我們都有共同理想、
相信人間的真、善、美與和諧、
彼此都是英雄本色
『男たちの挽歌』の監督と脚本を務めたジョン・ウー監督がオリジナル香港版ポスターに書き込んでくれた言葉だ。友人に訳してもらったところ、「共に同じ理想を持ち 真実と善が美しく調和すると信じる男たち それが本当の英雄だ」というような意味だそうだ(もっと漢文の勉強しとけばよかった)。それは、監督の個人的な理想にして、映画そのもので描いたメッセージであり、ポスターが(映画を観る前の)人々に伝えるべきテーマである。
アクション映画の雰囲気で売った日本版ポスターなどに比べて、妙に美しく理想主義的な色とデザインのオリジナル香港版を見て感じていた違和感は、監督の言葉(詩)で氷解した。そもそも、香港原題は『英雄本色』=本当の英雄、英語タイトルは『A BETTER TOMORROW』=よりよき明日(未来)なのだ。
もちろん日本題名『男たちの挽歌』も、なかなかいい。監督ジョン・ウー、製作のツイ・ハークともに気に入っていたということだった。
世界の平和と民主主義の危機が危惧される激動の2022年、“本当の英雄たち”が4K映像で戻ってくる。これまでに発売されたDVD、ブルーレイなどの映像クオリティに今一つ満足できなかったファンにとって大歓迎の一大事件である。
“香港ノワール”ついに日本上陸!「恥じて生きるより 熱く死ね!」
『男たちの挽歌』は、1986年夏に香港・台湾で公開されて空前の大ヒットを記録、翌年ベルリン映画祭で上映されたのに続いて、4月に日本で公開された。海外市場でいちはやく反応したのは、ほかならぬ日本だったのだ。黒バックに主役の3人をクールに配置したビジュアルは、それまでのベタなギャグやマンガチックなアクション中心の香港映画のイメージとは一線を画していた。渋谷の東急文化会館の壁面に巨大な看板が掲げられていたのを今でも覚えている。松竹・東急系で拡大ロードショーされたのだ。
迫力満点の銃撃戦と、主演のチョウ・ユンファが往年の日活アクションのスター小林旭に似ていると話題になった。ただ、ずっと後になって知ったのだが、その際にジョン・ウーはプロモーションのために来日していた。しかし、空港へ迎えに行ったのは配給会社の新入社員ひとりという“手厚い”扱いだったそうな。監督が三顧の礼で迎えられるようになるのは、やはり3年待たねばならなかったようだ。
バブル景気ど真ん中、トレンディ・ドラマ全盛だった1987年の日本で『男たちの挽歌』をヒットさせるべく、配給元日本ヘラルド映画宣伝部は、欧米の映画を思わせるデザイン(中国語原題なし)に「香港ノワール」なる“新語”を掲げて勝負に出た。わざわざ香港まで出かけてメインキャスト3人をスタジオに再結集させてポスター用に顔写真を特写し、クールなブラックデザインで仕上げた。同時に、炎に包まれた熱いイメージのBパターンも制作された。宣伝コピー(惹句)も2種類用意して、それぞれ「生きろ! 死に急ぐな。」「恥じて生きるより 熱く死ね!」と、よく考えるとまるで逆のことを言っているのだが、それでいい。男たちの心情が沸々と伝わってくる名惹句だ。Bポスターに英語原題よりも大きく「WE LOVE ACTION」と少々マヌケな文言が入っているのはご愛敬として……。
当時、新橋にあったヘラルド試写室で『男たちの挽歌』を観たときのメモには、「やたら熱いドラマ&派手すぎるアクションに少々胸やけ。主役のチョウ・ユンファが小林旭風でカッコいい。音楽が意外になかなか面白い」とある。『ロッキー』(1976年)じゃないが、なにやら男心をやけに盛り上げるテーマ曲、主題歌や泣きのエレキギターはベタな演歌テイストなのだが、時折『ブレードランナー』(1982年)のヴァンゲリスみたいなキーボードやパーカッション、スティーヴ・マックィーンの『ゲッタウェイ』(1972年)を思わせるハーモニカが聞こえてくる。
そして、どこかで聴いたような……あとになって気づいたのは、アラン・パーカー監督の『バーディ』(1984年)の曲が使用されていたこと(音楽は元ジェネシスのピーター・ガブリエル!)。70年代の香港カンフー映画にはよくマカロニ・ウエスタンの曲が(勝手に)流れていたので、そのなごり(?)だろうか。ちなみに、オリジナルの音楽はマカロニ・テイスト満載の『ドラゴン怒りの鉄拳』(1971年)などブルース・リー作品で知られるジョセフ・クーだ。
