パンデミック、戦争、混沌とした現代に問いかけるサイバーパンクな叙事詩
旧ユーゴスラビアの巨大建造物(スポメニック)を背景に、映画監督のジェイと彼を探しにきたエヴァの過去と現在が交差していく、予告編が完成。パンデミック、戦争と混沌とした現代と、その土地の記憶が混ざり合い、私たちに問いかけてくるものとは—。
<コメント>
柘植伊佐夫/人物デザイナー
モニュメントを作るのもモニュメントを巡るのも自分である。モニュメントを忘れるのもモニュメントに失望するのも自分である。しかしそれらの記憶は無意味ではない。記憶を失くせば苦しみから逃れられるけれども生きる喜びも失う。詩人リム・カーワイの淡い色の映像からそんな声が聞こえた。
倉持明日香/タレント
人間とは愛とは、希望とは。
美しき自然の中に散りばめられたぬくもりを、壊さないよう紡いでいく旅でした。
田中泰延/作家
リム・カーワイ監督は「サイバーパンクなラブサスペンスです」と言っていたが、ぜんぜん違う。これはバルカン半島の風景の中で交差する、過去と未来、孤独と邂逅、創作と日常、愛と嫌悪、戦争と平和、生と死の叙事詩だ。そんな壮大なテーマを語りすぎず、すべてを映像で語るストイックさが絶妙な映画だった。
真利子哲也/映画監督
淡々と進むバルカン半島を巡る映画を観ていて、自分がどこにいるのか分からなくなる。どこか可笑しく控えめで、それでいて野心的でデタラメで、みんなに認められることじゃないかもしれない。それでもリム・カーワイは命をかけて映画をやっている。映画は彼の生き様だ。所在ないまま、漂流し続けるなんて誰にでもできることじゃない。だから彼の映画はいつもとても優しくて、愛おしい。
舩橋淳/映画監督
ただならぬサイバーパンク・ミステリー。
一見、おだやかな中欧の日常を捉えたロードムービーかと思えば、旅する映画監督(無論、LKWの現し身だろう)の目線を通して、バルカン諸国のきな臭い歴史と痛みが滲み出て来て、それが現代の破綻しゆく世界と呼応しているかのよう。
若き日のヘルツォークの狂気と、西部劇の荒野、本家WKW 的な粘り気のあるラブがミックスされて、トラベルミステリーとして仕上げられている異様な傑作!
森直人/映画評論家
混沌と祝祭、追憶と流浪のメタシネマ。監督の自画像が特異な妄想に包まって表出されているという意味で、これはリム・カーワイの『8 1/2』と呼ぶに相応しい。
Mary Stephen/映画編集
この混乱した絶望的な時代に、私たちはどうやって自分の方向性を保つのだろうか。リム・カーワイは再びバルカン半島を彷徨いながら自分の人生を重ねながら映画を撮った。
今日の大量生産されたマス・フォーマットの「産業映画」の世界で、彼の作品はとても新鮮であり、麻痺した感覚や思考を目覚めさせるために、発見する価値がある。
Jim Stark/プロデューサー(『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』)
観客をバルカン半島のシュールなロードトリップに連れ込み、最後はこの世のものとは思えないほど素晴らしい所にたどり着かせる。リム・カーワイは注目すべき才能の持ち主だ。
Edvinas Puksta/タリン・ブラックナイト映画祭キュレーター
常に実験的なことに挑みつづけ、とどまることを知らないリム・カーワイ。
おそらく彼は、バルカン諸国での撮影を頻繁に敢行する、唯一のアジア人映画監督である。
『すべて、至るところにある』は、ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争と虐殺の過酷な歴史的記憶、コロナ禍の悲しい現実、ロードトリップの冒険的な意外性、そして本物の巨大モニュメントを使った不気味で独創的なファンタジーだ。
即興的でミステリアスな、悲哀に満ちていながら愉快!こんなにも魅了的で独創的な物語はないだろう!
『すべて、至るところにある』は1月27日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開