スタンリー・キューブリック監督に関するドキュメンタリー映画『キューブリックに愛された男』(2016年)と『キューブリックに魅せられた男』(2017年)を相次いで見たが、どちらも面白く、謎に包まれていた彼の私生活の一端を垣間見させてもらった。
キューブリックが亡くなったのは1999年だから、もう23年経つが、こうしたドキュメンタリーが若い世代の作り手たちによって製作されることで、若いファンもまた再生産されるはず。
筆者の場合、1950~1960年代の作品はリバイバルか名画座だったが、『時計じかけのオレンジ』(1971年)以降の彼の作品をすべてリアルタイムで見てきた。その感覚としては、彼はちょっと年長の同時代の作家だったから、亡くなったときは「早すぎるなあ」と思うと同時に、没年齢が70歳と聞いて「もうそんなになっていたのか」と、またビックリした。
『時計じかけのオレンジ』は70年代映画少年の必修科目だった
マーベルやDCコミック由来の、VFXをふんだんに用いた、しかし内容的には保守的で必ず「G指定」の範囲内に仕上げてある大作映画のたぐいを幼い頃から見てきた若い学生たちには、SEXやバイオレンスに満ち溢れた『時計じかけのオレンジ』のような作品が、最も熱く語られるメインストリームの映画だった時代の感覚はなかなかわからないかもしれない。だが、少なくとも1970年代に高校生だった若者が、映画ファンを自称するためには、この作品は必ず見ておかなくてはならない必修科目のような存在だった。
やりたい放題の悪事を働き、だまして上がり込んだ老作家の家で、顔にマスクを付けて陽気に『雨に唄えば』(1952年)の主題歌を歌いながら作家を痛めつけ、その眼の前で作家の若い妻を輪姦するシーンなど、眼を背けたくなるようなバイオレンス・シーンが有名な本作だが、ベースにあるのは人間を完全に管理したがる全体主義的な社会のありようと、そうした社会の中にあってもコンピュータ・プログラムの中にあるバグのように勝手気ままに振舞おうとする管理不能分子が存在する、というディストピア的な世界観。
その意味で、この映画に眼を背けてしまうようでは社会と個人の関係を考えるためのツールとしての“映画”の単位はあげられませんよ、というのが暗黙のルールのようなところがあったのだ。
「雨に唄えば」はアレックス役のマクダウェルによる即興だった!
主人公のアレックスを演じたのは、撮影当時28歳のマルコム・マクダウェル。今はもう79歳になった計算だが、彼が56歳の時に一度だけLAで接近遭遇したことがある。その時、<CHAYA>というレストランで僕はデニス・ホッパーとランチしていて、隣の席でパワーランチしていたのがマクダウェルだった。先に席を立ったマクダウェルがデニスの肩をポンッと叩き、デニスが「Hi, Danny!」と応答したやりとりの場に同席していた次第。パンクなオヤジという感じで格好よかった。
— Malcolm McDowell (@McDowellMalc) May 6, 2021
その頃のマクダウェルはすっかり中年曲者俳優としてデニス・ホッパーと似た様な道を歩み始めていたが、30代の頃は会う人会う人に『時計じかけのオレンジ』の話ばかり質問され、オファーされる役柄もその延長上のものばかりで嫌でたまらなかったという。
ところで、件のレイプ・シーンで彼が歌った「雨に唄えば」だが、それはリハーサルの時にキューブリックから「何か歌ってくれ」と言われたマクドウェルが歌詞を知っていた歌が「雨に唄えば」だけだったから。
――すべてが緻密に計算しつくされているようなイメージのあるキューブリック作品だが、実は即興も多い。『シャイニング』(1980年)で完全に狂ったジャック・ニコルソンが、シェリー・デュヴァルを追い詰めたときに口にする「Here—–‘s, Johnny!」も即興で、アメリカでは誰でも知っている『ザ・トゥナイト・ショー』の司会者だったジョニー・カーソン登場シーンの真似なのだが、英国在住のキューブリックはそれが何の真似なのか知らなかったという。
ちなみに、『シャイニング』で撮影されたもののボツにされた、一台の車が田園風景の中を走るのを空撮で捉えたシーンが、2年後に同じワーナー・ブラザースで製作された『ブレードランナー(オリジナル劇場版)』(1982年)でハリソン・フォードとショーン・ヤングが逃げるラストシーンとしてそのまま流用されたことは、当時の映画ファンの間ではよく知られていたが、最近はあまりそういう流用の例は聞かない。
