「砂の惑星」が与えた影響
アメリカの作家フランク・ハーバートが1965年に発表したSF小説「デューン 砂の惑星」は、“SF”というジャンルに限定することなく、史上最も影響力のある小説のひとつとされている。「デューン 砂の惑星」がなければ『スター・ウォーズ』だって『風の谷のナウシカ』だって生まれなかった。いやいや、「史上最も影響力のある小説のひとつ」なんて陳腐に書いたが、そんなもんじゃあない。生きとし生けるものは環境に多大な影響を与え、環境は生きとし生けるものに多大な影響を与えられている。
そんな生態学的テーマを下敷きに、宗教、政治、哲学、歴史……人間の営みにおけるありとあらゆる事柄を線で結び、宇宙の彼方にまばゆい曼荼羅を浮かび上がらせる壮大なプロジェクト。その物語は、ときに「難解」とも言われるが構造自体は王道の貴種流離譚だ。
巨大な砂虫(サンドワーム)が跋扈する砂漠だらけの惑星アラキスを舞台に、そこでしか採ることができない宇宙上で最も貴重な物質であるメランジ、通称“スパイス”を巡る争いに巻き込まれた貴族の息子、ポールが辿る過酷な運命……。資源と宗教と政治が複雑に絡みあって混乱する世界の様は、どの時代にも当てはまる普遍性がバリバリある。
これにプラスして、特異な世界観を構築する馴染みのないオリジナルな固有名詞が羅列され、とんでもなく詳細に書き込まれたディテールが折り重なり、多すぎる登場人物たちそれぞれの細かい心理描写が圧倒的物量で迫りくる。気づけば読者は陰謀と砂まみれの世界に引きずりこまれている。
ロジャー・コーマンも挑んだ実写映画化
出版直後からハリウッドを始め世界中の映画業界にも衝撃を与えていた「デューン 砂の惑星」だが、いち早く映画化を目指したのは低予算映画の王、ロジャー・コーマンだった。自身で脚本・監督も務める予定だったが実現には至らず、映画化の権利は『猿の惑星』シリーズ(1968年ほか)で知られるプロデューサーのアーサー・P・ジェイコブスに渡る。
監督にはデヴィッド・リーン、脚本にはロバート・ボルトが予定されていて、このふたりは実在のイギリス陸軍将校トマス・エドワード・ロレンスが率いた、オスマン帝国からのアラブ独立闘争を描いた『アラビアのロレンス』(1962年)を手掛けたタッグだった。『アラビアのロレンス』はフランク・ハーバートにも影響を与えていたことから、まさにうってつけ。しかしながら製作中の1973年6月27日にアーサー・P・ジェイコブスが亡くなったことで、企画は中止となってしまう。それから2年、SF小説という名の奇峰に真っ向から挑もうと立ち上がった男がひとり。当時『エル・トポ』(1969年)や『ホーリー・マウンテン』(1973年)で台頭していたアレハンドロ・ホドロフスキーである。そんな彼の冒険が詳細に語られた映画が、『ホドロフスキーのDUNE』(2013年)だ。