ホランド監督「誰もが皆同じ人間であると知ってほしかった」
ホランド監督は近年、『ソハの地下水道』や『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』など20世紀前半が舞台の作品で特に強い印象を残してきたが、まさに今起こっていることを題材に映画を作らねばならないと強く突き動かされたのは、事態のさなか監督の友人がポーランド国境付近である凍死体を発見したことについて詳しく聞いたのがきっかけだという。
監督は、本作を作ることにしたきっかけを「“怒り”です」と断言。続けて「移民に対するヘイトや非人間的な状況にあること、それがポーランドの国境で起きている…その現状をこの作品を通して見せたいと思いました。私たちは、誰もが皆地球という場所に住み、誰もが皆同じ人間であると知ってほしかったのです」と想いを明かす。
さらに、「人間は自分と違うものに恐れを抱き、他者に恐怖心を持っています。しかし、我々は同じ人間だと受け入れることが重要で、分かち合っていくことが大事なのだと思います」と語り、映画に込めようとしたのはポーランドやEUに留まらない普遍的な社会課題であることに言及する。その上で、監督は「しかし、この映画はプロパガンダではありません。本作を観たあと、それぞれに考え、受け止めてもらえればと思います」と呼びかけた。
<コメント>
沼野充義(東京大学名誉教授・ロシア東欧文学者)
難民という人間存在の究極の不条理。これが描けなければ映画芸術に意味はない、と考える監督の不退転の勇気が突き刺さる。
小島秀夫(ゲームクリエイター)
故郷を追われ、生きるために亡命するしかない難民たち。“国境越え”をはかる者、国境を守る者、難民たちを支援する者。本作は、この3つの視点から描かれる。移民にもなれず、ボーダーに潜伏、消耗しては命を落としていく漂流者たち。空爆や虐殺ではない、戦争が産むもうひとつの地獄絵図。それをアンジェ・ワイダを思わせるドキュメンタリーとフィクションの境界を越える手法で、ギリギリの“人間の境界線”を炙り出す。同時に、ウクライナやパレスチナの様に、国を追われた結果、新たな境界線が紛争の次なる火種ともなる事をも示唆する。難民問題は、もはやヨーロッパだけの出来事ではない。“緑の国境(Green Border:原題)”は、何処に引かれてもおかしくはない。
安田菜津紀(メディアNPO Dialogue for People 副代表/フォトジャーナリスト)
「私たちは二つの国の間で、ボールのように蹴りあわれた」——ベラルーシ・ポーランド国境をさまよった難民から、私が聞いた言葉が、そのままこの映画で再現されていた。
キニマンス塚本ニキ(翻訳者・ラジオパーソナリティ)
これほど言葉にならない叫びと涙を堪えながら映画を観たことがなかった…
あなたは壊れた世界のルールに従う側の人間ですか?それとも抗える人間ですか?
有田芳生(ジャーナリスト)
国家に翻弄される難民たち=私たちと同じ生身の人間。ポーランド政府が隠したかった非道は日本でも小さなレベルだが起きている。そこにある現実は人間破壊だ。私たちの感性を鋭く問う問題作。スクリーンのこちら側には不条理な世界が広がっている。
望月優大(ライター)
生きようとして死んだ少年がいた。私のせいだと母親は叫んだ。だが、責任は、本当はどこにあるのか。この問いが何度も突き刺さってきた。
ダースレイダー(ラッパー)
国民国家とそれを隔てる国境という虚構を巡って多くの悲劇が生まれ、人が死ぬ。それでもビートボックスとラップの輪とそれを飛び越える渡り鳥の向かう先に僅かな希望はある。
『人間の境界』は5月3日(金・祝)よりTOHOシネマズ シャンテ他全国順次ロードショー