『時計じかけのオレンジ』きっかけでキューブリックに信用された二人の男
ドキュメンタリー映画『キューブリックに愛された男』は、F1ドライバーを目指していたある男が、卓越した運転技術を気に入られた結果、キューブリックのお抱え運転手として彼の屋敷で30年も一緒に暮らすようになった実話を描いている。
男の名はエミリオ・ダレッサンドロ。キューブリックとの出会いは、1970年のある日、真夜中にあるオブジェをロンドンから撮影所まで運ぶ仕事を依頼されたことによるが、そのオブジェこそ『時計じかけのオレンジ』でアレックスらがキャットレディを殺す際に用いた巨大なペニス型のオブジェだった。
以後、エミリオはキューブリックの運転手としてその人生に欠かせない存在になっていくのだが、『キューブリックに愛された男』を通じてエミリオの口から語られるキューブリックは、われわれが想像する完璧主義者としての側面とは別に、勢いでポルシェを買ってぶっ飛ばし、すぐにペシャンコにしてしまい、エミリオに助けを求める電話をかけてくるような、手に負えない大きな子供のような姿を垣間見させてくれる(笑)。
実は日本にも、『時計じかけのオレンジ』での出会いによってキューブリックの強い信頼を得て、以後、彼のすべての作品と関わることになった人物がいる。映画ポスターのデザイナーにして、映画題名の書き文字でも知られる檜垣紀六さんがその人だ。
キューブリックの信頼を得た檜垣紀六~日本版洋画ポスターの巨匠による絶技
キューブリックは、自作の製作プロセス全般のみならず、編集を終えて完成した作品が世界中の劇場で公開される際の上映プリントの焼き具合から、プロモーションのされ方に至るまで、細かくチェックを入れ、すべてに完璧を求めたことで知られている。
そういったキューブリックの意向を受けて、彼の手足となってすべての領域に眼を光らせ続けてきたアシスタントに、元俳優のレオン・ヴィタリがいる。キューブリック作品が上映される世界各国でのポスターのデザインのチェックと、キューブリックのアプルーバル(承認)も、『シャイニング』以降はレオンを介して行われていたようである。
さて、東宝アートビューローに所属していた檜垣さんは、東宝系劇場で公開される『時計じかけのオレンジ』の日本版ポスターのデザインを担当することになったのだが、英語版のタイトル・ロゴと同じテイストの日本語タイトルのロゴでないと許可が出ないということで、何回かダメ出しを経ながらも苦労して「Clockwork Orange」の「C」と「O」と同様に、「時」と「オ」の一部が丸い文字となる日本語のタイトル・ロゴを書き上げ、ついにOKが出た。
――これでキューブリックの信頼を得た檜垣さんは、それ以降すべてのキューブリック作品の日本語タイトル・ロゴ(いずれの場合も条件は同じで、英語のオリジナル・タイトル・ロゴと同じテイストが求められた)を任されることになったのだ!
『キューブリックに魅せられた男』または私は如何にして心配するのをやめて天才を愛するようになったのか
一方レオン・ヴィタリは、『バリー・リンドン』(1975年)で主役のライアン・オニールに次ぐ準主役を演じた英国の俳優だが、同作品を通じてキューブリックの薫陶を得た結果、それ以降の一生をキューブリックに捧げる決意を固め、俳優業を廃業しアシスタントとしてエミリオ同様にキューブリックの屋敷で1日17~18時間働き、自宅への帰宅後も頻繁に電話でこまごまとして指示をしてくる巨匠に対して献身的に尽くしてきた。
その様子は、ドキュメンタリー映画『キューブリックに魅せられた男』に詳しいが、遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)の撮影では、キューブリックは長年自分に尽くしてくれたエミリオとレオンに、それぞれ俳優として画面に登場させることで労をねぎらっている。体力の衰えから死期を悟って、この二人にだけはどうしても特別な感謝の意を捧げたかったのかもしれないと思うと、少しだけこのモンスター的巨匠も等身大の人間に思える。
文:谷川建司
『時計じかけのオレンジ』『キューブリックに魅せられた男』『キューブリックに愛された男』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「特集:奇才キューブリック」で2022年12月放送
https://www.youtube.com/watch?v=qJmE8z5XTys&feature=emb_title