チョウ・ユンファは世界的スターとなったが、『男たちの挽歌』のサントラ盤はいまだに発売されていない。日本のファンが完全コピーしたというカバー・サントラ(?)が出ているが、オリジナル音源はどこかへ散逸してしまったらしい(監督によれば、香港ではよくあること、とのこと)。今回の4K版上映で幻のサントラを大音響で満喫できるのは嬉しい限りだ。
ところで、『男たちの挽歌』と相前後して1990年頃に来日した伝説的映画監督サミュエル・フラーに、機会あってサインをいただいた(ポスターではなく伝記本にだが)。「映画は戦場だ!」と書いてくれたのだが、フラーといえば、ジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』(1965年)に登場し、「映画とは戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、つまりエモーションだ」と語ったことで永遠に映画ファンに記憶されている男だ(どう考えてもゴダールではなく、フラーが思っていることを喋ったに違いない)。
Happy Birthday Samuel Fuller
— KINOSCOPE (@Kinoscope) August 12, 2019
(PIERROT LE FOU, by Godard 1965)#film #cinema #movie #art #quote #samuelfuller #jeanlucgodard pic.twitter.com/C2EzcymNDB
さて、思うに、このフラーの言う“映画”こそ、『男たちの挽歌』ではないだろうか。これほどまでに「愛、憎しみ、アクション、暴力=エモーション」が充満……いや、充満しすぎで大爆発を起こしている映画はほかにない。フラーが観ていたら腰を抜かすか、愛用の葉巻を飲み込んでしまっていたかもしれない(あいにくフラーが『男たちの挽歌』を観たかどうかは不明)。
個人的に何度観ても心動かされるのは、大銃撃戦のさなか、どう考えても力学的にあり得ない方角へ吹き飛んでいくスタントマンの動きだ。それは、演出家が映画の中に「リアリティ」ではなく「アクション、暴力=エモーション」を描こうとしている証左である。そして、続編『男たちの挽歌II』(1987年)でも、津波のように“あらぬ方向へ”吹き飛ぶスタントマンたちが大量に確認できることになる。
主役は“香港のアラン・ドロン”のはずだった!? ロングコートにサングラスが男たちの制服となった伝説の夏
『男たちの挽歌』を撮る3年前、ジョン・ウーは映画会社内で台湾へ左遷され、事務仕事の合間に冴えないコメディ映画を作らされてクサっていた。そんなころ、香港映画界で飛ぶ鳥を落とす勢いだったヴェトナム出身のツイ・ハークがウーに声をかけたことから、『男たちの挽歌』が生まれた。
当時の香港映画はコメディ全盛だったが、シリアスで観客の心に届くような熱いドラマを作りたいと考えたウーとハークは、1967年の香港映画『英雄本色』(ロン・コン監督)のリメイクを思い立つ。若きジョン・ウーが参加していた香港の学生映画サークルで、高く評価されていた作品だった。が、そもそもこの映画は、アラン・ドロンがアメリカで主演した犯罪映画『泥棒を消せ』(1965年:ラルフ・ネルソン監督)のストーリーを(勝手に)借りたものだった。出所した犯罪者が堅気の世界へ戻ろうと努力するがなかなか職に就けず、兄に誘われて宝石泥棒に加担する。エディのおかげで脚が不自由になった刑事が絡んで、最後には悲劇的なラストを迎える……。
アラン・ドロンの『泥棒を消せ』、1967年版『英雄本色』、ついでにいえば鈴木清順監督による日活やくざアクションの名作『刺青一代』(1965年)に共通する、ヤクザな兄とマジメな弟の葛藤と兄弟愛のドラマが、『男たちの挽歌』の原点だったのだ。
時は1985年、香港の中国返還(1997年)が本決まりとなり、人々は不安を抱えていた。政府への信頼が揺らぐと同時に若者たちが道徳を欠いた行動に走り、犯罪が横行した。そこでジョン・ウーは、家族の絆や友情、忍耐することの大切さなど、香港人が忘れてしまったかのようにみえた人間が本来大切にすべき大事なルールを、映画を通じて若者たちに知らしめたいと考えたという。そして紆余曲折の末、兄弟をヤクザと刑事にしてしまうアイディアにたどり着く。より兄弟間の葛藤が深まり、ドラマを重厚に構成できると考えたのだ。
