『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』等の映画でも知られる小説家・佐藤泰志の短編小説を、脚本・高田亮、監督・城定秀夫のタッグで映画化した『夜、鳥たちが啼く』が、2022年12月9日(金)に劇場公開を迎える。
若くしてデビューするも、生みの苦しみに悩まされ、停滞した日々を送る小説家の慎一(山田裕貴)。同棲中の恋人に去られてしまった彼のもとに、友人の元妻・裕子(松本まりか)と息子アキラ(森優理斗)が引っ越してくる。歪な共同生活は、ふたりの傷ついた心を少しずつ癒していき――。孤独な人々のつながりを淡々と、かつ情熱的に描いた本作。
BANGER!!!では、本作が5度目の共演となる山田裕貴と松本まりかにインタビュー。「似た者同士」と共鳴し合うふたりが、撮影の舞台裏から演技の深奥、言葉に対する想いまで率直に語り合った。
頭で考えるのではなく、自然と「思う」領域にまで行けた
―作品を拝見して、慎一と裕子の距離感が絶妙でした。城定監督とはどのようにディスカッションされて作っていかれたのでしょうか。
松本:もちろん濃密なシーンのある作品なので撮影に入る前に多少の打ち合わせはありましたが、話し合いながら作ったというより、どちらかというと見守ってくれているような現場でした。
山田:そうですね。自由度がある感じでした。ここで手をつないでほしい、といったような動きの指示はありましたが、それは現場の日常なので変わったことではなく。逆に、どんな間(ま)や動きでも撮ろうとしてくれた印象の方が強いです。
―慎一と裕子は「付き合う」「結婚する」といった言葉では分類できない関係に安らぎを見出す人物かと思いますが、そうしたある種、言語化できない関係性を表現するのは、非常に難しいものなのではないかと感じます。自由度の高い現場であれば、なおさら表現力が求められるというか。
山田:これを「お芝居」として表現しようとすると、逆に“やってる感”が出すぎてしまうと思うんです。だからこそ、葛藤や怒り、悲しみといった感情を全部、自分の心の中から出そうという想いが強くありました。そしてそれは、とどのつまり自分の経験でしかなく、そこから生まれた感情を増幅させて慎一に当てはめるような作業でした。
(松本)まりかさんと会話しながら、心地よい間だったり「いま言いたいな」というタイミングで話す、というか。何か考えていたというよりも、“自然とそこにいた”感覚がすごく強かったです。
松本:私も、考えるよりは“無”でそこにいました。現場でつかむというより、自分がそこにいて、山田くんがいて、森優理斗がいて、オフの時間もすべてが役作りになった感じがします。オフのときに山田くんと優理斗が遊んでいるのを見ながら、裕子という人間が少しわかるというか。台本の中で分からないところを想像するよりも、目の前で生きている人を見つめるほうが感情や感覚、気づきといったすごく色々なものがもらえて、豊かな時間でした。人を見ているだけで幸せと思えたのは、現場じゃないとわからないことだったと思います。
―先ほどの山田さんのお話にあった「感情の増幅」にも通じますね。松本さんが感じることが、裕子の感じることになっていく。
松本:そうですね。感覚としてはきっとそうだと思います。
―となると、約2週間の撮影期間ずっと感性を開きっぱなしにしないといけないような感じだったのでしょうか。
松本:多分その感覚すらなく、自然と「自分ってこういう人間だったのかな?」と思っちゃうくらい役と同化していたように感じます。3人でいるときの幸せな感覚なんて、まさにそうでした。
役者自身の内面を見抜いたキャスティング
―山田さん・松本さんはこれまで数多くの人物を演じてこられましたが、そういった体験は珍しいものなのでしょうか。
山田:「自分がこう思うから役もこう思う」になれた瞬間が台本を超えた瞬間だと考えているので、逆にどの現場でもそういった場面を多く作らないといけないとは思っているのですが、ここまでカチッとはまっていくことは、なかなかないと思います。
松本:私も現場ごとに気づくことはありますが、今回においては台本を読んだときにわからなくちゃいけなかったもの――裕子が見つける幸せの神髄が、ちょっとわからなかったんです。わからないまま現場に入って、やっていく中で思いがけず体感としてわかってしまったのが新鮮でした。個人的にはもっときつくて苦しい……という気持ちになるんじゃないかなと思っていたら、「眺めているだけで幸せ」という感覚が自分の中から生まれてきて。そんなことが分かるとは思っていなかったんです。
