共演は真田広之! 日本ロケも敢行した『皇家戦士』
『レディ・ハード』が公開されるまで、80年代の香港のアクション映画は完全に男性に独占されていて、主役は男性で、女性はお飾りでしかなかった。当時『レディ・ハード』を観た女性たちは、私がアクション映画で成功したことを喜びましたが、同時に男性の観客が私のアクションを喜んで受け入れたことに驚いていました。
そうミシェルが語るように、本作の成功によって香港映画界では「Girls with Guns」と呼ばれる女性を主人公にした銃撃戦と格闘アクションが満載の現代アクションがブームとなる。当然、『レディ・ハード』もシリーズ化が決定。続編『皇家戦士』(1986年)は、格闘アクションのメインをシンシア・ラスロックに譲っていた前作とは打って変わり、ミシェルのアクションを前面に押し出した作品となった。
その期待に応えたミシェルは、前作以上に難易度が高いアクションに挑戦。クライマックスでは素手ゴロのミシェルが、チェーンソーで武装したパイ・イン演じる殺し屋と繰り広げる死闘は、完全に常軌を逸した事態になっているので未見の方はぜひ観てほしい。あまりの凄まじさに、この年の香港アカデミー賞の最優秀武術指導賞にノミネートされているから。
Here's a scene from the EUREKA Blu-Ray release of Michelle Yeoh's classic "Royal Warriors(1986)" I compared this release with the German Blu-Ray on my Youtube channel. The results surprised me. Sub to the channel if ya haven't.https://t.co/iEE1MYbo5d pic.twitter.com/g4N8jVbPsu
— ѕнσgυη ѕυρяємє (@TimesSqKungFu) January 28, 2023
ちなみに『皇家戦士』のオープニングは日本ロケを敢行。ミシェルが日本旅行を満喫するシーンでは、80年代バンドブームの頃の原宿の歩行者天国でもロケをしており、演奏するバンドの中には今も活躍するモッズ系バンド、ザ・コレクターズの姿も拝見することができる。
その後、『レディ・ハード』シリーズは全7作が制作されたが、ミシェルは2作目『皇家戦士』を最後に主演を後進に譲っている。というよりも、彼女の主演作の予算が大幅にアップしたのだ。そんなわけで、主演第3作『チャイニーズ・ウォリアーズ』(1987年)は、1930年代のチベットを舞台にしたミシェル版『インディ・ジョーンズ』な物語がアグレッシブに展開される。
当然、格闘アクションは前作以上の難易度になっただけでなく、縄鏢を鮮やかに使って戦ってみせる、という異常なスピードの成長ぶりを披露。しかし、あまりにハードな撮影によって靭帯を切断してしまい、6ヶ月間アクションができなくなってしまう。
ファンたちはミシェルの新たなアクション映画を待った。が、この頃、ミシェルはD&Bの社長ディクソン・プーンと婚約する。そしてスキーと乗馬シーンくらいしかアクションシーンらしいものがない、つまり一回も格闘シーンがない主演作『通天大盗』(原題:1987年)を最後に引退。が、その5年後、ディクソンと別れたミシェルは『ポリス・ストーリー3』(1992年)でカムバックを果たす。
なぜタランティーノは『キル・ビル』にミシェルを出演させなかったのか?
『レディ・ハード』によって誕生した女性アクションのブームはハリウッドにも多大な影響を与え、『マトリックス』(1999年)のキャリー=アン・モスが演じたトリニティや『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)、『キル・ビル』(2003年/2004年)を生み出した。それらの作品たちも、後のMCU作品などのアクション・シーンに影響を与え、新たな女性ヒーローを生み出している。
https://www.youtube.com/watch?v=499Aiwh_If0
もしも1985年に、格闘技未経験者のミシェル・ヨーがアクションスターを志して『レディ・ハード』に主演していなかったら、現在の映画だけでなく漫画、ゲームに登場する「戦う女性」キャラクターは、今のような進化を遂げず、もっと時代遅れなものだったかもしれない。
映画の女性アクションは、ミシェル・ヨーの登場によって世界レベルで変わったのだ。
……と書いて原稿を締めようと思ったが、ひとつ疑問が浮かびあがった。
『キル・ビル』の監督クエンティン・タランティーノは1995年、『パルプ・フィクション』(1994年)の宣伝で香港を訪れた際、ミシェルと対面しているほどの大ファンだ。しかも、その時のミシェルは主演作『スタントウーマン/夢の破片(かけら)』(1996年)の撮影中、約5.5メートルの高さからダイブするスタントを「余裕でしょ」とトライしたら、着地に失敗して椎骨を損傷してしまい療養中であった。さらに説明させてもらうと、一時は「もうアクション映画に出ることは無理なのでは……」という状態であったが、奇跡的に回復しようとしていた頃だ。
しかし、ミシェルは「アクション映画に出られる身体になったとしても引退しよう」と思っていた。そんな時にタランティーノは、「香港に来たんだから、どーしてもミシェル・ヨーに会いたい!」と強引に面会してきた。当初はタランティーノの圧が強すぎるキャラにうんざり気味だったミシェルだが、彼が自分の主演作のアクション・シーンの素晴らしさを熱いマシンガントークでシャウトするのを聞いているうちに、涙がこぼれ出して、アクション映画での再起を誓ったという。
そして怪我から1か月後、ミシェルは何事もなかったように『スタントウーマン』の現場に戻って来た。
Quentin Tarantino Saved Michelle Yeoh from an Existential Crisis: ‘I Was Coming Back to Life’ https://t.co/N8dgfBdzhh pic.twitter.com/5bxT0TkXSM
— IndieWire (@IndieWire) March 15, 2022
そんな熱い思い出を共有したミシェルを何故、タランティーノは自分のカンフー映画愛を詰め込んだ『キル・ビル』に出演させなかったのか? ミシェルなら主演のユマ・サーマンの強敵を演じることができたはずなのに……。
実は、この疑問はミシェル自身も抱いていたという。後にタランティーノと再会した彼女は、この件を直球で質問。タランティーノはこう答えた。
「いくら映画といえども、ユマ・サーマンがミシェル・ヨーに勝つなんて、誰も信じてくれないですよ!」
お見事。
文:ギンティ小林
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は2023年3月3日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー