第35回東京国際映画祭のNippon Cinema Now部門で好評を博し、ベルリンをはじめとする海外の映画祭でも絶賛された三宅唱監督の新作『ケイコ 目を澄ませて』。16ミリフィルムで撮影され、音にもこだわって音楽で盛り上げるようなことはしていない。そんな映画をどのように見るべきか、映画館で映画を観ることとは。三宅監督と主演・岸井ゆきのに聞いた。
「いま思い出しても胸が熱くなるし、悔しい」
―音についても気を遣われていて、劇伴なども入れていらっしゃらないのですが、逆にフォーリー(別撮りした環境音や動作音)で補ったりしたところはありますか。
三宅:フォーリーはありますね。音の作業は、録音部の川井崇満さんを中心としたチームで、とにかくいろいろとやっています。これまでずっと一緒に仕事をしてきていて、感覚も近いので、今回はやれるベストを尽くせたと思います。
―岸井さんは仕上がりをご覧になって、現場との違いをどのように感じましたか?
岸井:違い……(考えこむ)
―こういうふうに演技していたところにこういう音が入るんだ! ということとか。
岸井:私、環境音が好きなんです、普段生活しているなかで。……これは質問の答えになってないですね(笑)。なので、劇伴を入れないっていうのは最初から聞いていて、音の違い……縄跳びを飛ぶ音だったりとか、筋トレの器具のキーキーいう音だったりとか、改めて「ああ、そうだったんだな」っていうか。
撮影に向けて糖質制限を2ヶ月やっていて、見たいものしか見れないし聞きたい音しか聞こえないような、すごく狭い世界になってたんです。それで増量もしなきゃいけなかったので、常にお腹がいっぱいで、そういう状況の中で感じられるものの量がすごく少なくて、そのぶん密度が高いっていう状態がずっと続いていて。映画を見たときには「そうだったんだ!」「こうだったんだ!」っていう印象。現場中っていうのは、その時の感情だったり景色っていうのは覚えてるけど、まったく自分を客観的に見れていない時間だったので……。
だからケイコに関して「ここはこうしよう、こうやって演技しよう」みたいなことはまったく考えてないっていうか、 いまこのワンカット、ワンカットで思うことを、なんかすごく上から目線に聞こえるかもしれないけど、「頼むから逃さないでくれ!」という状況だったんです。なので完成した映画を見たときに、やっと“ケイコの外側”にいると思いました。でも覚えているんです、全部。だから同じように悔しいし、いま思い出してもちょっと胸が熱くなるような悔しさがあって、なかなか消えない。もう1年経ったんですけど……あれ、もう経った? 経ってないか。
三宅:撮影して1年半ですよ。
岸井:経った!(笑)。まだ消えないですね。
「“本気で行く”“当たってもいい”が美しいとは思わない」
三宅:これはネタバレになるかもしれないけど、「試合の場面を見たくない」ってずっと言ってました。それって、完全に自分の人生に起きていないことだったら平気で見れると思うんです。例えばサッカー選手とか……サッカーをボクシング映画の例えにするの、どうかと思うんだけどさ(笑)、悔しかった試合を見直せないってあると思うんですよ。それは人生が大きく変わった瞬間だと思うから。
でも我々は映画です。あくまでも映画の中の試合ですよ。にも関わらず、「試合は絶対に見たくない」って、そういう入れ込み方……違うな、うまい言い方が見つかりませんが、とにかく岸井さんがこの映画のケイコを全うしたことに、心から感動しています。当初の予想をはるかに超えるような……。役者が映画と一体化する、映画と自分の人生が一体化することがあるんだということを目の前で見せていただき、本当に尊敬しました。
―ということは、あの試合はガチだったんですか? 立てなくなる、脚にきている演技とか、すごくリアルで。
三宅:うーん……いや、あえて言いますが、それは当然、殺陣がまず基本のベースにあります。絶対に怪我してはなりません。そうするとすべてが終わってしまうので。安全を守った状態でどこまでやれるのか、そのためにトレーニングをして、その限界値を上げていく準備をしたわけです。
岸井:殺陣をやりたかったんです。よく「本気で行く」みたいな、なんか「当たっちゃってもいい」みたいなことは、絶対にしたくなかったんですね。私は、それが美しいとは思わない。それだったら(リアルな)試合を見たほうが、きっとみんなの心が揺さぶられると思うんです。
三宅:本物のね。
岸井:いわゆる“本当の試合”を見るべきだと思うから。
三宅:あくまでも、すべてコントロールした上で本物を目指すっていうのが映画だよね。
岸井:やっぱり、私はやりたかった。でも気持ちが……。
三宅:気持ちが本物になるために、殺陣という安全を担保する技術があると思うんです。殺陣というのは、気持ちを本物にするためのものだと思うんですよね。
「映画は奇跡みたいなものだけど、魔法じゃない。ちゃんと作られている」
―監督はプレス試写会で「今日はスクリーンで見てもらえてうれしいです」とおっしゃっていました。スクリーンで映画を見ることの意義について、改めてお二人にうかがいたいのですが。
岸井:スクリーンで見てください、映画は。
三宅:岸井さんは映画館に行くことが習慣になっている人だなあというのが、僕が岸井さんを尊敬しているポイントの一つなのは間違いないです。でも、せっかくなのでお聞きしますが、なぜそんなに映画館に行くんですか?
