『別れる決心』パク・チャヌク監督ロングインタビュー
第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で監督賞を受賞した、パク・チャヌク監督の最新作『別れる決心』が2023年2月17日(金)より全国公開。直接的な性描写と暴力描写、そして“復讐”を封印したロマンチックな男女の物語について、来日したパク・チャヌク監督がじっくり語ってくれたインタビューの後編をお届けする。
※物語の内容に一部触れています。ご注意ください。
1960年代の名曲「霧」をテーマに用いた理由
―監督は歌謡曲「霧」が昔から大好きで本作のテーマに用いたとおっしゃっていましたが、この曲のどんなところが好きで、どういったインスピレーションを受けたのでしょうか? この曲は韓国でどのように親しまれていますか?
「霧」は1967年に発表された曲です。私も当時は小さな子どもだったので、どれほどすごいのかはっきり分かってはいませんでしたが、とてもヒットしていたので何度も聴いていました。歌っているのはチョン・フニさんという、韓国で最も素晴らしい女性歌手の一人と言われている方の代表曲です。作曲家も偉大な方で、私くらいの世代以上の韓国人ならば、知らない人はいないほどの人気曲です。韓国でも若い人たちはこの曲を知らないのではないかと思いますが、アメリカやイギリスであれば若い人でもザ・ビートルズを知っているのに、なぜこの素晴らしい曲を韓国の若者は知らないのかと残念に思います(笑)。
私がイギリスで『リトル・ドラマー・ガール 愛を演じるスパイ』(2018年)というドラマを撮っていたとき、ずっとロンドンにいたので韓国が恋しくなり祖国の曲を色々と探していたところ、この「霧」に行き当たりました。「ああ、あの曲だ」と懐かしんでいたところ、韓国最高の男性歌手と言われるソン・チャンシクさんも「霧」を歌っていることを初めて知ったんです。私にとっては偶像のような素晴らしい歌手なのですが、ぜひこの曲を映画に活かしたいと思い、皆がよく知る女性版=フニさんが歌っているバージョンを映画全編で使い、最後の最後にサプライズのような形で男性版=チャンシクさんが歌うバージョンを聴かせたいと考えました。
しかし実際に映画を撮影し、当初計画していたように一番最後のシーンで男性版「霧」を使ってみたところ、まず1つ目に、あまりにも悲しいシーンになりました。もちろん悲しいシーンではあるんですが、私は最後に皆さんを大泣きさせるつもりはなかったんです。なので、これは違うかな……と思いました。2つ目の理由としては、まるで男性主人公ヘジュン(パク・ヘイル)の立場から、この物語がすべて整理整頓されてしまったような感覚を覚えたことです。彼は神秘的で素敵な女性ソレ(タン・ウェイ)に出会ったけれど、結局彼女はいなくなってしまった。“捨てられた悲しい男”という印象を与えてしまうなと思ったので、これは違うなと思い、現在は齢70代になっていらっしゃるフニさんとチャンシクさんをスタジオに招き、改めて「霧」をデュエットしていただいたんです。そして最後のシーンではなくエンドクレジットで、その「霧」を流すという形に変えました。
https://twitter.com/CJENMMOVIE/status/1544521783411621888
「俳優は副業みたいなもので、いまタン・ウェイさんは畑仕事を楽しんでいます(笑)」
―監督は「対話」を一番大切にされているそうですが、主演のお二人と最も話し合ったことは何ですか?
