厳しい現実で希望を失うまいと抗う少年の姿を、心で感じる音楽が彩る
シャーロット・ランプリングとトム・コートネイを主演に迎え、老年にさしかかった夫婦の結婚生活の破綻を粛々と描いた『さざなみ』(15)で高い評価を受けたアンドリュー・ヘイ監督。彼の待望の新作『荒野にて』(17)は、舞台を英国からアメリカ北西部に移し、天涯孤独な少年チャーリーと、走れなくなった競走馬との荒野の旅を静かに綴っていく。薄幸の少年を演じて観客の涙を誘うチャーリー・プラマーは、本作の演技で第74回ヴェネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞。そして息子を愛しているが保護者としては問題のある父親レイ(トラヴィス・フィメル)、厳しい現実に折り合いをつけて生きる厩舎のオーナーのデル(スティーヴ・ブシェミ)と騎手のボニー(クロエ・セヴィニー)。悪人ではないが酒で乱暴になる流れ者シルバー(スティーヴ・ザーン)、チャーリーが心の拠り所とするマージー伯母さん(アリソン・エリオット)など、チャーリーが旅の中で出会う“挫折した大人たち”を、インディペンデント映画界の名優たちが味わい深く演じているのも見逃せない。
ヘイ監督の作品で印象的なのは、役者からリアルな演技を引き出す抑制のきいた演出と、時に奥深さすら感じさせる静寂の“間”ではないだろうか。劇中で使われる60年代のポップ・ミュージックが重要な役割を果たしていた『さざなみ』でも、作曲家が書き下ろしたスコアは一切使われていなかった。それでは今回の『荒野にて』の音楽はどのようなものだったのだろうか。
メロディではなく、かすかな音の変化で少年の心情を描く
スコアを作曲したのは『タイム・トゥ・ラン』(15)や『レッド・ダイヤモンド』(16)、『ファイナル・スコア』(18)など、スコット・マン監督/製作のアクション映画での仕事が目立つジェームズ・エドワード・バーカー。ヘイが編集を務めた『Crack Willow』(08/日本未公開)の音楽を担当して以来、彼の長編映画監督デビュー作『Greek Pete』(09/日本未公開)や短編映画で何度かタッグを組んでいる作曲家である。
馬がメインキャラクターとなる映画の音楽というと、『シービスケット』(03)や『戦火の馬』(11)のようなオーケストラによるドラマティックなスコアを思い浮かべるが、鬼才ヘイ監督の作品だけに、本作の音楽は決してオーソドックスなものではなかった。当初彼らはもっとメロディックなスコアのアプローチを考えていたらしいが、ディスカッションを重ねていくうちに、アメリカ北西部の雄大な景色と調和するような、より実験的で繊細な音楽で行くことに決めたという。バイオリン、ビオラ、チェロ、ディルルバなどの擦弦楽器と、Ebowやエフェクターを駆使したギター、弓で弾いたビブラフォンとシンギングボウルなど多種多様な楽器を使った本作のスコアは、長い持続音と震える弦の響きが印象的なサウンドとなった。メロディを聴かせるタイプの音楽ではないが、様々な楽器によって奏でられる音のかすかな変化によって、チャーリーの心の機微を抑えたトーンで描き出している。
極限まで削ったサウンドトラックが魅せるリアルさ
本編122分に対して、サウンドトラックアルバムの収録時間は29分ほど。劇中でスコアが使われた時間はさらに短い。しかしこの映画の場合、音楽の主張が強すぎると感傷的な雰囲気になり、ドラマからリアルさが失われていたのではないだろうか。とは言え、もしスコアが全くなかったら、これほどまでに叙景に優れた作品にはなっていなかったかもしれない。そう思ってしまうほど、バーカーの作り出したサウンドスケープからは、言葉に出来ない深遠さが伝わってくる。音楽的装飾を極限までそぎ落とし、チャーリーのナイーブな感性と荒野の厳しさ/広大さを必要最小限の音で表現した『荒野にて』の音楽は、「頭で考えるのではなく、心で感じる音楽」と言えるだろう。
文:森本康治
『荒野にて』は2019年4月12日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷他 全国順次ロードショー
『荒野にて』
赤ん坊のころに母に捨てられ、可愛がってくれた叔母とも大人の事情で疎遠に。経済力も教養もないが愛情だけは溢れていた父を亡くし、突然天涯孤独なったチャーリーは、たった一人、馬を連れ行く先の見えない荒野へと踏み出す。
制作年: | 2017 |
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