およそ6年に渡るThe Beatles(ザ・ビートルズ)の初期を、時系列で追体験するドキュメンタリーが、約60年の時を経て、完成。ロジャー・アプルトン監督(『ジョン・レノン 音楽で世界を変えた男の真実』)の最新作が世界初公開。ドキュメンタリー『NO ハンブルク NO ビートルズ』が、12月6日(金)より公開される。
ビートルズを作ったのは、リヴァプールでなくハンブルク!
誰もが知る伝説のロックバンド・The Beatles(ザ・ビートルズ)。ビートルズがリヴァプール出身なのは周知の事実だが、生前ジョン・レノンは、「僕らはリヴァプールで生まれ、ハンブルクで育った」と語っていた。本作は、1960年のハンブルク初訪問の経緯から、1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」のヒットを経て、1966年の6回目の訪問までを、元メンバーと関係者の証言やアーカイブ映像と音声、アニメーションなどを使って、まるで昨日のことかのように生き生きと蘇らせる。
ポール・マッカートニーは、「手錠で繋がれ、囚人のように飛行機に乗せられた」という強制送還となった事件の経緯を説明。脱退したスチュアート・サトクリフと付き合ったアストリッド・キルヒヘアは、初めてビートルズの演奏を見た経緯から、スチュアートが亡くなったのを知った際のジョン、ポール、ピート・ベストの三者三様のリアクションを詳細に語る。リトル・リチャードは、「ジョン・レノンのような人には会ったことがない」という楽屋でのエピソードを披露。ビートルズのレコードプロデューサーだったジョージ・マーティンは、ピート・ベストをリンゴ・スターに替えた理由を告白し、リヴァプールの「キャヴァーン」でのライブまでピートが外されたと知らなかった当時からのファンは、「ピート、フォーエバー。リンゴ、ネバー」と叫んだという当時の様子を回想する。
後のインタビューでジョンは、「ハンブルクではステージで寝たり、食べたり、悪態をついたりして、全くの“自然体”だった」と話すが、その後、「キャヴァーン」でのファンクラブナイトに参加したファンは、「ビートルズは全身レザーで登場したが、ワンセットが終わったら、スーツに着替え、その後レザー姿は見なくなった」と転換期を目の前で目撃する。
『NO ハンブルク NO ビートルズ』は12月6日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開