特にどういった点に時間を割いて話したということはなく、あくまで脚本全体について色んな話をしました。そもそも本作において、私とパク・ヘイルさん、タン・ウェイさんは、初めて同じ作品で共同作業をしたので、まずは仲良くなる段階を設けたんです。また、タン・ウェイさんは幼い娘さんがいるため家を空けるのもなかなか難しいということで、私たちが彼女のお住まいに伺う形になりました。ソウルからかなり離れたところに住んでいらっしゃるのですが、いま彼女にとって俳優は副業みたいなもので、普段はもっぱら農業、お野菜などをたくさん作って畑仕事を楽しんでいるんです。ですから彼女が育てた野菜で作った料理をごちそうになったり、お酒を一杯傾けたりしながら、仕事の話はもちろん人生の話なども色々としました。とても楽しかったので何度かお邪魔しました(笑)。
三人でどんな話をしたかな? と振り返ってみると、それぞれの異なる考えを合わせる作業ではなく、逆に三人とも同じことを考えている、ということを確認する時間だったと思います。アメリカでは「みんなが同じページを読んでいるかどうか」と表現するそうですが、たとえば皆が同じ脚本を読んでいても、それをどう解釈するのかが異なるということはあり得るでしょう。ですから「同じ脚本を読んでいたはずなのに、いざ現場に入ったら思っていたものと全く違う演技をしていた」となると、とても戸惑ってしまいます。そうならないように、あらかじめたくさん話をするということですね。それによって、「ああ、ちゃんと三人とも“同じページ”を読んでいるな」ということが確認できたんです。
「“霧の中で目を開きなさい”というフレーズがすべての出発点」
―ヘジュンの“ポケットだらけのコート”にはどこか可笑しみがありますが、あるシーンではロマンチックにも感じられます。同時に彼は、未解決事件に固執し不眠症を抱える刑事でもあります。このヘジュンの人物像は、どのように作られたのでしょうか?
私が一番最初に考えた設定のうちの一つが「ポケットの多い服」というものでした。というのもヘジュンというキャラクターは、どんな人に対しても先入観を持たず、とても包容力があり、公平に物事を見る人です。そこからポケットのたくさん付いた服で、色んなものを持ち歩いているという設定を考えました。でもそんな既製服は多くないので、どうしても「オーダーメイドした」という設定にしなければいけない。ということは、とても高価なはず。観客には「彼は公務員なのに、そんなに高い服を着られるのか?」と思われるだろうから、そういったことを解消するために「かつて、ある事件を解決してあげた洋品店の主人が感謝して、安く作ってくれるんだ」というセリフが入っていたりもします(笑)。
普通、刑事というとポケットには手錠や手帳、ペンなどが入っていますが、彼はそういうものよりもハンドクリームやリップクリーム、ウェットティッシュを持っている、ちょっと変わった刑事という設定にもしています。また、ヘジュンはポケットだらけの服を着るようになってからそれなりに経っているんですが、本人はどこに何を入れたのか覚えていない。けれども彼と知り合ったばかりのソレは、何回か見ただけでどこに何が入っているか正確に把握していて、リップクリームをサッと取り出して塗ったりするシーンもあります。
―ヘジュンがたびたび注す目薬も、彼のキャラクターを強調するものでしょうか?
先程もお話した「霧」という曲の中で、私が最も刺さったフレーズが「霧の中で目を開きなさい」というものでした。それは“霧の中では全てがぼやけて見えるけれど、しっかり目を開けてちゃんと見なさい”という命令形的な言葉で、それがこの物語のすべての出発点になっているんです。
ヘジュンは目薬をしょっちゅう注しますが、視界をクリアにして前にあるものをしっかり見るように、彼自身も意識している。ソレのほうも、物事から目を背けるのではなく直視しようとする。例えば、ソレの夫がどのように死んだのか確認するシーンでは、彼女の選択に対し、ヘジュンが少しだけ微笑みます。それは「ああ、この人は私と同じ類(たぐい)の人なんだ」と確認したということ。ソレの服が青なのか、緑なのか? という部分も同じように、物事は色んな意味で曖昧だけれど、それを直視して正確なものをちゃんと見なさい、ということを表現しているんです。
『別れる決心』は2023年2月17日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
『別れる決心』
男が山頂から転落死した事件を追う刑事ヘジュンと、被害者の妻ソレは捜査中に出会った。取り調べが進む中で、お互いの視線は交差し、それぞれの胸に言葉にならない感情が湧き上がってくる。いつしかヘジュンはソレに惹かれ、彼女もまたヘジュンに特別な想いを抱き始める。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに思えた。しかし、それは相手への想いと疑惑が渦巻く“愛の迷路”のはじまりだった……。
監督:パク・チャヌク
脚本:パク・チャヌク チョン・ソギョン
出演:パク・ヘイル タン・ウェイ
イ・ジョンヒョン コ・ギョンピョ
制作年: | 2022 |
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2023年2月17日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー