ジャック・オディアール×セリーヌ・シアマ×レア・ミシウス
カンヌ国際映画祭パルムドール作『ディーパンの闘い』(2015年)や、フォアキン・フェニックス、ジェイク・ギレンホールら国際的スターを集めた英語映画『ゴールデン・リバー』(2018年)などで知られる、今年70歳を迎えるフランスの名匠、ジャック・オディアール。新作『パリ13区』は、さまざまな人種が共存するパリの13区を舞台に、現代の若者たちの生き方を美しいモノクロの映像に収めた作品だ。
仕事や恋に悩み、自分が何者かを理解しようと彷徨う彼らの日常を掬いとりながら、70歳とは思えない軽やかさで、これぞリアルなパリを描いてみせた。つねに新たな挑戦を続けるオディアールに、その心情を訊いた。
「エリック・ロメールの『モード家の一夜』から影響を受けている」
―本作の原案は、日系アメリカ人のエイドリアン・トミネが描いたグラフィック・ノベルの、パリとは関係のない3つの短編を基にしているそうですが、映画化したいと思う魅力はどこにありましたか?
僕は古い世代だから活字派で、グラフィック・ノベルにはまったく詳しくない(笑)。でも友人がトミネの作品を紹介してくれて、読んでみたら、これが面白かった。というのも、トミネの本には文学的な広がりがあると思えたから。あたかも今の世代のJ・D・サリンジャーのようだ。登場人物について何を理解すべきかはよくわからないが、それでも惹かれる。
なぜだろうと考えたら、彼らは明確な人物像というものがなくて、うつろう者たちなんだ。ただ物語だけが読む者を牽引する。そういうあり方は興味深いと思って映画にしたくなった。でもそのあとで、共同脚本家のセリーヌ・シアマ(『燃ゆる女の肖像』[2019年])とレア・ミシウス(『アヴァ』[2017年])と一緒に、長い時間を掛けて脚本を練り上げた。
―本作の登場人物たちは、みんな学歴はあるのに仕事に恵まれず、自分の生き方や望むものがよくわからずにもがいています。これはとくに今のフランス社会に生きる若者たちを反映しているのでしょうか。
社会が変化しているのは確かだ。僕が二十代の頃は、もっと無頓着で屈託がなかった。いまは中産階級が崩壊し、“金持ちとそれ以外”のような図式になってしまった。政治的な意味合いを意識したわけではないが、この映画はリアリティを描いていると思う。でも本作のキャラクターたちはすごく若いわけでもない。それなりに社会的な経験や人生経験、恋愛経験をある程度持っている。それでもまだ不確かなことがたくさんある。そういう世代を描きたかった。たとえば大学を出て仕事を始めて、しばらくしてからふと、自分はどこに行くのか、何を求めているのかと迷う。あるいはもっと自由を求めたり。
―登場人物のひとり、エミリーは、出会った初日にすぐカミーユとベッドを共にします。彼女のセックス・ライフはとてもあけすけでダイレクトですが、こうした女性像は現代性を反映する意図なのでしょうか。それとも自分が何を望んでいるのかわからない、そういう境遇にあることへの反動と考えますか。
これは脚本家のレアが言っていたことだが、エミリーは現代的な女性で、彼女にとってセックス・ライフとラブ・ライフは必ずしも一致するものではない。だからカミーユとよく知り合う前にベッドを共にする。でも彼に対して、初めて彼女のなかで愛とセックスの喜びが一致するということに気づく。恋愛における議論において付け加えるなら、僕はこの映画に関して、エリック・ロメールの『モード家の一夜』(1968年)から影響を受けている。
『モード家の一夜』の主人公たちは、ちょうどエミリーたちと同じぐらいの年齢だ。でも時代の違いによって、あの映画の男女はベッドを共にしない。一晩中話し続けている。お互い惹かれあっているのは一目瞭然だが、いわば会話が愛を疲弊させるというか。あるいは、愛し合うのと同様に、彼らは話し合って時間を過ごすのが好きなのだろう。エミリーとカミーユもそういうところがあり、彼らはベッドを共にしたあとで、語り合う。で、そこから相手に対する恋愛感情が芽生えていくんだ。ふたりとも、かなりシニカルだけどね(笑)。
「ノエミ・メルランには“ダイアン・キートンを想像してみて”と伝えた」
―13区を舞台にしたのは、このエリアが様々な人種が共存する、リアルなパリの象徴だからでしょうか?
