水谷豊=「傷だらけの天使」
もちろん水谷豊が俳優で、これまでに数えきれないほどのテレビドラマに出演していて、「相棒」が長期にわたる異例の大ヒットになっていることは知っている。
ただ、あまりテレビを観ない私は、ドラマ「傷だらけの天使」、映画『青春の殺人者』以外では水谷豊を意識したことがなかった。
趣里さんのお父さんだということの方が私にはインパクトあったかも。
「傷だらけの天使」は先日亡くなったショーケンがカッコ良すぎて、下関在住の16歳の高校生は悶絶しながら毎回テレビにかじりついていたが、水谷豊の演技もまた独特で、あんな人が東京にはたくさんいるんだろうかと不思議に思い、さらに一体どうしたらこんなドラマが作れたんだろうと衝撃を受けた。
深作欣二、恩地日出夫、神代辰巳、工藤栄一らが週替わりで監督を務めていたが、当時のお茶の間にこんなドラマを持ってくることはもはや暴力といっても過言ではない。
先日、友人宅で第一話を眺めながら酒を飲んだが、道路使用許可とってんのかよ、エキストラ以外の人の顔も写ってんじゃないの、と全員で大喜び。
あんなテレビドラマはもやは存在しない。
水谷豊はドラマの放映が始まった時点で22歳。
13歳で劇団ひまわりに入団し、順調にキャリアを積んでいたが、高校生の時に芝居を辞めてしまった。
その後、復帰したが、本格的な作品での登場がいきなり「傷だらけの天使」である。
本人がどんな思いで「あきら」を演じていたのかはわからない。
とんでもない監督たちがどんな演技指導をしたのか、あるいはしなかったのか、いつか本人に聞いてみたいが、そんなチャンスはあるんだろうか。
そんなわけで、私の中の「水谷豊」は心優しいチンピラの「あきら」であり、刑事の「右京」ではない。
水谷豊はイーストウッドを目指す、かも
「水谷豊が監督した映画」にはあまり興味を惹かれなかったが、『轢き逃げ 最高の最悪な日』というタイトルになんとも言えぬ薄暗さを感じたので、観ることにした。
結婚式は目前。
相手は同じ会社の副社長の娘。
式の打ち合わせに遅れただけでもダメージとなる。
焦ってハンドルを切り、カーブを曲がったところに、たまたま若い女性が立っていた。
俺の目を見て驚いた顔をした瞬間、彼女の姿が消えてしまった。
親友は逃げるしかないと促す。
加害者となった俺は逃げ通せるものかと恐怖と不安で結婚式どころではない。
娘を失った父親は妻と話をすることもできなくなった。
加害者と被害者家族、どちらもやりきれない思いを抱えたまま重苦しいストーリーは続くのか。
娘の携帯が事故現場から見つかっていないことから、父親はなぜあの場所に娘がいたのかと自ら調べ始める。
水谷豊はこの作品で監督、脚本、主演までこなし、新境地を開いた。
まだ、荒削りな印象を受けるが、あれも計算の上かと後になって気がついたりする。
脚本があまりにも練られていたので、原作があるものとばかり思っていたら、水谷豊のオリジナルだった。
役者生活が長いと筋立てをここまで精密に計算できるものだろうか。
この作品には隠しても隠しきれない青年の野心、事件の加害者と被害者家族の心の持ちよう、どんよりした空気の中からのサスペンス的転換、そして終焉へと滑らかではあるが起伏に富んだプロットが埋め込まれている。
役者が監督になるとどんな演出をするのか気になるが、水谷監督はかなりきめ細かくシーンごとの意図を説明し、演技をつけていたようである。
さらに、音楽を極力減らし、アテンションとなる音も避けているが、SFアクションでもないのに音にこだわり抜き、日本で初めてのドルビーシネマ(説明を読んでもよくわからなかったけど)を採用している。
よくもそこまで。
現在66歳の水谷豊。
余計なお世話だが、できればこれを機に大きく舵を切って、クリント・イーストウッドのような監督・俳優を目指して欲しい。
拳銃を撃ちまくるだけの乱暴なおっさんと思われていた役者イーストウッドが、今では“とにかくイーストウッドの作品だけは評判はどうあれ観に行く”と認められる監督になっている。
イーストウッドの作品はどのような内容であれ、スクリーン上の空気は常に乾燥している。
テーマを絞ってストレートに表現する。
水谷監督の作品は湿っている。
いろいろ試して欲しいが、ひねりよりも老獪な組み立てを期待する。
すでに次の作品が楽しみである。
文:大倉眞一郎
『轢き逃げ 最高の最悪な日』は2019年5月10日(金)ロードショー