第75回カンヌ映画祭でエキュメニカル審査員賞に選出され、ソン・ガンホが最優秀男優賞に輝いた『ベイビー・ブローカー』。ベイビー・ボックス(赤ちゃんポスト)に託された赤ちゃんを中心に、赤ちゃんを売ろうとするブローカー、母親、追跡する刑事らが織りなす旅は、是枝裕和監督がパルムドールを受賞した『万引き家族』(2018年)の双子のようでもあり、未来への希望が感じられる。
宝物にしたいようなセリフとシーンが詰まったこの映画について、そして映画界の未来に対する想いについて是枝監督に話を聞いた。
「赤ちゃんの未来という共通の課題」
―赤ちゃんを一度は捨てたソヨン(イ・ジウン)に対して、「産まない選択もあるのに」という刑事スジン(ペ・ドゥナ)のセリフがありますが、産む、産まないは女性の権利だけれど、“生まれた子どもは社会で育てよう”ということを、この映画から一番感じました。
ベイビー・ボックスに捨てられた赤ちゃんを、社会というもう一つのボックスが見守っていく。もちろん物語の中には悪い人もいるけれども、近くにいる人は近くで、もう赤ちゃんのそばにいられなくなった人は遠くから見つめていく、というのが美しいのではないか。そういう着地に観ている人もなるといいな、と思って作りました。
スジンは冒頭で、「捨てるなら産まなければいいのに」と、母親に対してあまりに無理解なセリフをつぶやきます。彼女の目には父親の存在が見えていないし、社会の責任も見えていない。そのスジンの気持ちを映画のラストで、どこまで変えられるか。その想いを観客にどこまで共有してもらえるかが勝負だと思って作りました。
―ベイビー・ボックスは、韓国では利用件数が近年非常に多いそうです。生命を守る取り組みであると同時に、赤ちゃんを預ける人が多いからベイビー・ボックスがあるのか、ベイビー・ボックスというものがあるから捨て子が増えてしまうのか、という難しい問題もあります。
韓国で取材していく中でも、その制度自体が捨て子を助長するという、とても女性に厳しいスタンスの人たちもいました。韓国でベイビー・ボックスを運営している側は、預けに来た女性に「生命を守ってくれてありがとう」という感謝の言葉を述べるようにして、決して母親を責めないという立場をとっているんです。
そういう母親に対して、「捨てるなら産まなければいいのに」という無理解な一言を刑事のスジンに冒頭で言わせたんですが、そういう目線には、見えていないものが色々あるんじゃないか。その辺りが、物語が進んでいくなかで見えてくるといいなと思いましたし、映画の中でも外でも、みんなが生まれてきた赤ちゃんの未来をどう考えていくのか、ということを共通の課題として描いたつもりです。
「血縁以外のもので繋がった人々を“家族”と呼んではいけないのか?」
―『ベイビー・ブローカー』以前にも、『万引き家族』、『そして父になる』(2013年)など、監督は疑似家族や、血のつながらない家族を作るという映画を撮られていますが、ご自身の背景と関係はあるのでしょうか?
