「黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』は理想の“2人組”を描いた見事な作品」
―本作は亡命を試みる女性・チェレー(ザーラ・アミール・エブラヒミ)と、妻を亡くして立ち直ろうとしているサミュエル(ドゥニ・メノーシェ)のモンタージュが交互に映し出されるところから始まります。元々、彼は移民を助けるためではなく、自分自身を孤立させるため、雪山にある山小屋の別荘に向かいます。このとき彼はなにを考えていたのでしょうか?
彼はこれまでの人生を見つめ直しながら、ひとりで山小屋を片付ける必要があったのです。そして2人が出会ったとき、サミュエルは自分の人生に行き詰まり孤立している一方で、チェレーは常に逃げ回りながら人々に追われています。彼女にとって「国に戻る」という選択肢はありません。そんな彼女がサミュエルを再び奮い立たせます。彼は彼女を救い、彼女に救われます。そのため、フランス語のタイトルは『Les Survivants(生き残る者たち)』なのです。(※英題は『White Paradise』)
―監督自身が、さまざまな映画からもインスピレーションを受けているのは明らかですね。
もちろん。イエジー・スコリモフスキ監督の『エッセンシャル・キリング』(2010年)は、戦場での追跡を描いています。また“2人組”についてもいろいろ考えましたが、黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(1975年)は理想の2人組を描いた見事な作品です。私も当初は「正反対の性格の2人が友達になる」という脚本を考えていました。そうすれば、大自然と友情がテーマの胸を打つ作品になるでしょう。
あとは、ガス・ヴァン・サント監督の『GERRY ジェリー』(2002年)、ジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』(1937年)のエンディングも素晴らしいですよね。そしてセルジオ・コルブッチ監督の『殺しが静かにやって来る』(1968年)は雪の中の西部劇です。『越境者たち』の静寂が同作を彷彿とさせるように、私に大きなインスピレーションを与えてくれました。当然、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『レヴェナント:蘇えりし者』(2015年)やフィリップ・グランドリュー監督の『Un Lac』(原題:2009年)のような難しい内容ながら、衝撃的なインパクトを残した作品も考えました。
―雪と寒さの中での撮影は、映画の仕上がりに大きな影響を及ぼしたでしょうね。
ええ。もう雪の中、大自然がなすがまま撮るほかなかったんです。さらに機材の運搬など移動というものが、撮影に大きな影響を与えることを思い知らされました。例えば、サミュエルがチェレーを低体温症から助けるために服を着替えさせるシーンを撮る日の朝、地面が凍ってしまい、トラックやロケバスでの移動ができなかったんです! 結局、トラクターで機材などを運んだのですが、予定より4時間も遅れてしまいました。自分の想定していた構想はすべて崩れてしまい、考え直さなければなりません……。そんなときに、ドゥニはスタッフたちを揃えて「最悪なことは、その日のうちにすべて起きるんだよ!」と言ってくれたのです。おかげで、我々は入念にリハーサルをして、この重要なシーンを長回しで5時間かけて撮影したのです。そして、ドゥニとザーラは全力で演じてくれました。そのとき、私は本当に2人の冒険と向き合えたと思いました。この作品は彼らのおかげで成り立っているのです。
「本作のセットの中に、俳優が感情をむき出しにできる演出を組み込んでいた」
―本作はドゥニ・メノーシェとザーラ・アミール・エブラヒミを筆頭に、優れた俳優たちが全力を尽くしていることが観客たちにもわかります。
ドゥニは心配性であると同時に、安心させてくれるし、助けてもくれます。そのため、私は彼が以前出演した『ジュリアン』(2017年)と本作は、正反対のものになると伝えました。俳優というのは前作の雰囲気をまといがちですからね。ただ、『ジュリアン』と本作の間にはちょっとした連続性があります。というのも、観客はドゥニを疑っているからこそ、チェレーも不信感を募らせていることに納得できるのです。
撮影現場では多くのアイデアが生まれ、それらを実際に映像化することができました。例えばあるとき、山小屋でサミュエルは「娘がひとりぼっちなのはかわいそうだから、早く戻ってくるように」という兄からの留守電を聞き、彼の心は揺れ動きます。これは撮影の準備ができたあと、私はいくつかのメッセージを携帯電話に録音して、ドゥニに「#5の留守電を聞いておいて」と伝えたのです。すると、そこから流れてくるのは「サミュエル、家に帰ってきて、あなたの娘が悲しんでいるのよ」などと言っている女優のメラニー・ロランの言葉なのです。
私はドゥニとメラニーが共演した『イングロリアス・バスターズ』(2009年)以降も、2人が非常に親密であることを知っていたんですよ。それと、ドゥニは現実とフィクションが入り混じったような仕事が好きなこともわかっていました。生まれ故郷であるイランにはもう戻ることができないザーラも同様です。私は本作のセットの中に、彼らが感情をむき出しにできる演出を組み込んでいたのです。
―そういえば、第75回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞する前のザーラ・アミール・エブラヒミを起用した、監督の直感はさすがでしたね。
そこはプロデューサーと話し合って、どうするか考えました。というのも、我々はチェレーをまだ誰にも知られていない存在に演じて欲しかったからです。ザーラはイランではすでに有名でしたが、フランスではまだ無名でした。そしてキャスティングのとき、彼女は私の目を真っ直ぐ見ながら演じてくれたのですが、そのときの彼女は怖がりでも被害者でもなく、とても心強く感じました。このとき、見た目は大柄だが人格的に弱い部分があるサミュエルと、見た目はか弱そうだが実は芯が強いチェレ―がいてくれてよかったと、心の底から思いました。
それに、ザーラは「顔を変える能力」を持ち合わせています。キャスティングで彼女を3回見たのですが、まるで3人の違う女性を見たような印象を受けたのです。それは本作においてはとても重要な要素でした。というのも、チェレーがどんどんサミュエルの生き別れた妻と重なって見えるようにしたかったからです。
―追跡者を演じる、ルカ・テラッチアーノ、オスカー・コップ、そしてビクトワール・デュボワは特に印象に残ります。
我々は平凡な外見の“普通”の顔の3人が欲しかったのです。私はフランスとイタリアの国境で、「移民たちを取り締まっている」と主張する若いカップルの写真を見たことがあるのですが、その女性はピンク色のダウンを着て、メイクをした“普通”の見た目をしていました。そこで、私は“悪い奴ら”というのは一見すると、怖くはないことを知りました。
私は本作を「現実を舞台にしているのか?」と錯覚してしまうような作品にしました。そして、その逆もまた然りで、私は本作を社会的・政治的なテーマにしたいわけではなく、どんな場所でも舞台になり得るような日常的な映画にしたのです。
翻訳:千駄木 雄大
『越境者たち』は2024年7月19日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー