“アントニオ猪木”になる前を知る男の貴重な証言
映画冒頭の映像で、猪木が“アントニオ猪木”になる前のブラジル時代を知る男の貴重な証言インタビュー映像。アントニオ猪木こと猪木寛至は、1943年2月20日に神奈川県横浜市鶴見区で産声を上げた。家庭の経済状況が悪化したことがきっかけとなり、14歳の時に家族と共にブラジルに渡航し、サンパウロ市近郊のコーヒー農場で少年時代を過ごす。
1年半の労働契約を終えた猪木家は、コーヒー農園で蓄えた資金を元手に近くの土地に家と畑を借り、別の農業で成功を収める。一方で、陸上競技選手として1958年、1959年の全伯(全ブラジル)陸上競技選手権少年の部に出場した猪木は、砲丸(投げ)、円盤(投げ)の二種目で優勝するなど活躍。その際、ブラジル遠征中だった日本プロレス界の父こと、力道山の目に留まり、直接のスカウトを受けて1960年に帰国し、プロレスラーデビュー。
以降、同期のジャイアント馬場らとしのぎを削り、リングネームを“アントニオ猪木”に改名。その圧倒的なカリスマ性で、リング内外で多くの伝説を残すことになる。
https://youtu.be/9ydfLiDvFyE
映像では、そんな猪木が16歳頃にサンパウロ中央市場や青果市場(kinjo yamato)でトラックから青果類を荷降ろす仕事をしていた様子を目撃していたという、日系2世の内間政次氏(89歳)の証言インタビュー。
同時期に青果市場(kinjo yamato)で卸業を営んでいた内間氏は、「まるで映画のストーリーのようだ。ブラジルの市場で働いていた担ぎ屋の男が世界チャンピオンになったんだから。ファンタステックとしか言いようがない」と興奮気味に笑顔で回顧。そんな内間氏から私たちの知らない“アントニオ猪木”になる前の猪木がどんな人物だったのか、そしてどんな証言が飛び出すのか、猪木ファンならずとも気になる内容となっている。
またナレーションを担当する福山雅治が、猪木の波乱万丈の人生を落ち着いたトーンで、時に優しく時に熱く、見る者の心のひだに触れてくるように語りかける本作をご覧になりながら、あなたも“アントニオ猪木をさがして”みてはいかがでろうか?
「新日本プロレス旗揚げ記念日ステッカー」3週連続で配布!
映画『アントニオ猪木をさがして』の公開を記念して、「新日本プロレス旗揚げ記念日ステッカー」を、10月6日(金)から3週連続の期間限定で、入場者プレゼントとして配布される。
『アントニオ猪木をさがして』は10月6日(金)より全国ロードショー