自分の個人的な家族関係について作った映画は、そんなに多くないんです。僕が家族を撮ったのは『誰も知らない』(2004年)が最初だと思いますが、社会的な矛盾が端的に現れるのが、子供と女性だと思うんです。特に今、日本もそうですけれど、社会的な色々な制度からこぼれ落ちてしまう、見えなくなってしまうような皺寄せが、女性と子供に重圧として一番かかっている気がしている。だから、福祉などの制度からこぼれている人々を主人公に、彼らが集まって家族的な共同体を作るという物語に惹かれているのかなあ、と言われてみると思いますね。そういう映画を作ろうと思って作っているわけではないのですが。
日本も韓国も、家族観において血縁がまだまだ非常に重視される国だから、家族への考え方が法律的にも古めかしくて、現実を捉えきれなくなっている。その仕組みの外側で“家族的な集団”をなしている家族を描くことで、昔からの家族というものを相対化している、というか。血縁以外のもので繋がった人々を「家族」と呼んではいけないのか? 反語的ですけど、そういうこともあるかもしれません。難しいですね。
―ペ・ドゥナ演じるスジンにも子供を授からなかったという葛藤があり、そこに私は同調してしまい、カンヌの公式上映で大泣きしてしまいました。女性と言っても、母親になりたくてなれなかった人、なったけれど育てられない人など様々ですが、母親になりたくない人、というのはなかなか映画などには出てこない気がします。
いろんなタイプの女性を出したいとは思ったけれども、今回の題材ではそれは出しにくかったですね。イ・ジウンさん演じるソヨンが、映画の冒頭でそう見える形にしましたが。やるならペ・ドゥナの役かもしれないですね。
「カン・ドンウォンには“悲しい背中を撮る”と伝えていた」
―主人公サンヒョンを演じるソン・ガンホをはじめキャストは誰もが最高ですが、旅に加わる少年ヘジンを演じたイム・スンスくんがとても印象に残りました。彼は、まるでソン・ガンホさんの子供かと思うくらい似ていますよね(笑)。彼のおかげで映画の明るさが増した気がします。
韓国には子役専門の事務所があまりなくて、演技塾に通っている子供たちをオーディションしました。僕がいつも日本で子役を選ぶ時と同じように、台本を渡さずに、その場で即興という形でやったんですが、「20秒で泣けます」という子が多い中で、あの子が一番手付かずな感じの子でした。そのやり方も自然にできたので、不確定要素も大きいなと思ったんですが、彼を選びました。あの子が救いになったし、風通しが良くなった。「あ、この子が将来サンヒョンになっていくんだな」って、僕も思ったんです。それで車の中でふたりに歌を歌わせたり、傍若無人な振る舞いをさせたりして、そういう感じに見せると良いかなと。
―教会のヘルパーをしつつ子供を売るブローカーであり、自身も捨てられた経験のあるドンスを演じたカン・ドンウォンが、今までに見たことのない哀愁があって、とても良かったです。
ソン・ガンホ、カン・ドンウォン、ペ・ドゥナに関しては、脚本の第一稿からあて書きをしています。「悲しい背中を撮る」ということはカン・ドンウォンには伝えました。でも母親役のソヨンをイ・ジウンに決めてから、セリフのやりとりは変わっていき、ドンスのキャラクターも少し変わりました。僕も彼は今回すごくいいと思っています。
「このままでは若い人が映画を仕事にできない」
―前作の『真実』(2019年)ではフランス、今回は韓国で撮ったことで学んだことを教えてください。
日本の映画づくりがとても遅れている、ということです。具体的には、日本での労働環境を改善していかないと、若いスタッフが映画を職業にできなくなる、という危機感を持ちました。それは自分の現場も含めてですが。改革は急務、それを学びました。
演出に関しては、言語のわからない国で2本撮り、現場に立ってお芝居を見ながら言葉以外の情報を感じ取ってジャッジをしていく……という作業をしたことで、自分の目と耳の解像度が上がった感覚があります。演技のディテールが、よりクリアに入ってくるようになった。ギガ数が上がった気がしていて、それは収穫だなと。いつまで続くかはわからないけれど。
―日本の映画制作現場の改革すべき点や、その困難さというのを詳しく聞かせてください。
労働時間が圧倒的に長い、ということ。韓国では週に52時間、フランスは1日に8時間、週休2日と決まっていて、徹底されているんです。日本はまだそういうルールもないし、組合もないので、スタッフの働く環境をどう整えていくのか。僕はそれをやらなければいけない側でもあるんですが。
日本では映画作りが職業ではなく趣味に留まっているという部分があり、その面白さもあるけれども、それでは若い人は映画を仕事にできないだろうと思います。韓国を見ていると、アメリカをモデルにDGK(韓国映画監督組合)やKOFIC(韓国映画振興委員会)を中心にすごく改革が進んで、とても素晴らしい部分と、日本の方が多様だなと感じる部分と両方あるんですが、やっぱり働く環境としては理想的なものを感じました。だから若いスタッフが頑張るし、楽しそうに働いていますね。
「どうしたら持続可能な映画界に再生できるか」
―日本の映画界はまだまだ男社会ですよね。
