只の<スポ根>ものに非ず
映画『義足のボクサー』の主人公は津山尚生(通称:NAO)、アメリカ人の父と日本人の母の間に沖縄で生まれたが、幼い頃、事故に遭って右足の膝から下を失っている。やがて成長してプロボクサーを目指すものの、日本では義足というハンディキャップによって、身体条件の規定にそぐわないと却下され、プロのライセンスが取得できない。
思い余った尚生は武者修行を兼ねてフィリピンに旅立ち、その地で試合を重ねながら念願のライセンス・ゲットに挑む。先ずはこの異色ドラマの走り出しが実にいい。映画にすんなりと入っていける。尚生を演じる俳優、尚玄の彫りの深い顔立ちと、鋭くもあり、優し気でもある眼差しに、あ、これは只の<スポ根>ものじゃないなと、すぐに察知した。
尚生を迎え入れる現地フィリピンのボクシングジム(原題『GENSAN PUNCH』は、マニー・パッキャオを輩出したロケ地、ジェンサン地区に由来する)の仲間たちが、実に明るく屈託がない。コーチのルディ(ロニー・ラザロ)、娘のメリッサ(ビューティ・ゴンザレス)を始め、若いボクサーたちも個性さまざま。ジム自体は安普請でリングは室外の青天井。そこで尚生は早速、ハード・トレーニングを開始。やがてスパーリングから立て続けに試合へと進み、ルディとのコンビよろしくフィリピンでの3戦連勝をモノにして、当地でのプロ・ライセンスを取得する。
フィリピンの社会派ブリランテ・メンドーサ監督が描くリアル
映画展開も快調そのもの。これもフィリピン、サン・フェルナンド出身の1960年生まれ、ブリランテ・メンドーサ監督の鮮やかな手腕の賜物。彼はプロダクション・デザイナー、CMディレクターとして成功し、本作が初のスポーツ篇だ。彼は言う。
私たちは人間として、人生において、目標を失ってしまうような多くの試練に遭遇し、そしてこれらに打ち勝とうと試みます。この映画は其処に障害物があったとしても、ハートと拳をもって熱意や自尊心のために、そしてリングの上だけでなく日常の生活においても、愛する者のために闘い抜く、日本とフィリピンのボクサーたちへの贈り物です。
実に心のこもった監督メッセージではないだろうか。不条理な社会でもがき苦しみながら懸命に生きる人々を撮り続けてきた社会派ならではの想いに溢れている。夢を諦めない若者の精神と行動をキッチリ描いていて感動的だ。
従って本作は、単純な<スポ根>ものでも、凄惨なボクシング場面を売り物にした映画でもなく、勝者の華やかなサクセス・ストーリーでもない。個人の功績や名声は二の次。できれば家族に少しでもより良い暮らしをさせたいと、この道に入ってきたボクサーも少なくはないだろう、と。これもメンドーサ監督の弁。心にしっかり刻んでおきたい。
コーチとボクサーの決裂!? 劇的クライマックスは思わぬところからやってくる!