僕は13区に長いこと住んでいて、とても好きなエリアなんだ。チャイナタウンがあって、君の言う通り、異なる人種や文化が混在している。だからこの地域を映すことは、いわば現代の多様性の自然な反映になる。僕はずっとパリに住んでいるパリジャンだけど、パリという街が、映画の舞台にするのにそれほど興味深いとは思わない。フォトジェニックではない。ロマンティックすぎるか、あるいは歴史的なモニュメントの陳列のようになるか。僕にとっては退屈だ。ちょっとローマに似ているね。
でも13区はつねに変化しているし、動きがある。だから面白いし、モノクロで撮れば美しさを与えられるだろうと思った。リアルでありながら、一般的なフランス映画では見られないような風景を撮りたかった。
―本作の映像は本当に、とても美しいですね。モノクロで撮るという選択についてですが、たとえばストリーミングを見慣れた今日の観客に対して、映画館に回帰させたい、映画の魅力を復権させたいという思いはありましたか?
それはもちろんあったよ。たぶん自分は楽観主義者なのかもしれないけれど(笑)。ただストリーミングでも、アルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』(2018年)のような素晴らしい作品もあるから、それぞれのやり方があるとは思う。でも僕は自分の作品をスマートフォンで観て欲しいとは思わない。それを望む監督がいるとは思えないね(笑)。
―本作はとても瑞々しい魅力に満ちていて、カメラの動きもリズミカルであり、モノクロでありながらとても現代的な映画を観ている不思議な感覚があります。この軽やかさはどこから訪れたのでしょうか。
前作の反動が大きいと思う。僕はいつも、その前の作品とは異なるものを撮りたくなる。前作は西部劇(『ゴールデン・リバー』)で、国際的なキャストの大作で、男たちの世界を描いた重々しいものだった。だから撮り終わって、何かとても軽妙で小粒の、愛の物語に関するコメディが撮りたくなった。「軽さ」に向かいたかった。たぶん、ここまで軽やかな作品は僕にとって初めてだろう。鎧を脱いで自由になった気分で、とても楽しかったよ。
コメディだと俳優の演出も異なってくる。たとえばノエミ・メルラン(『燃ゆる女の肖像』)は、もともとドラマティックな資質を持った女優で、今回も本読みでは最初とてもドラマティックな響きがあった。単純に彼女は、この物語をコメディとして捉えていなかったんだ。で、それが全体の雰囲気からはちょっと浮いてしまっていたから、僕は彼女に「ダイアン・キートンを想像してみて。すごく美しい女性が、そそっかしいことをしてしまう場面を想像して」と伝えた。彼女はすぐに理解して、素晴らしい結果をもたらしてくれたよ。
取材・文:佐藤久理子
『パリ13区』は2022年4月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開
『パリ13区』
コールセンターでオペレーターとして働く台湾系フランス人のエミリーのもとに、ルームシェアを希望するアフリカ系フランス人の高校教師カミーユが訪れる。二人は即セックスする仲になるものの、ルームメイト以上の関係になることはない。同じ頃、法律を学ぶためソルボンヌ大学に復学したノラは、年下のクラスメートに溶け込めずにいた。金髪ウィッグをかぶり、学生の企画するパーティーに参加した夜をきっかけに、元ポルノスターでカムガール(ウェブカメラを使ったセックスワーカー)の“アンバー・スウィート”本人と勘違いされ、学内中の冷やかしの対象となってしまう。大学を追われたノラは、教師を辞めて一時的に不動産会社に勤めるカミーユの同僚となり、魅惑的な3人の女性と1人の男性の物語がつながっていく。
監督:ジャック・オディアール
脚本:ジャック・オディアール セリーヌ・シアマ レア・ミシウス
原作:エイドリアン・トミネ
出演:ルーシー・チャン マキタ・サンバ
ノエミ・メルラン ジェニー・ベス
制作年: | 2021 |
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2022年4月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開