この気づきは、私にとっても裕子のラストシーンにとっても、とても大事で絶対に必要なものだけど、それが偶発的に生まれたということが本当に奇跡的な体験でした。
―なるほど……。それは演出側からすると、ある意味不確定要素が大きいということでもありますよね。山田さんと松本さんが「見つける」ことを信じて見守るわけですから。
松本:そうですよね。いま思うと、託してもらっていたのかな。
山田:これを見抜いていたんだとしたら、ちょっと恐ろしいですよね。役じゃなくて、役者本人が「いまこういうことを感じているんだろうな」「こういう人間だろうな」「こういうことをしたら気づくだろうな」というところまで考えてのキャスティングだとしたら……。
松本:怖いね(笑)。でもそれって、すごく俳優を信頼するということでもありますよね。じゃないと言いたくなっちゃうじゃないですか。自分が監督だったら絶対に言っちゃうと思うけど、それを言わずに気づくように仕向けるって、すごいですよね。
準備期間が0日の現場も!? “本物でいたい”からこその葛藤
―日本映画の現在のスケジュール感として、準備期間が必ずしもたくさんあるわけではないと思います。だからこそ、この方法論は理に適っていると思いつつ、やっぱり勇気が要るものだなと。
山田:いま、特に“ない”ふたりでしょうしね。
松本:準備期間が0日というときもありますから。
―えぇっ……!?
山田:台本を読んでいる時間も入れられるなら0日ではないけど、感覚的には0日です。そのためにリハーサルをして……ということもないですし。
松本:そういうやり方は、できればもうしたくないなって思っています。
山田:ただ今回はある種、放り出されたからこそ気づけた部分もあったかと思います。考えたことじゃなく、その瞬間で起こった全てというものでしたから。
松本:そうだね。与えられたものではなく自分自身が感じたことって、一生残っていくものだと思います。
山田:わかります。俺も感覚が変わったもんなぁ。まりかさんもそうだと思うけど、本物でいようとする、お芝居にしようとしないからこそ、そこに行けたのかなというのも一理ありますね。
―常日頃からそういった意識を持っているから、もう既に積み上げがあったといいますか。
山田:はい。まりかさんも取材で同じことを話していて、一緒だ! と思いました。
松本:山田くんから出てくる言葉が「それ私も思っていたことなんだけど言われちゃった……」というものばかりで。あまりそういう言葉を言ってくれる人がいないので、似た者同士なんだなと思います。
SNSでの発言が真意通りに受け取られない、それでも諦めない
―傍から見ていると、おふたりは言葉に対してものすごく真摯に向き合われているといいますか、畏怖を感じたうえで発信されているように感じます。今回の慎一と裕子も、言葉を発することは何かを決定づけてしまうこと、という感覚を持っていますよね。山田さん・松本さんの、いま現在の“言葉”に対する想いを教えて下さい。
山田:言葉に対する怖れがあるから、こういうつながり方になるんだろうなと思います。文字を残すことは、相手の感性やら何やらすべてを縛って「これです」と提示するものでもある。そうじゃないんだよなと思いながら、伝えています。
やっぱり、受け取り方や色々なことを考えながら発信するのですが、思っていることはそうじゃない。でも受け取られ方が言葉に縛られるから、ない方が楽だなと思います。でもこれを伝えることをやめちゃったら、この世に理解者が現れない、と思ってしまう。なおかつ応援してくれている人たちに対して吐き出すのであれば、その人たちをまずは一回信じる。
「あ、そう伝わるのか。無理だ……。会話すら意味ないな」と思う瞬間はあります。本当に言葉を尽くせばどうにかなるかもしれないけれど、言葉を尽くしても合わない人は合わないし、捉え方が違う人はずっと違う。だから、ただただ諦めていないだけです。伝え続けるしかない。
松本:本当にそう! 私は思考を発信すると、すぐ「闇ツイート」とか言われちゃいますが、表現の自由はないのかと思ってしまうんです。別に誰かを傷つけている言葉ではないですし。
山田:そう! そこはきちんと考えたうえで出しているし。