主演の兄弟役には1970年代の香港映画界で活躍し、一時はカンフー映画のスターだったティ・ロン(ちなみに芸名「狄龍」は、アラン・「ドロン」の中国語表記からとられている)と、同じく1985年に吉川晃司の「モニカ」をカバーして大ヒットさせたアイドル歌手、レスリー・チャンがキャスティングされた。
二丁拳銃のマークを演じたチョウ・ユンファは、当初、出演期間12日間の脇役契約だった。テレビドラマで売り出したものの、出演した映画がまったくヒットせず、業界では期待されていない存在だったユンファは、小さな漁村出身で、テレビで有名になっても偉ぶらず、孤児や貧乏人にお金を与える男だという新聞記事が出たりしていた。西洋人にも負けない立派な体格を誇りながらも、香港の繁華街の決してきれいではない甘味処でミルクプリンを食べるのが好きな“下町のあんちゃん”だったのだ。
ジョン・ウーは、そんな鳴かず飛ばずの30歳の若手俳優の中に、自分のアイドルであった日本映画のスター・小林旭の雰囲気と、スティーヴ・マックィーンを思わせる茶目っ気があることに気づく。ウーが書く脚本の中でマークの役柄はどんどん大きくなっていき、どうせなら、自分の大好物であるアクションヒーローたちの要素をまとめてマークのキャラクターに与えてしまうことにした。すなわち、高倉健のサングラス(『ならず者』[1964年])、アラン・ドロンのロングコート(『サムライ』[1967年])、クリント・イーストウッドの二丁拳銃(『アウトロー』[1976年])だ。チョウ・ユンファ自身も、いつもマッチを口に咥えていたり、独特なウィスキーグラスの扱いなどのアイディアを出した。
「3年待ったんだ 巻き返そう!」と吠えるマークのセリフは、ジョン・ウーとチョウ・ユンファの不遇からの脱出を決意表明する魂の叫びだった。
そして、ユンファの出演期間は30日を超え、本来の物語的には脇役であるにもかかわらず、『男たちの挽歌』で香港電影金像奨(香港アカデミー賞)主演男優賞を受賞してしまう(作品賞も受賞)。幸いなことに、中華民国(台湾)主催の金馬奨は最優秀主演男優賞をティ・ロンに、最優秀監督賞をジョン・ウーに授けた。めでたしめでたしだ。
真夏に公開された『男たちの挽歌』が大ヒットを記録すると、南国・香港の街中に、ロングコートにサングラス、マッチを咥えた男たちが大勢出現したという伝説まで生まれた(ちなみにジョン・ウーも、続編の中でマークの真似をする若者たちを登場させている)。
『狼』経由で世界進出! ハリウッドへの階段を駆け上がった「英雄本色」
『男たちの挽歌』の日本での劇場興行成績は、残念ながらヒットとは呼べないもので終わった。しかし、当時全盛となっていたレンタルビデオ市場で徐々に人気を高め、日本のテレビドラマやVシネマ(レンタル用オリジナル・ビデオ)にはジョン・ウー・スタイル、香港ノワールもどきのヤクザ・アクションが続々と生まれるようになっていく。『男たちの挽歌』をいち早く公開したのが日本だったのは喜ばしいが、欧米はベルリン映画祭での上映をきっかけにドイツの配給会社が海外販売を担当したようだ。ところが思うように海外展開せず、ユーゴスラヴィアで公開されたらしいという情報しかない。
『男たちの挽歌』伝説は、3年後に再び燃え上がる。トロント映画祭やサンダンス映画祭で上映された『狼/男たちの挽歌・最終章』(1989年)が大評判を呼んだのだ。内容的にはまったく関係ないにもかかわらず、日本では<男たちの挽歌・最終章>と副題がつけられた(ジョン・ウー&ツイ・ハーク承認済)『狼~』の英題は、シンプルに『THE KILLER(殺し屋)』。香港原題は『喋血雙雄』、ジョン・ウーが愛する高倉健・丹波哲郎主演の石井輝男監督作『ならず者』の香港公開題名と同じだった。
足を洗おうとしている殺し屋と刑事の友情、銃撃で目が見えなくなる女性歌手……アラン・ドロンの『サムライ』と『ならず者』、ついでに日活アクションの『紅の拳銃』(1961年)をぶち込んだかのようなシチュエーションの中で、『男たちの挽歌』仕込みのジョン・ウー節アクション&エモーションが爆発する(鳩も飛ぶ)。カナダにはチョウ・ユンファの熱狂的女性ファンが急増したという。
