女性の月経はほぼ全ての女性差別の根源になってきた。日本でも最近女性が土俵に上がったと問題視された。この映画はパキスタンではまだ上映禁止だという(2018年10月初め時点)。月経期間に入った時点で、インドの女性は「穢れ」として寺院への立ち入り、ある種の食物に触れることを禁じられる。
とはいえ、月経という神秘的な事象は女性を結束させる面も併せ持っていて、映画の主人公の善意はこの壁に跳ね返され続ける。彼が安価な生理用品(以下パッド)を創り出そうとする動機は愛妻が伝統的なぼろ布で月経に対処、映画では描かれないが、経血を灰か砂に吸い取らせる非衛生さと有効なパッドの高価さ(ファーストフード店のドリンクの10倍近い価格。5人に1人という膨大なインドの貧困女性には手が出ない金額。インドのパッドの使用頻度は20%で、50%のタイ、インドネシア、中国より遙かに低い)に対する怒りに端を発しているのだが、肝心の愛妻自身、夫の努力を峻拒、息子を恥じた老母は家出、娘の嫁ぎ先へ避難する。
主人公は綿で作ったパッドで動物の血を覆い、女性のパンティをはいて実験するまで突き進むが失敗。インドでは最も早く開発され、後生宗主国イギリスの気風を吸収した北インドのデリー市南部出の愛妻の兄は妹を離婚させようと力む。
この映画では、夫と世間(兄と姑)の板挟みで苦しむ妻ガヤトリ役の女優、ラーディカー・アープテーのほうが複雑な演技を求められる。特に実家の兄が兄嫁の健康を無視する姿から自分の夫の配慮に気づく場面はそうだ。この映画の主題は前近代から近代へと突き抜ける呻きなので、この呻きを月経に対する古い姿勢とパッドへの偏見との板挟みに懊悩するという重層的な演技を要求される。なお映画の舞台はインド中央部最大のヒンディー語圏マディヤ・プラデーシュである。
映画ではラクシュミがインド女性等の「迷信」に振り回わされることが描かれるが、彼はガヤトリより単純な演技を求められるだけですむ。例えば彼は愛妻を自転車に乗せて走り回るのだが、愛妻用に横座りできるクッションつきの椅子を荷台にとりつけてやる(彼の職業は、機械工)。ラクシュミを演じる人気俳優アクシャイ・クマールはこれだけの 愛妻家なのに七難ハ苦を課されてかわいそうという観客の同情と人気が一層高まる仕組みだが、ガヤトリの場合、彼女の悩みは演じ難い。
主人公には実在のモデル、ムルガナンダムがいるが、彼はインドでも最も開発が遅れてきたインド南部のタミル人である。ヨ-ロッパ風の顔立ちを持つ他地域のインド人に比べて異風の容貌を持つ彼らドラヴィダ人は長らく偏見にさらされてきた。彼が生まれた家は手織り職人だった。父を交通事故で亡くしたムルガナンダムは学校に通うが、それも14歳まで。その後、様々な仕事に従事した。その彼が愛妻シャーンティを非衛生な月経処理から守れる安価な製法を編み出すまでの努力は、映画に再現されている。 シャーンティもガヤトリ同様夫を見限るのだが、彼はめげずに借金を原資に、3500万ルピーと高額な輸入品を大きく下回る6万5000ルピーのパッド製造機を作り上げる。当然、企業が言い寄ってくるが、彼はこの機械をインドの貧しい女性たちに解放、映画のように貧しいインド女性の自活の道を開く。
2014年、ムルガナンダムは<タイム>誌で「最も影響力のある100人」に選ばれ、映画のように「パドマ・シュリ賞」(インドで4番目にランクされる)を受賞する。彼についたあだ名は「パッドマン」ではなく「月経男」で、これは彼の記録の題名でもある。
映画では有名女優ソーナム・カプールが、主人公を売り出すパリーを演じるので、ガヤトリはよけい真価を演じ難くなる。主人公が開発したパッド製造機は貧しい女性に解放されるが、その恩恵に浴した彼女らは製品に「パリー」の名を冠する。大学教授を父に持ちパリー(妖精)の呼称でよばれるこの女性はインド近代化の最先端を走る人物だが、前近代から近代へと移る呻きを知らず、外形から近代に関与するタイプである。迷信と前近代の渦中で呻きつつ、妻を非衛生な月経処理から救出したいラクシュミやムルガナンダムが背負い込んだ苦労とは無縁で、インド風の衣装で華やかに世界の舞台を席巻できる(国連でインド衣装身を包んだ彼女の姿はその典型)。そして脚光を浴びられる場である受賞式や国連などの晴れ舞台へとラクシュミを引っ張り出し、併せて彼の呻吟の成果を横取りできる。パッドにも「パリー」の名を商品登録に使わせる。まさに「濡れ手で粟」の“妖精”である。どの国でも前近代から近代へと突き抜けるにはこのタイプが活躍してきた。
大学教育を受けていないヒンズー語圏で生きてきたー主人公ゆえに、彼の英語は、かなり稚拙である(特に国連での演説ではムルガナンダムの英語に近づけている印象がある)。その武骨さがかえって国連会場の感動を呼ぶのだ。
文:越智道雄
明治大学名誉教授
1936年、愛媛生まれ。1965年広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1966年玉川大学文学部助教授、1970年明治大学商学部助教授、1975年教授、2007年定年退職、名誉教授。英語圏の政治、文化、社会研究者。日本翻訳家協会評議員。映画の造詣が深く、パンフレットへの執筆など多数。
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