北朝鮮に潜入した男の狂気!!
“事実は小説より奇なり”という言葉がある。イギリスの詩人バイロンの言葉とも、アメリカの小説家マーク・トウェインの言葉ともいう。人が創作した物語よりも現実に起こることの方が遙かに奇妙である、という意味だ。デンマークのドキュメンタリー監督マッツ・ブリュガーの『THE MOLE ザ・モール』(2020年)を見ていて、つくづく現実とは本当に不可思議だなと思った。何しろ、ごく普通のデンマーク人がスパイとなって北朝鮮に潜入し、武器密輸計画を立ち上げるというだけでも相当奇妙なのに、その一部始終をカメラで撮影していたというのだから。世界で一番有名なスパイ007でさえ、こんな危ない橋は渡らないだろう(もちろん007は全世界的に面が割れているから潜入捜査自体が無理なのだが)。
ことの発端は、2006年にマッツ・ブリュガーが国際文化交流を口実に、韓国/朝鮮系デンマーク人のコメディアン2人のマネージャーとして北朝鮮に渡り、独裁国家の異様な言論統制を皮肉ったTVドキュメンタリー『ザ・レッド・チャペル』(2009年に長編映画として再編集)を撮ったことにある。おかげで(当然のことながら)北朝鮮から入国禁止措置を受けたブリュガーに、映画を見た元料理人のウルリク・ラーソンという男が、メールで「自分が代わりにスパイになって北朝鮮に潜入しよう」と言ってきたという。
ラーソンが病気療養中でいくら暇を持てあましていたにせよ、素人が踏み込むには、あまりに危険な領域だ(映画の中でラーソンの動機は、少年時代に東ドイツという独裁国家の弊害を知ったことと説明されるが、本当のところはブリュガーにもよくわからないようだ)。こうして始まったラーソンのスパイ活動が、ブリュガーの決断で終止符を打つまでの10年間の記録が『ザ・モール』である。
対・北朝鮮「ニセ武器密輸大作戦」の一部始終
では、ざっと内容を説明しよう。2011年、ブリュガーにメールを送った後でラーソンは、デンマーク北朝鮮友好協会に接触。会長のアナス・クリステンセンの招きで会員となり、会の活動をYouTubeで宣伝するという口実で、おおっぴらに動画の撮影を始める(結果、活動の記録という名目で、ラーソンはあらゆる機会にカメラを回すことに成功、北朝鮮で武器密輸の契約書にサインするところまで撮影してしまう)。翌2012年に協会のメンバーとして北朝鮮へのツアーに参加、平壌で朝鮮友好協会(KFA)の会長で、映画のキーパーソンとなるアレハンドロ・カオ・デ・ベノスと出会う。
ラーソンはベノスの側近となり、KFAのデンマーク支部を立ち上げて代表となる(このとき、ブリュガーはプロのカメラマンをKFAに入会させ、ラーソンのアシスタントとして行動を撮影させることにも成功する。画質がいいのはこのためだ)。KFAのスポークスマンとして活動していたラーソンに、ベノスから北朝鮮に投資する実業家を探すよう圧力がかかる。そこで、ブリュガーは“北欧の石油王”という触れ込みのニセ実業家ミスター・ジェームスという人物を登場させ、ベノスに引き合わせる。こうしてブリュガーのシナリオによるニセ武器密輸大作戦がスタートするのだが……。
タイトルの“Mole”とはモグラのこと、俗にスパイを意味する。なので私は、この映画のテーマは北朝鮮というよりは“スパイ”の方、つまりラーソンという不思議な男にあるように思えた。ブリュガーが英国の諜報機関・MI5(軍情報部第5課)でスパイのブリーフィングを担当してきた女性を雇い、彼女に話を聞き出させたのは、もちろん映画の進行を容易にするためもあるだろうが、スパイという危険な空間に長年身を置いてきたラーソンの非日常的な精神状態をデトックスする目的もあったように思う。スパイ活動が一人の平凡な人間をどう変えたのか。ラストシーンに人間の不可解さが現れているようで、私には特に興味深かった。
映画の見どころは、すべて本物のスパイ活動の記録にあるのはもちろんだが、次々に登場してくる人物の胡散臭さにもある。筆頭は、もちろん独裁国家北朝鮮の権力にすり寄り、プチ権力者に成りあがったアレハンドロ・カオ・デ・ベノスだろう。“朝鮮一”(チョ・ソンイル)という彼の朝鮮名も笑わせる。それに、実業家ミスター・ジェームスこと、フランス外人部隊出身で麻薬の密輸の前科がある男も相当、胡散臭い。また、創設時には極左の先鋭活動家の集まりだったはずのデンマーク北朝鮮友好協会が、今は時代に乗り遅れた老人会化している様にも感慨がある。
