『バーフバリ』シリーズ等で知られるS.S.ラージャマウリ監督が、最新作『RRR』を携えてBANGER!!!に登場。主演のNTR Jr.&ラーム・チャランとの来日を控えるタイミングで、たっぷり語ってくれたインタビューの後編をお届けする。
マルチリンガル時代のインド映画
―(国内の様々な言語によって分かれた)複数の映画界が並立するインド映画の世界で、監督は『Eega』(ヒンディー語作品『マッキー』[2012年]のオリジナルであるテルグ語版の題名)から始め、マルチリンガル化の先頭に立ってきました。やがて「汎インド」というフレーズがテルグ語映画の関係者から誇らしげに口にされるようになりました。こうしてインド映画(映画界、映画市場の二つの意味において)は一つのものになっていくのでしょうか。なっていくことが望ましいのでしょうか。
業界間には常に競争があります。より良い成果を求めていけば業界内での競争になり、それは望ましいものです。ちょうど学校の教室で生徒たちがより良い成績を上げようと競うのと同じで、悪いことは何もありません。
相互の助け合いについても話しましょう。私はいつも「誰かを助けたい」と思っています。たとえばVFXに取り組み始めた時、そのことを秘密にはしませんでした。私がしていることを人々に知ってほしかったのです。尋ねられれば、いつでも話す用意がありました。オープンな雰囲気を保ち、同じことを次にしようとする人々が出てきたら、私たちの試みから必要な情報を得て前に進むことができるように。こうしたオープンさは我々の業界全体を高め、私もそこから得るものがあるのです。
一方で私は、物語というものが言語の壁を越えることができると強く信じています。巧みに語られる物語があれば、言葉は越えられない壁ではないのです。これは本当に強く信じていることです。けれども『マガディーラ 勇者転生』(2009年)では、当時組んでいたプロデューサーは作品の力を信じず、他言語での公開をしませんでした。その時以降、私はプロデューサーに、まず最初に「多言語展開をする」ことを強調して話すようにしています。映画が、あるいは物語が、境界を越えていけるかどうかを。全ての物語が越境できる訳ではありませんが、越境の可能性があるのなら、それに向けて努力すべきです。
『Eega』は、そもそもは私の住むテルグ語の州の市場のため製作され、他の州でも公開されることになりました。その後、『バーフバリ 伝説誕生』(2015年)は南インド諸州から北インド諸州に広がっていき、『バーフバリ 王の凱旋』(2017年)は日本など幾つかの外国でも受け入れられました。そして今『RRR』は、アジアだけでなく欧米でも観られるまでになりました。これが目の前に伸びる“進むべき道”であり、私はその道を行く人を手助けしたいと思っています。
例えば『K.G.F』(2018年/2022年)というカンナダ語の映画があります。この作品の映像作家たちは本当に心血を注いで、この映画を製作したのです。しかし、この作品はあまり知られていませんでした。彼らは私にラッシュ(未編集段階の映像)を見せてくれたのですが、それは素晴らしいものでした。そこで友人たちに電話をかけまくり、「この映画はインド全国で公開されるべきだ。それにふさわしい秀作だ」と言いました。知る限りの人々に話し、この映画の全国公開の手助けをしたんです。
また、『Brahmāstra: Part One – Shiva』(2022年)という映画があり、基本的にはヒンディー語作品なのですが、製作者は南インドでの公開も望んでいました。私は彼らと会い、協力することになり、南インド市場での宣伝に私の名前を貸しました。自分にできるやり方で助けたのです。つまり、この相互協力という考え方、その実際の事例は、我々のネットワークを強化し、業界全体を高めていくのです。誰もがその恩恵を受けることができるし、私はこうしたプロセスにはできる限り協力していきます。
筆者注:多言語の国インドでは、映画界も言語ごとに分かれて並立していることは、日本でも知られるようになってきた。最大の映画界は、ムンバイを本拠地にして北インドを主な市場とするヒンディー語映画。ベンガル語やタミル語など、それ以外の言語の映画は、「地方語映画」と呼ばれ、全国的に流通することは少なかった。
インド人の観客は、自分の母語で映画を見ることへのこだわりが強い。そして字幕を嫌い、吹き替えは安っぽいものとみなす傾向もある。さらには俳優の見た目や作品のテーマに対する嗜好にも地域差が大きい。こうしたことから、インド映画は国内に言語のバリアが張り巡らされていた。
地方語映画のひとつであるテルグ語映画界を本拠地とするラージャマウリ監督は、明確な目的意識をもって自作の多言語同時製作・同時公開を試み、『バーフバリ 王の凱旋』でそれを手法として完成させた。同作の全国的なヒットによって、インドでは「汎インド映画(Pan Indian Movie)」という言葉がもてはやされるようになり、カンナダ語圏で作られ全国を席巻した『K.G.F』2部作など、多言語超大作が堰を切ったように多数現れることになった。
テルグ語映画の「テルグらしさ」と汎インド映画との関係
―1930年代にインド映画がトーキー化して以降、テルグ語映画はテルグらしさ(Telugu naitivity=Teluguness)を追求してきました。それがここに来て汎インド映画を指向するというのは、なぜなのでしょう。この二つは矛盾はしないのでしょうか?