I only recently learned that the ending shot of mountains from Blade Runner (1982) was unused helicopter footage shot for the opening of the Shining pic.twitter.com/XyTUeRwpsF
— Shane Bettenhausen (@ShaneWatch) May 1, 2019
天才は天才を知る:キューブリックに影響を与えた映像作家としての手塚治虫
これも有名な話だが、1964年頃にアーサー・C・クラークの「前哨」に基づくSF映画の製作に取り掛かり始めたキューブリックは、前年からアメリカのNBCで放送開始された手塚治虫のTVアニメ『Astro Boy(鉄腕アトム)』を見て、国際郵便で手塚宛てに手紙を送り、新作のアート・ディレクションを引き受けてくれないかとオファーしている。
ロンドンでキューブリックとともに丸1年間も彼の映画に付きっきりになることは、当時260名ものスタッフを抱える虫プロ社長の立場だった手塚には不可能な話で、丁重に断りの返事を送ったのだが、あとからその映画こそ結果的に『2001年宇宙の旅』(1968年)として結実した作品だったと知った手塚は大いに悔しがった。
その頃の手塚は本業のマンガの連載、虫プロでのTVアニメの製作で超多忙だった傍ら、個人的に実験的アニメ作家としていくつもの短編アニメーション作品を製作していた。そんな中に、1964年9月の草月アニメーションフェスティバルで公開された8分の短編『人魚』(1964年)がある。――プロットは、ある全体主義国家に暮らす夢見がちな少年が、浜辺に打ち上げられた魚を助けるとそれは人魚に変わり、彼女を家に連れて帰るものの、彼以外にはただの魚にしか見えない、というもの。
その国では想像することは禁止されており、少年は思想警察に連行され拷問される。魚の映像が流れるときにだけ身体をくすぐられる実験療法を受け続けさせられた結果、彼は魚を見ただけでケラケラ笑い出してしまうようになる。だが、最後にはその実験療法の効果はなくなり、人魚と一緒に海の彼方へ消えていく。……そう、『時計じかけのオレンジ』のアレックスが逮捕された後に受けた、人格矯正の実験(投薬によって吐き気を催している最中に暴力の映像を強制的に見続けさせられ、結果的に暴力を目撃しただけで吐き気を催すようになる)とほぼ同じ。
https://www.youtube.com/watch?v=rzZ41w7Zpfk
キューブリックが『人魚』を観た確証はないが、手塚は1964年、1965年とアメリカを訪問し、『Astro Boy』放送中のNBCとも接点を持っていたから、自身の手掛けた実験アニメの映像をNBC側に見せたことは考えられるし、手塚に強い関心を寄せたキューブリックが手塚の住所を聞いたのもNBCだったから、彼が同局を介してその映像を手に入れ、インスパイアされた可能性は十分に考えられるだろう。
Copy of 1965 letter from Stanley Kubrick to Osamu Tezuka: "I saw 'Astro Boy'... I am currently planning to make a science fiction movie set in the 21st century, rooted in science, serious, with real drama. I'd like to ask if you might collaborate with regards to art design." pic.twitter.com/SdIkxUF5AA
— Matt Alt (@Matt_Alt) April 30, 2021
「キューブリックに『愛された』『魅せられた』二人の男! モンスター的巨匠が垣間見せる等身大の姿【後編】」に続く
文:谷川建司
『時計じかけのオレンジ』『キューブリックに魅せられた男』『キューブリックに愛された男』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「特集:奇才キューブリック」で2022年12月放送
https://www.youtube.com/watch?v=qJmE8z5XTys