傑作ドキュメンタリー『誰がハマーショルドを殺したか』
監督のマッツ・ブリュガーは1972年生まれ。両親ともにジャーナリストで、自身もジャーナリズムからドキュメンタリーの道に進み、現場に潜入してドキュメントする(ちょっとマイケル・ムーアっぽい)手法でジョージ・W・ブッシュの選挙キャンペーンを現地取材したTVドキュメンタリー・シリーズ『Danes for Bush(原題)』(2004年)などを制作。次いで前述の2006年に北朝鮮に潜入した『ザ・レッド・チャペル』に至る。自作に登場するブリュガーはユーモラスで皮肉たっぷり、一見コメディアンにも見えるが、本質的にはジャーナリストで、『ザ・モール』も徹底的にファクトチェックしたそうだ。まるで全部まるごとやらせのように見えるスパイ大作戦は、本当に本物の“小説より奇なり”な事実なのだった。
ちなみに『ザ・モール』の前に、ブリュガーは『誰がハマーショルドを殺したか』(2019)という傑作ドキュメンタリーを撮っている。ハマーショルドとは、1961年に和平交渉のためコンゴへ向かう途中、北ローデシア(現在のザンビア)で乗っていた飛行機が墜落して亡くなった第2代国連事務総長だ。ブリュガーは長年事故の謎を追い続けてきたヨーラン・ビョークダールとコンビを組んでアフリカ各地を調査し、南アフリカで<南アフリカ海洋研究所(SAIMR/サイマー)>という謎の傭兵組織の存在を突き止める。この結末も驚愕だ。
『ザ・モール』のヒールが胡散臭いB級人物とすれば、『誰がハマーショルドを殺したか』のヒールはすべてA級。特にサイマーを創設、指揮した白人至上主義者のマクスウェル准将という人物は、地上の悪魔といっていい“怪物”だった。『ハマーショルド』と『ザ・モール』の2作は、そういう意味で好一対なのだが、登場する悪人たちの顔には、どちらも心の歪みが現れている。A級の悪魔マクスウェル准将にも、B級の小悪党ベノスにも、同じ歪んだ野望があり、それこそ彼らがA級B級のヒールにはなれても、一流の人物になれない理由なのだと私は思う。
文:齋藤敦子
『THE MOLE ザ・モール』はNetflixで独占配信中
『THE MOLE ザ・モール』
すべての始まりは、マッツ・ブリュガー監督のもとに届いた一通のメッセージだった。メッセージの送り主は、デンマークのコペンハーゲン郊外で妻子と暮らす元料理人のウルリク・ラーセン。謎のベールに覆われた北朝鮮に並々ならぬ興味を抱く彼は、この独裁国家の実情を探る“潜入捜査”のドキュメンタリー映画を作ってほしいという。まずウルリクが目をつけたのは、コペンハーゲンにある北朝鮮友好協会という団体だった──。
デンマークの元料理人が約10年間にわたって自身のスパイとしての二重生活を記録。コペンハーゲン出身で元麻薬密売人の相棒とともに、世界で最も謎に満ちた独裁国家・北朝鮮に潜入する。二人は、長い月日をかけて武器や麻薬を製造及び供給する北朝鮮の国際犯罪組織の中枢へと潜り込んでいく。商談を重ね、契約を結び、やがて主人公はアフリカ某所で兵器と麻薬の密造工場建設計画に深く関わることとなる…。
監督:マッツ・ブリュガーすべての始まりは、マッツ・ブリュガー監督のもとに届いた一通のメッセージだった。メッセージの送り主は、デンマークのコペンハーゲン郊外で妻子と暮らす元料理人のウルリク・ラーセン。謎のベールに覆われた北朝鮮に並々ならぬ興味を抱く彼は、この独裁国家の実情を探る“潜入捜査”のドキュメンタリー映画を作ってほしいという。まずウルリクが目をつけたのは、コペンハーゲンにある北朝鮮友好協会という団体だった──。
デンマークの元料理人が約10年間にわたって自身のスパイとしての二重生活を記録。コペンハーゲン出身で元麻薬密売人の相棒とともに、世界で最も謎に満ちた独裁国家・北朝鮮に潜入する。二人は、長い月日をかけて武器や麻薬を製造及び供給する北朝鮮の国際犯罪組織の中枢へと潜り込んでいく。商談を重ね、契約を結び、やがて主人公はアフリカ某所で兵器と麻薬の密造工場建設計画に深く関わることとなる…。
監督:マッツ・ブリュガー
出演:ウルリク・ラーセン
出演:ウルリク・ラーセン
制作年: | 2020 |
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