岸井:私は……そうしないと現実に耐えられないからです。
三宅:ほお。
岸井:まあ、そうですね。生活の中にもう映画っていうものがあって。映画って何なんですかね。うん……好きなんですよね。自分が何者でもなくなる瞬間、見ている世界のものになれる。見たいまま、私は女であるとか、アジア人であるとか、日本人であるとか、背が低いとか、そういうことは全部なしになるっていうか。それを体験しに……というか“いなくなる”んですよ、自分が。そんな映画を見たい。
だから(映画を見)終わったら本当に寂しいですよ。エンドロール始まったあたりで「え……作った人がいる」っていう。そこはスタンディングオベーションという感じなんですけど、それすらも終わって灯りが点いた瞬間に「あれ? 日比谷か、ここ」みたいな……寂しいですけど。
三宅:映画館から外に出たら「あれ?」みたいな、「これさっきまでの日比谷と同じだけど、さっきまでとは違わない?」って思うときは、僕はすごい好きですね。テアトル新宿の階段を上がっていって「あれ? いつものあの道なのに全然違うじゃん!」みたいな。
岸井:それは家でブルーレイとか配信サービスで見るのでは、まったく違う。
三宅:外に出た時に世界が変わるっていうのは、ほかの芸術、美術館やライブや演劇でも感じますよね。芸術は普段の生活の見え方をぐっと変えてくれる、それが楽しいことだなと思っていて。そのためには、やっぱり映画館のあの暗闇と大きなスクリーンで、知らない人たちと共に見る時間が必要なのかもしれません。見るというより、そこで過ごすというか、身体全身で感じるみたいな。……タイトル『全身を澄ませて』に変える?
岸井:変えようか(笑)。そう体験、音の聞こえ方だったり。私は4DXは好きじゃないんです。
三宅:そういうことじゃないね。
岸井:そういうことじゃない。スクリーン一枚で、これほどの世界が広がってるっていうことが私にとっては、もう……奇跡みたいなもので。だって私たち今回フィルムで撮ってますけど、光の加減を焼いているわけじゃないですか、フィルムに。それがここまで美しいんですよ、映画って。それってやっぱりもう奇跡に近い、でも魔法じゃないっていうか、ちゃんと作られてるし、なんか希望ですよね。4DXじゃなくても音の重圧みたいなものは座席から感じるし、それが2000円弱で見れるなんて! 体験できるなんて! と私は思います。絶対にスクリーンで観るべきだと思う、『ケイコ』は(笑)。
三宅:でも僕は天の邪鬼だからさ、いい映画って何で見ても面白いとも言っておきたい。テレビで見ようが、携帯で見ようが。
岸井:私、ベルリンのときに朝5時に起きて携帯で見たんですけど、素晴らしい!
三宅:素晴らしかった? でも映画館に来てほしいんで“映画館”って言いますけどね。
岸井:言いますけどね! 今のはちょっと雑談です(笑)。
―では最後に、影響を受けたボクシング映画や、好きなボクシング映画はありますか?
岸井:私たちはこの作品をボクシング映画としては捉えてないです。ボクシングがあるんですけど、ただボクシングの映画ではないというか、ケイコの生活にフォーカスが当たって、そのケイコはボクシングをしてるということなので、ボクシング映画は見直したりしましたけど、でもそのどれとも違うなと思いました。
三宅:ボクシング映画の傑作や名作は多いですが、“それとは違う映画を撮るから”と言ってました。なので、挙げづらいのですが、あえて一本挙げるならやはり『ロッキー』(1976年)でしょうか。主人公の名前がそのままタイトルになっている映画。そういう映画を作ったり演じたりすることって、人生でそう多くはないと思ったんですね。この映画は……僕はもう一生ボクシング映画は撮らないと思うし、岸井さんもボクサーを演じることはもうないと思うので、たぶん最初で最後なんです、この人生で。
ロッキーという名前が『ロッキー』というタイトルになったように、我々は『ケイコ』というタイトルを背負いたいなと。そういう、大切な映画です。
取材・文:遠藤京子
撮影:白井晴幸
『ケイコ 目を澄ませて』は2022年12月16日(金)よりテアトル新宿ほか全国公開
『ケイコ 目を澄ませて』
不安と勇気は背中あわせ。震える足で前に進む、彼女の瞳に映るもの――。
嘘がつけず愛想笑いが苦手なケイコは、生まれつきの聴覚障害で、両耳とも聞こえない。再開発が進む下町の一角にある小さなボクシングジムで日々鍛錬を重ねる彼女は、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。母からは「いつまで続けるつもりなの?」と心配され、言葉にできない想いが心の中に溜まっていく。「一度、お休みしたいです」と書きとめた会長宛ての手紙を出せずにいたある日、ジムが閉鎖されることを知り、ケイコの心が動き出す――。
監督:三宅唱
原案:小笠原恵子「負けないで!」(創出版)
脚本:三宅唱 酒井雅秋
出演:岸井ゆきの
三浦誠己 松浦慎一郎 佐藤緋美 中原ナナ
足立智充 清水優 丈太郎 安光隆太郎
渡辺真起子 中村優子 中島ひろ子 仙道敦子
三浦友和
制作年: | 2022 |
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2022年12月16日(金)よりテアトル新宿ほか全国公開