クリストファー・ノーラン作品の音楽
緻密な科学的考証で奇抜なアイデアに現実味を持たせ、鮮烈な映像表現で難解な物語をエンターテインメント大作に仕立てる稀代の映像作家クリストファー・ノーラン。示唆に富む彼の作品では、音楽の中にも物語のテーマや謎を解くヒントが隠されていることが多い。
CS映画専門チャンネル ムービープラスでは『プレステージ』(2006年)、『インセプション』(2010年)、『インターステラー』(2014年)、『TENET テネット』(2020年)のノーラン監督作品4タイトルが2022年9月に一挙放送されるので、これらの音楽の注目ポイントを簡単にご紹介したいと思う。
『ダンケルク』に先駆けて「シェパード・トーン」を導入していた『プレステージ』
二人の天才マジシャンの確執を描いた『プレステージ』の音楽は、ノーランの大学時代からの友人であり、『フォロウィング』(1998年)、『メメント』(2000年)、『インソムニア』(2002年)でタッグを組んだ作曲家のデヴィッド・ジュリアンが担当した。物語の舞台は19世紀末だが、ノーランは時代に忠実な音楽は求めていなかったという。マジックが成功する期待感を音楽で表現したいと考えたジュリアンは、オーケストラと電子音を組み合わせ、「今から何かが起こりそうだ」という緊張感が持続するようなサウンドを作り出した。
旋律的な高揚感が薄く、ジュリアンも少々マイナーな作曲家だったため、劇場公開時に彼の音楽が話題になることはほとんどなかった。それゆえジュリアンが本作のスコアで「シェパード・トーン(無限音階)」を実験的に導入していたこともあまり知られていない。これはハンス・ジマーが『ダンケルク』(2017年)の音楽で用いた時に注目を集めたテクニックだが、ジュリアンはジマーに先駆けてこれを実践していたのである。
科学書から音楽の着想を得た『インセプション』
濃密な心理ドラマと超絶技巧のアクションが多層構造の夢の中で繰り広げられるクライムスリラー『インセプション』は、『バットマン ビギンズ』(2005年)からノーラン作品の常連作曲家となったハンス・ジマーが音楽を担当。「複雑な物語の中で観客を感情的、地理的、時間的に導いていく、音楽とサウンドデザインが融合したような曲」というノーランの難しい要求に応える見事なスコアを作曲した。
ジマーはリサーチのため科学書「ゲーデル、エッシャー、バッハ – あるいは不思議の環」を読み、“数学における遊び心と、音楽における遊び心の融合”に面白さを見いだして曲作りの着想を得たという。オーケストラと電子音を融合させた重厚な音楽を作っていく過程で、ジマーはアクセントとなる音色としてギターが欲しいと考え、ザ・スミス、エレクトロニック、ザ・ザ、モデスト・マウス、ザ・クリブスなどで活躍したギタリストのジョニー・マーに演奏を依頼。この仕事を通してジマーと意気投合した彼は、のちに『アメイジング・スパイダーマン2』(2014年)、『ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気』(2015年)、『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2021年)でもジマーとタッグを組んでいる。
そして『インセプション』の音楽では、エディット・ピアフの”水に流して(Non, je ne regrette rien)”を極端にスローダウンさせたフレーズが密かに組み込まれていたことで話題を呼んだが、ノーラン作品におけるトリッキーな音楽表現は、後述する『TENET テネット』へと受け継がれていく。
パイプオルガンで宇宙の神秘と人間性を表現した『インターステラー』
『ダークナイト ライジング』(2012年)の音楽を担当して、ノーラン版『バットマン』サーガの完結を見届けたジマーは、深遠なSF大作『インターステラー』で音楽家としての更なる高みへと到達した。
ノーランは映画のあらすじやジャンルも伝えず、父と子の関係を綴ったメモをジマーに渡して「これを元に音楽のアイデアを書いてみてほしい」と頼んだという。ジマーが一日中スタジオに籠もって作ったデモ曲は、のちに「Day One」と名づけられた。そして「この映画のスコアにパイプオルガンを使うのはどうだろう?」というノーランの提案から、ロンドンのテンプル教会でレコーディングを行うことになった。
ジマーは自身の音楽のトレードマークとも言える推進力のあるストリングスのオスティナートや、畳み掛けるようなリズムといった作風を避け、弦楽器と木管楽器、ピアノ、パーカッション、ハープ、スティールギター、そしてパイプオルガンなどをシンセサイザーと組み合わせたミニマル・ミュージック調のスコアを完成させた。
パイプオルガンの厳かな音色が宇宙の神秘を感じさせ、生楽器による豊かな音の層が「愛だけが時間も空間も超えられる」という普遍的なテーマに人間味をもたらしている。ちなみにジマーは音楽から「空気(の流れ)」が感じられるように、管楽器奏者には「トウモロコシ畑を吹き抜ける風のような音」、合唱団には「サハラ砂漠の砂丘を渡る風のようなコーラス」をリクエストしたのだとか。
音楽も「逆再生」が重要な意味を持つ『TENET テネット』
かくしてノーラン作品に欠かせない作曲家となったジマーだが、彼は原作小説に思い入れのある『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021年)の音楽制作の仕事を選び、『TENET テネット』への参加は断念した。そこでノーランが招聘したのが、『ブラックパンサー』(2018年)でアカデミー作曲賞を受賞したルドウィグ・ゴランソンだった。
「ノーランが吹き込んだ荒い呼吸音をセイター(ケネス・ブラナー)のテーマに使う」、「消防車/火災報知器が発する周波数に似た音をスコアに取り入れる」など、今回も凝ったサウンドに仕上がっているが、「時間の逆行」という物語のテーマと同様に、音楽もまた「逆再生」が重要なポイントとなっている。
「普通に演奏して録音したものを逆再生してミュージシャンに聴かせて、その音を真似して弾いてもらい、それを録音した後さらに反転させる」という頭が混乱しそうな手法を用いて、「Red Room Blue Room」のように逆再生しても構成がほぼ同じになっている曲や、逆再生することで通常再生では聴かれなかった旋律が現れる曲など、リスナーの知的好奇心を刺激する音楽を作り出した。
ゴランソンはその手法にきちんと意味を持たせており、クライマックスの時間挟撃作戦のシーンでも逆再生サウンドが効果を発揮している。そして彼はサウンドトラックアルバムのセルフライナーノーツの中でも以下のように語っている。
ニール(ロバート・パティンソン)の行動は映画の時間軸の中で大きな謎を担っているので、彼のサウンドも逆再生出来ることが重要だった。もし可能であれば、「Meeting Neil」という曲を反転させて聴いてみてほしい。その体験を通して、隠されていた重要なピースが明らかになるはずだ。
このコメントを読んで以来、筆者は本編を何度も鑑賞し、「Meeting Neil」も通常再生/逆再生で繰り返し聴いている。自分なりに発見はあったものの、どれがゴランソンの言う「隠されていた重要なピース」なのかは依然としてはっきりしないままだ。この謎については、皆さん自身で納得のいく答えを見つけ出して頂きたいと思う。
文:森本康治
『プレステージ』『インセプション』『インターステラー』『TENET テネット』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「特集:クリストファー・ノーラン」で2022年9月放送
https://www.youtube.com/watch?v=Us3rAhvfaCE&feature=emb_title