教師カップルの過激プライベート映像流出!
衝撃作! なんて陳腐な言葉を使うと悪い意味で身構えさせてしまうかもしれないが、『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』は紛れもない衝撃作。そして、タイトルからは想像もできないくらいにとことん社会派だ。
本作のショッキング具合を底上げするのは、なんといってもオープニング。いきなりカップルがセックスをおっぱじめるというハードコア・プライベートポルノ映像から幕開け。しかし、日本で上映されるバージョンは監督自ら自己検閲したもので、画面のほとんどを覆い尽くすように「見られなくて残念だね!」「殺人シーンはOKで、フェラはNG?」「検閲=金」などと、挑発的なコメントが多数登場。
その間にもセックス中の音声だけはがんがん聞こえるので、何が起こっているかは手に取るようにわかるけど、次々に現れるコメントのフォント選び、色彩感覚、デザイン設計がインターネット・ポルノ感覚あふれたものになっていて、とんでもない悪意(センス)を感じる!
一応ストーリーを説明すると、ルーマニアで教鞭を執るエミと夫による件のプライベートセックスビデオがネットに流出。生徒はもちろん、親や学校関係者にも知られることになり、エミはその日の晩に開かれる保護者会で事情説明をしなくてはいけなくなってしまう。その、長く、うんざりするような1日を3部構成で描いているのだが、その語り口は風変わりだ。
ベルリン映画祭金熊賞獲得も納得? の攻めまくり演出
第一部はコロナ禍のルーマニア、マスク姿の人々がちらほら出歩くブカレストの街をひたすら歩き続けるエミを追う。まるでドキュメンタリーのように、ラフなカメラでエミを捉えるが、途中で寄った書店で店員にいきなりナンパされたり、歩くエミからいきなりカメラがパンして街に鎮座する裸体像を映しだす。そうして街中にあふれる「卑猥」を炙り出していくのだった。
第二部は唐突にビデオエッセイのような形をとって、ニュース映像、絵画、写真、スマホで撮られた縦長映像を駆使しながら、ジェンダー問題、暴力、災害、インターネット、ポルノなどに関連する事象を片っ端から解説、という「観るウィキペディア方式」を採用。もしいま芸術系の大学生だったら影響受けちゃって丸パクリの映像を撮っちゃうかもしれない……。そんなことを思ったりした。
そして第三部では、ついにエミの釈明の場として保護者会が開かれるが、その様はまるで魔女狩り。エミの目の前でプライベートセックスビデオ鑑賞会が始まり、好き勝手かつあけすけに当人へ投げかけられる、感想という名の暴力。マスク姿で匿名性を維持しながらも、「正しさ」の名の下に露わになってゆく恐ろしい人間性。議論の体をなしていない攻撃的なやりとりは加熱するいっぽうで、とんでもなく猥雑な言葉のやりとりを経て行き着くラストは、なんとご丁寧に3パターンもご用意という、嬉しいマルチエンディング方式!
これだけ説明しても、実際に観ると全然違う印象を抱くはずで、ロジカルだが実はかなり体感型映画な本作。オープニングの「いったい何を見せられてるんだ?」という困惑を経て監督の意図することがわかってくる頃には、前のめりで面白がりながら観れちゃうはず。第71回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞も納得の、現代社会を切り取ったパワフルでブラックな映画だ。
文:市川夕太郎
『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』は2022年4月23日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』
ルーマニア、ブカレスト。名門校の教師であるエミは、コロナ禍の街をさまよい歩いていた。夫とのプライベートセックスビデオが、意図せずパソコンよりネットに流失。生徒や親の目に触れることとなり、保護者会のための事情説明に校長宅に向かっているのだ。しかしそこにはブカレストの街を漂流するかのように、エミの歩く姿が映し出されるだけだ。彼女の抱える不安や苛立ちは、街ゆく人々も共有する怒りと絶望であり、さらにはその街、引いては世界の感情そのもののようであった。猥雑で、汚れ、怒りを孕んだ空気が徐々に膨れ上がっていく……。
監督:脚本:ラドゥ・ジューデ
出演:カーチャ・パスカリュー クラウディア・イエレミア
オリンピア・マライ ニコディム・ウングラーノ
アレクサンドル・ポトチェアン アンディ・ヴァスルヤーノ
制作年: | 2021 |
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2022年4月23日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開