矛盾はありません。私たちが考える「テルグらしさ」とは、文化とか、思いを表現するためのスタイルを示します。「汎インド」であれ「ワールドワイド」であれ、異なる文化圏に作品を送り出す何らかの力があるとすれば、それは“エモーション”です。
ある種の物語は基本的にテルグ文化に属します。それはジョークや文化的背景などによって決まり、限定された地域の出来事を語るため、地域特有の物語となるでしょう。けれども、物語が人間の基本的な関係性、つまり母と娘、夫と妻、友人関係などを扱うものなら、それは特定の人々だけではなく、誰にでも起きる物語となるでしょう。ですから、物語がそれらを扱うものであるならば、基本的にはその映画は言語の障壁を超えられるはずです。
テルグ語映画の話をしてきましたが、一旦それは忘れましょう。どの言語の映画であれ、他の言語圏や他の国に広めるために、自分が拠って立つところを忘れたり、自分の同胞よりも他所の人々を重く見たりしたら、それは上手くいかないでしょう。それでは「汎インド映画」にはなり得ません。それどころかテルグ語映画にもならない。つまり、我々は物語の語り手として、私たち自身が何者であるか、そして語っているのが私たち自身の物語であることを、強く意識しなければならないのです。
筆者注:インド映画がトーキー化した1930年代から長い間、南インド諸言語の映画はタミル語圏の中心地であるタミルナードゥ州マドラス(現チェンナイ)で作られていた。テルグ語映画界が、現在の本拠地ハイダラーバードへの移転を完了したのは1990年代。マドラス時代のテルグ語映画は、ストーリーラインから始まりセットやエキストラの衣装に至るまで、いかにしてテルグらしさを表出していくかということが大きな課題となっていた。
2つのテルグ語州、1つのテルグ語映画界
―ビームのモデルとなったコムラム・ビームはテランガーナ人、ラーマのモデルとなったアッルーリ・シーターラーマラージュは沿海アーンドラ人です。この2人の友情の物語は、テランガーナとアーンドラの友情と読み替えられるように思います。2014年の分割の前後のテルグ語映画界の、不安定な日々を覚えています。テルグ語映画界がこれからも2つのテルグ語州共通の映画界であり続けることについては楽観的ですか?
ええ。テルグ語を話す州が2つに割れたあの日々は、私にとって悲しいものでした。分離したこと自体はいいのです。それは2つの地域をかっちり分けるだけのことでしたから。しかし、そこには大きな不安があり、当事者たちの間で汚い言葉の応酬がなされました。同じ言語を共有する兄弟が反目し合ったのです。不安と怒りをお互いがぶつけ合うのは悲しいことです。
人々は誰かを見かけた途端に「君はアーンドラ人か、テランガーナ人か」と尋ねるようになりました。同じ言葉を話す私たちが、あのような形で別々になる必要はなかったのに。しかし反目は強固な地盤の上にあり、理性の声は押しつぶされました。私は心の奥底で「我々は分割されることはなく、我々はひとつである」という物語を語りたいと思っていました。だから、その思いが再び浮上してきた時に、「これはいいじゃないか。我々はお互いにアーンドラ人だ/テランガーナ人だと言って争っているが、我らがヒーローたちは友人同士だ」と思いました。歴史上で実際に起きたことではないにしてもです。
人々がまるで神に対するかのように仰ぎ見たこれらのリーダーたち、その彼らの間の友情、それぞれの地域がなぜ彼らを生み出したか――これらについて語るのは気持ちのいいことです。そんな風に心の中で考えていました。そして幸いなことに、今はもうあの時のような怒りはありません。人々はそれらを過去のものとしていて、現在は何も問題はありません。
筆者注:2014年6月、インド独立前にはハイダラーバード藩王国の領土であったテランガーナ地方は、インド29番目の州として、アーンドラ・プラデーシュ州からの分離を果たした。分割の決定がなされたのは2013年のことだが、その前後にはテルグ語圏の社会全体を不穏な雰囲気が覆い、大作映画が何カ月も封切り延期になるほどだった。そして分割後のテランガーナ州とアーンドラ・プラデーシュ州は、政治的にはかなり仲の悪い隣人同士となった。
現テランガーナ州の州都ハイダラーバードを本拠地とするテルグ語映画界は、実はアーンドラ・プラデーシュ州沿海部をルーツとする人々が大多数を占めており、テランガーナ分離を求める人々からは敵視されることもあった。上述の分割決定前後の不穏な時期には、テルグ語映画の屋外ロケにテランガーナ分離派の運動家が押しかけて撮影を妨害するなどの事件も数多く報告された。
取材・文:安宅直子
『RRR』は2022年10月21日(金)より全国公開
『RRR』
舞台は1920年、英国植民地時代のインド。
英国軍にさらわれた幼い少女を救うため、立ち上がるビーム。大義のため英国政府の警察となるラーマ。
熱い思いを胸に秘めた男たちが運命に導かれて出会い、唯一無二の親友となる。しかし、ある事件をきっかけに究極の選択を迫られることに。
彼らが選ぶのは、友情か?使命か?
監督・脚本:S.S.ラージャマウリ
原案:V・ヴィジャエーンドラ・プラサード
音楽:M・M・キーラヴァーニ
出演:NTR Jr. ラーム・チャラン
制作年: | 2022 |
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2022年10月21日(金)より全国公開
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実施期間:2022年10月13日(木)~2022年10月27日(木)