人生すべて快調! と願いたいところだが、不慮の出来事は思いがけないところからやってくる。コーチのルディが、尚生の3連勝を早めたい一心から、試合相手に負けて貰おうと金を渡して八百長を画策。それを知った尚生は苦渋の顔でコーチをなじる。KO勝ちして若手ボクサーをリングのマットに沈めた試合後、尚生はルディに「俺は常に実力で勝ちたいんだ!」と怒りをぶつける。
フィリピンではアマチュア戦で3連勝すればプロの資格が得られる。ルディは「早くライセンスを取らせたかった!」と言う。コーチとボクサーはメリッサの制止も聞かず怒鳴り合い、凄まじく殴り合う。ルディも若い頃はボクサーだった。二人の喧嘩はなかなか止まらない。お互いの激情が爆発するリアルな実話で、最も激烈な迫真の場面になっている。
フィリピンから帰国、しかし日本ではライセンスを取得できない……
福岡で行われるアジア大会のために帰国した尚生は、ルディと共に日本ボクシング協会を訪れる。だが、規則は規則、日本ではライセンスは与えられることはない。
ジムの仲間たちに福岡を案内した後、尚生は沖縄の母親(南果歩)の許に帰省する。バスの中の3人家族(父親はアメリカ人か、母親は日本人、幼い男の子)に目を留める。幼い頃、父親は遠い母国アメリカに去って行き、母子二人の暮らしが残った。
映画は常に声高でなく、主人公と同じように物静かだ。障害の不利をことさら叫ぶことがない。尚生の静かな《まなざし》は、人の世と生の奥底を見つめているようだ。ユニークなボクサーだ。ただひたすら栄光と富のために拳を振るうのがボクシングではない。自分の生きる道、それがボクシングという思いがヒタヒタと感じられた。
かつて筆者は東映に勤務していた頃、ボクシング映画の宣伝を担当したことがある。寺山修司監督、菅原文太主演の映画だった。文太さんがコーチ、清水健太郎がボクサー。この作品もコーチとボクサーを囲む貧しいジム仲間の下町物語だった。そうした共通点を持つ二つの映画だが、仲間たちとの人間ドラマに関しての共感は、本作の方に軍配を上げたいと思う。これも私事になるが、筆者は戦後すぐの世界チャンピオン誕生(白井義男)からボクシングに夢中になって、今日までボクシング試合とボクシング映画を見続けてきているが、本作『義足のボクサー GENSAN PUNCH』は、取り分けユニークで、人間性の深みと気張ることのない柔らか味に感じ入った。
それに筆者は初めて尚玄という俳優の存在を知ったわけだが、その鋭角の顔立ち、鍛え上げたボクサー体形にはほとほと感心した。見事なものだ。この人の今後に大いなる期待を寄せたい。静かなる男の、自由の感覚がじわじわと伝わってくる。この魅力を女性観客にこそ気づいて欲しい。
映画とは仲間と創るもの:「義足のボクサー」撮影風景の好ましさと音楽の懐かしさ
尚生と仲間たちのドラマが終っても、観客にはすぐ席を立って欲しくない。映画の様々な撮影風景の映像を楽しみながら、「噫(ああ)、みんなで創っているんだなァ!」と羨ましくなった。
長い長いエンドクレジットを見つめ、ラストの挿入歌にジッと耳を傾けて欲しい。筆者はこの歌を聴きながら、どこか透明な郷愁を感じ、ふるさとのことを思い、久々に伸びやかな時間を味わっていた。
文:関根忠郎
『義足のボクサー』は2022年6月3日(金)よりTOHO シネマズ日比谷にて先行公開、6月10日(金)より全国公開
『義足のボクサー』
沖縄で母親と2人で暮らす津山尚生は、プロボクサーを目指し日々邁進している。ひとつだけ人と違うのは、幼少期に右膝下を失った義足のボクサーであること。ボクサーとしての実力の確かな尚生は、日本ボクシング委員会にプロライセンスを申請するが身体条件の規定に沿わないとして却下されてしまう。夢をあきらめきれない尚生はプロになるべくフィリピンへ渡って挑戦を続ける。そこではプロを目指すボクサーたちの大会で3戦全勝すればプロライセンスを取得でき、さらに義足の津山も毎試合前にメディカルチェックを受ければ同条件で挑戦できるというのだ。トレーナーのルディとともに、異なる価値観と習慣の中で、日本では道を閉ざされた義足のボクサーが、フィリピンで夢への第一歩を踏み出す。
監督:ブリランテ・メンドーサ
脚本:ホニー・アリピオ
出演:尚玄 南果歩
ロニー・ラザロ ビューティー・ゴンザレス
ジェフリー・ロウ 木佐貫まや ジュン・ナイラ
ヴィンス・リロン 金子拓平
制作年: | 2021 |
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2022年6月3日(金)よりTOHO シネマズ日比谷にて先行公開、6月10日(金)より全国公開