女優で、後に議員になったチッチョリーナに感銘を受け、本気で政界を目指して選挙に出馬した村西とおる率いる「全日本ナイス党」の選挙カーが横付けしてスピーチを始めると、警察が現れて彼は逮捕されてしまう。実際には結党式翌日に、児童福祉法違反で逮捕され、出馬断念を余儀なくされてしまいます。
ほかにもハワイで懲役370年を求刑されるも見事生還、事業に失敗し50億円の借金を背負い、債権者から死を迫られてもなお不屈の精神で返り咲くなど、その人生にはこれまで書くことをはばかられるほどの生々しい「果たし合いの交渉現場」があったという。
「人生、死んでしまいたい時には下を見ろ!俺がいる!」波乱万丈の実話エピソード満載!
本書は、借金50億、前科7犯、 アメリカで懲役370年を求刑された男が綴る“リアル全裸監督”、村西とおるの魂が詰まった実話エピソード集だ。
出口の見えないデフレ経済、新型コロナウイルスの世界的蔓延、自国開催にも拘わらずゴタゴタ続きの世界的スポーツイベントなど、 暗いニュースに枚挙のいとまがないが、村西の「人生、死んでしまいたい時には下を見ろ!俺がいる!」というメッセージの通り、 彼の波乱万丈な人生に比べたら、自分なんて大したことないじゃないか! と、元気がもらえる、全て実話のエピソードが満載だ。ナイスですね!
本書『「全裸監督」の修羅場学』に掲載されている衝撃実話エピソードの中から抜粋したものをご紹介したい。
殺人鬼から村西とおるへの手紙
日本人の殺人鬼がいました。この男、連続強姦殺人事件の犯人として裁判にかけられ、死刑の判決を受けていました。犯人の男は元消防署の職員だったこともあり、事件は大きく報道され、日本中に衝撃を与えたのです。 男は一審で死刑の判決を受けましたが、強姦の罪に関しては「無罪」を主張し控訴しました。有罪の証拠が揃っていながら、何を今更命乞いをしての控訴なのかと世間は往生際の悪い男に冷たい視線を向けたのです。
その男からある日、私宛てに手紙が届きました。
監督なら私の無罪を信じてくれるはずだ、とその男の思いが分厚い手紙にこもっていたのです。男は自分の「強姦」の無罪の主張を手紙の中で次のように記していました。
「私は犠牲になった女性たちを殺害したことは認めます。しかし、強姦の罪だけはどうしても受け入れることができないのです。女性たちは私に組み敷かれ、 貫かれた時に嗚咽を漏らしました。アアーッという官能のソレです。<中略>こうした性行為のどこが「強姦」だというのでしょうか。 中には気をいかせる女性もいたのです。私は殺人犯としては素直にその犯罪を認めていますが、強姦という罪は認めることができません。そんな忌わしい罪が加わり死刑となっては死んでも死にきれない思いです。 性に関してはスペシャリストである監督でしたら、私が申し上げるこの事実をよくご理解いただけて、強姦に関しては無罪との主張に賛同いただけるのではと考え、お手紙を差し上げた次第です」
私はこの強姦殺人魔の男に次のような返事を出しました。
「犠牲になった女性たちが気をいかせる反応を見せたり、結合部が愛液に溢れていたとしても、合意だったとの証拠にはなりません。何故ならそれらは、梅干しを見たら口の中が唾液でいっぱいになる、目の前でパチンと両の手を叩かれたら目をつぶると同じように、人間の本能に由来する「条件反射」にすぎないからです。ハンカチを尻の下に敷いたから和姦だというごとき牽強付会はおやめなさい」
その後、懲りることなく死刑囚の男から強姦無罪を訴える手紙が幾度となく届きました。盗人にも三分の理、といいますが、忌わしい殺人事件を起こした犯罪者もどこか自己正当化の拠り所を捜していたのです。
村西とおる著『「全裸監督」の修羅場学』
第4章・光は闇に輝いている、 闇は光に勝てなかったを地でいく男の物語
049:人を左右するのは拠り所 より
留置場で一緒になったヤク中
これまで国内で6回、米国で1回、の都合7回ほど取締り当局の皆さまにご面倒をかけ、ご厄介になってまいりました。<中略>あの世で我が父は、この罪深い息子を見て、どんな思いを抱いているでしょうか。朝晩、 仏壇の両親の遺影に手を合わせ、ただただ頭を下げる日々です。が、私の救いは、罪を重ねても他人のモノを盗ったり、傷つけたりといった被害者がいないことです。それどころか皆さまのお楽しみに貢献してきた、との密かな自負さえございます。罰当たりではございますが、正直なところ「反省しろ」とのお叱りを受けても、猿のごときにただ「反省」のポーズをとるだけの罪深き者、でございます。
私のようなエロ事師どものように、留置場や拘置所では罪の意識が希薄な人がいます。先頃の沢尻エリカさまのごとくに違法薬物の疑いで捕まった人たちでございます。雑居房の房内で、これらの人たちは「俺はここにいる盗人や人殺しのワルたちとは違うんだよ。誰にも迷惑をかけずにただ自分の身体に“注射違反”をして何が悪い」と嘯くのです。
同房となった極道の方々や盗人や痴漢は「嫌なことをいいやがる」と顔をしかめつつ、肩身の狭い思いを余儀なくされているのでございます。留置施設で一番大きな顔をして牢名主のごとくになっているのは、前科の多い輩ではなく、こうしたヤク中なのですが、彼らからしても「被害者のいない罪人」の私たちエロ事師には一目置いて「お互い、被害者のいない犯罪で捕まって難儀ですな」と共感を求めてくるのでした。
彼等薬物に汚染された捕われ人で、初めて逮捕されたという人間は稀でございます。過去に何度も何度も逮捕され、長き懲役暮らしを積んできたという「真性ヤク中」ばかりなのです。
同じ房に拘留されていたヤク中の男は、夜中に飛び起きて胡坐をかき、身体を左右に大きく揺する動作をしました。「どうしたの?」と声をかけると「弓矢がこっちに向かって飛んでくるのをよけているんだ」と脂汗を流して必死の形相でした。クスリが切れたための幻覚症状に襲われたのです。
別のヤク中の男は差し入れられたジャージの襟元に仕込まれた細いストロー状の覚せい剤入りの紙を取り出し、口に入れて陶然とするのでした。 一生台無しにするのは、運などというものではなく人間自身だ、を物語る一幕でした。
村西とおる著『「全裸監督」の修羅場学』
第4章 光は闇に輝いている、闇は光に勝てなかったを地でいく男の物語
050:人生を華とするのも、荒野とするのも、また我慢次第ということなのでございます より
留置場や拘置所での日々や、女性経験を赤裸々に語るエピソードの数々には衝撃を隠せない。
経験を重ねて築き上げた村西のリアルな人生観には目を見張るものがあると感じられるはずだ。
<リアル全裸監督>村西の禁断の半生記をぜひ読んでいただきたい!
「全裸監督」の修羅場学
著者:村西とおる
発売日:2021年7月31日(土)
価格:1,760円(税込)
判型/仕様:四六判ソフトカバー
発売:株式会社徳間書店
商品URL:https://www.amazon.co.jp/dp/4198653216