こうして、欧米では『狼~』から『男たちの挽歌』1&2へとジョン・ウー伝説が飛び火していった。マーティン・スコセッシ、サム・ライミ、ジョン・ミリアスなどなど、アメリカの有名監督たちの絶賛を浴びたジョン・ウーは、ハリウッドへ招かれることになるのだが、中でもレンタルビデオ店の店員だったクエンティン・タランティーノは、いち早く『男たちの挽歌』を観ていた。香港ノワールに大きな影響を受けたことが明白な監督デビュー作『レザボア・ドッグス』(1991年)に、『男たちの挽歌』に出てきたのと同じ巨大なモトローラ製携帯電話を「オマージュとして」(本人談)わざわざ登場させたほどだった。
ついでにいえば、タランティーノは『トゥルー・ロマンス』(1993年)の脚本に主人公たちがテレビで『男たちの挽歌II』を観ているシーンを書きこみ、監督トニー・スコットはそのまま映像化していた。
一部の映画祭上映を除いては一般公開されなかった『男たちの挽歌』の、アメリカ版ポスターは1996年のビデオ発売時に作られたのが最初のようだ。すでに『狼/男たちの挽歌・最終章』が話題になった後なので、チョウ・ユンファ単独主演のアクション映画のようなデザインとなっている。また、フランスでは『男たちの挽歌 II』と抱き合わせで1993年に連続公開された。題名も「犯罪シンジケート1・2」と、なんだかチャールズ・ブロンソンのアクション・シリーズ物みたいだが、マークの名場面一発で2本の映画を象徴し、チョウ・ユンファがとにかくカッコいいことだけは見事に表現されていた。
2017年になって、中国で『男たちの挽歌』が公開された。2014年に北京映画祭で上映されたことを受けての一般公開だったようだが、おそらく製作当時は暴力的すぎると公開されず、90年代には(当時の中国得意の)海賊版ソフト(DVDやビデオCD)で広く出回ってしまっていたのだろう。なぜ2017年だったのかはわからないが、フランス版、日本再公開版などで踏襲される、ニセ札でタバコに火を点ける“危険な男”チョウ・ユンファのイメージは、「世界一カッコいい東洋人」として永遠に映画史に残ることになったことは確かだ。
新作撮影中のジョン・ウーからメッセージ到着!~日本の『挽歌』ファンへ~
『男たちの挽歌 4Kリマスター版』日本初上映を伝え聞いたジョン・ウー監督から、BANGER!!! 編集部にメッセージが届いた。
みなさんが長年にわたって、私の過去の作品を発見・再発見してくれていることを、いつも嬉しく思っています。『男たちの挽歌』は兄弟愛、友情、名誉、自己犠牲の物語で、それはまさに私自身の人生のテーマにほかなりません。深く尊敬する黒澤明監督はじめ、偉大な映画作家たちを生み出してきた国・日本のファンの方々からの応援をいつも感謝しつつ、4K版『男たちの挽歌』を新しい世代のファンにも楽しんでもらえることを願っています。
ジョン・ウー監督は現在、メキシコで新作ハリウッド映画『サイレント・ナイト(仮題)』の撮影中で、主演は、リメイク版『ロボコップ』(2014年)や『スーサイド・スクワッド』シリーズ(2016年/2021年)のフラッグ大佐で知られるジョエル・キナマンとのこと。
このところ中国や日本での作品が続いていたジョン・ウーにとって、『ペイチェック』(2003年)以来ほぼ20年ぶりのアメリカ映画復帰ということになる。久々のハリウッド映画で、北欧系イケメンスターと、元祖スローモーション・アクションの名作『ワイルドバンチ』(1969年)の舞台メキシコへ殴り込みとは、いやがおうにも期待値爆上げだ。現状、ほかにはなんの情報もないのだが、必ずや国も境遇も超えた友情・裏切り・銃撃戦(そして白い鳩)が熱く描かれる“男たちの挽歌・イン・メキシコ”になるだろうと勝手に予想しつつ、『男たちの挽歌 4Kリマスター版』を観て、新作の完成&日本公開を待つとしよう。
文:セルジオ石熊
『男たちの挽歌 4Kリマスター版』は2022年4月22日(金)より新宿武蔵野館、グランドシネマサンシャイン池袋ほか全国順次公開
『男たちの挽歌 4Kリマスター版』
香港マフィアの組織に身を置くホー、ホーの兄弟分マーク、ホーの弟で兄の逮捕に執念を燃やす刑事キット。香港マフィアの権力抗争を背景に、彼ら3人の男たちの友情と確執を描く。
監督・脚本:ジョン・ウー
製作:ツイ・ハーク
音楽:ジョセフ・クー
出演:チョウ・ユンファ ティ・ロン レスリー・チャン
エミリー・チュウ リー・チーホン ケン・ツァン
制作年: | 1986 |
---|
2022年4月22日(金)より新宿武蔵野館、グランドシネマサンシャイン池袋ほか全国順次公開