松本:自分の内面的なものを表に出してみただけなんですよね。闇ツイートとか言われちゃうけど、意外と俳優さんやクリエイターの方から「めっちゃ共感する」「すごくわかる」とたくさん連絡をいただけて。だから、わかってくれている人も救われている人たちもいるし、私も山田くんのそういった(内面を出した)ツイートを見るとすごく救われるんです。
山田:「あ、(同じ感覚の人が)いた」って。
松本:そう、“いた”って。自分の顕在化していなかった部分に気づけるし、大事なことなんだけど、「病んでいる」という風に捉えられてしまう。歌詞や小説だったらドロドロのことを書いても許されるのに、SNSで書くと「SNSはそういうものじゃないから」と言われて、「それは誰が決めたの? 私はこういう使い方をする」と思っています。
みんなが心配するのもわかるのですが、ただ単にこういうことを表現する人がいないというだけでは? とも感じます。そういった意味では、パイオニアなのかもしれません(笑)。
山田:そうそう。第一人者ですよ。
俳優は“心”を使う職業、人間であることを忘れないで
―おふたりのお話、すごくわかります。発信者と受信者の感覚はやっぱりどこかズレているものだと感じますし、「俳優がそういうことをしたらダメ」というよくわからない何かがありますよね……。
山田:そういう風に見ているからですよね。内面をさらけ出さない、言わないと思っている表れだと感じます。人間であることを忘れているというか。
松本:私たちは心を使う職業だから、考えざるを得ないんですよね。だから逆に、「俳優さんってこんなことを考えてるんだ」と、ただのエンタメとして面白がってもらえたらとも思います。心配してほしいわけでもないし、心の中を外に出してみたらこんなに面白い言葉が出てきたよ、くらいに受け取っていただけたら。
みんなが変な風に取るからそれを止めるのか、でも私はやっぱり表現し続けたいと思っていたときに、山田くんが同じことを言っていたから、すごく嬉しかったです。
―伝えることを、諦めない。
松本:はい。諦めたくないなと思います。
―松本さんがいまおっしゃってくださったように、役作りの過程だと思います。言葉を纏ったときに生々しいものに見えるかもしれないけど、ものづくりってそういうものですし……。
松本:そうなんです。多様性を理解する、ではないですが「SNS上にそういう俳優がいてもいいじゃん」と認め合えるようになれたら面白いなと思います。
山田:人の許容量が狭くなってしまっているのかもしれないですね。
―他者を想像する、余白や空白の部分を理解する動きがもっと広まっていくことを願います。本日はありがとうございました!
山田・松本:ありがとうございました!
取材・文:SYO
撮影:落合由夏
『夜、鳥たちが啼く』は2022年12月9日(金)より新宿ピカデリーほか公開
『夜、鳥たちが啼く』
若くして小説家デビューするも、その後は鳴かず飛ばず、同棲中だった恋人にも去られ、鬱屈とした日々を送る慎一(山田裕貴)。そんな彼のもとに、友人の元妻、裕子(松本まりか)が、幼い息子アキラを連れて引っ越してくる。
慎一が恋人と暮らしていた一軒家を、離婚して行き場を失った2人に提供し、自身は離れのプレハブで寝起きするといういびつな「半同居」生活。自分自身への苛立ちから身勝手に他者を傷つけてきた慎一は、そんな自らの無様な姿を、夜ごと終わりのない物語へと綴ってゆく。書いては止まり、原稿を破り捨て、また書き始める。それはまるで自傷行為のようでもあった。
一方の裕子は、アキラが眠りにつくと、行きずりの出会いを求めて夜の街へと出かけてゆく。親として人として強くあらねばと言う思いと、埋めがたい孤独との間でバランスを保とうと彼女もまた苦しんでいた。そして、父親に去られ深く傷ついたアキラは唯一母親以外の身近な存在となった慎一を慕い始める。慎一と裕子はお互い深入りしないよう距離を保ちながら、3人で過ごす表面的には穏やかな日々を重ねてゆく。だが2人とも、未だ前に進む一歩を踏み出せずにいた。そして、ある夜……。
監督:城定秀夫
原作:佐藤泰志「夜、鳥たちが啼く」(所収「大きなハードルと小さなハードル」河出文庫刊)
脚本:高田亮
出演:山田裕貴 松本まりか
森優理斗 中村ゆりか カトウシンスケ
藤田朋子 宇野祥平
吉田浩太 縄田カノン 加治将樹
制作年: | 2022 |
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2022年12月9日(金)より新宿ピカデリーほか公開