僕は男のマッチョな縦社会とか、体育会系の集団性みたいなものがとにかく苦手で。ようやく自分が監督になって、その圧から逃れられたっていう方が大きいんです。そこからはなるべく民主的に、男女の隔てなく作ってきているつもりではいるけれど、まだまだですね。でも、監督という立場が権力をまとってしまうことに自覚的でありたい。変えなくちゃいけないことは沢山あると思っています。
―いきなり完璧なものは作れないでしょうけれど。
でも、ちょっとずつでも前に進まないとね。手遅れになってしまうから。
―日本では映画界における性暴力、ハラスメント問題がようやく表面化してきました。是枝監督は、西川美和監督たちと映画監督有志の会として「労働環境保全・ハラスメントに関する提言」を映連(日本映画製作者連盟)に提出され、フランスのCNC(国立映画映像センター)に相当する機関の設立を求めていますね。
あのメンバーで集まり始めたのはもう1年半くらい前で、そこから映画業界に改革を働きかけたんです。どうしたら持続可能な映画界に再生できるかとミーティングを続けてきた中での、今回のハラスメント問題。もちろんこの問題も大事なことだけれども、それだけではなく労働環境が今のままだと、日本映画界が先細りになっていくだけで、若い人が働く場所として選んでくれない。その危機感を持ったメンバーで集まっているんです。それで映連や、いろんな組織に提言を繰り返しているのだけれども、なかなか腰が重いんですね。そこをどう動かすか。映画配信サービスも巻き込んで、資金をどう集めていくか。そういう動きをし始めて1年、という感じなんです。
―かなり長い背景があったわけなんですね。
もともとは深田晃司さんも諏訪敦彦さんも、それぞれ色々な団体などに働きかけを行っていました。僕は生前の岡田裕介映連会長に、CNCやKOFICのような仕組みを作るべきだと言って、活動してはどうかと話したことがあるんです。興収からトップオフして、それを映画界全体に循環させていくような仕組みを作ってはどうか。そこで女性が働きやすい仕組みや、子どもの映画教育、ミニシアターを守っていくといった活動にお金を回して、人材を育てつつ映画界を大きくしていくというのはどうか? と、ペーパー1枚ですが会長が亡くなる半年くらい前に持っていったんです。
その後も働きかけていますが、なかなか映連は危機感を共有してくれない。配信で言えば、スイスでは動画ストリーミングサービスが国内で得た収益の4%を同国内の映画製作に投資するように義務付ける「Netflix法」という法律ができたんです。フランスにも同様のものが既にある。日本でもそういうことをしっかりやるべき。そういう提言や勉強会を続けていこうと思っています。
――6月14日には、内山拓也、諏訪敦彦、岨手由貴子、西川美和、深田晃司、舩橋淳ら監督有志と共に記者会見を開き、「日本版CNC設立を求める会(通称:action4cinema)」の発足を発表。フランスの国立機関CNC(セーエヌセー。Centre national du cinéma et de l’image animéeの略)は、1946年発足。興行収入などから一部を徴収し、製作支援や映画遺産保護などに幅広く分配している。韓国のKOFICも同様のシステムで、支援や人材育成を行っている。持続可能な日本の映画界にしていくこと、映画界の未来に対して、私たち観る側も積極的でありたい。『ベイビー・ブローカー』の大人たちが色々な立場から、子供の未来を見守るように。
取材・文・撮影:石津文子
『ベイビー・ブローカー』はTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中
『ベイビー・ブローカー』
古びたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョンと、<赤ちゃんポスト>がある施設で働く児童養護施設出身のドンス。ある土砂降りの雨の晩、彼らは若い女ソヨンが<赤ちゃんポスト>に預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。彼らの裏稼業は、ベイビー・ブローカーだ。しかし、翌日思い直して戻ってきたソヨンが、赤ん坊が居ないことに気づき警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく白状する。「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という言い訳にあきれるソヨンだが、成り行きから彼らと共に養父母探しの旅に出ることに。一方、彼らを検挙するためずっと尾行していた刑事スジンと後輩のイ刑事は、決定的な証拠をつかもうと、静かに後を追っていくが……。こうして、<赤ちゃんポスト>で出会った彼らの、予期せぬ特別な旅が始まる――。
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:ソン・ガンホ カン・ドンウォン ペ・ドゥナ
イ・ジウン イ・ジュヨン
制作年: | 2022 |
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TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中