ポール・トーマス・アンダーソンの真骨頂
無駄が多くて、説明不足で不親切、大したことは起こらない。頭の中がおっぱいでいっぱいな生意気15才男子が、家族や人生に不満と不安を抱える25才の女性に一目惚れ。「ガキと付き合えるわけないじゃん」と突っぱねる彼女だったが、次第に心を惹かれ始め……というベタな話が、とてもだらだらと2時間以上にわたって描かれます!
だから、なのか? だけど、なのか? 最適な接続詞が見つからないモヤモヤに、この映画の本質が隠れている。ていうか、そこがポール・トーマス・アンダーソンの真骨頂なわけで、とにもかくにも、一回だけ言いますが、最高でした。こういうのが見たかった! いつもありがとうPTA!!
人生には無駄な時間の方が圧倒的に多い、だけど本当は無駄なんかじゃないぜ!
『リコリス・ピザ』を例えるなら、正月に親戚のおばちゃんとおじちゃんのなれ初めを聞かされているような、しかし外に出ようにもお店はみんな閉まっているし、とりあえずみかん食べながらうんうんと頷いているうちに二人は盛り上がって、当時のレコードに針を落とし始めたりして。でも、それがみんないい曲で。物置から出してきた若く肌けた叔母の写真は、夏の陽を浴びる顔の輪郭がぼやけて、背景のテニスコートほうにピントが合っている。プリントのすっぱい匂いが鼻をつくと、なんとなく羨ましさ、のようなものがフワっと胸に上がってくる。そんな感じの映画。
……というのはあながち冗談でもなくて、ポール・トーマス・アンダーソン監督は1970年生まれ。舞台となる70年代アメリカは彼が幼少期を過ごした時代なわけで、つまり知ってるようでギリギリ知らない“あの頃”への憧れが映画全体に散りばめられている、ように見えました。その華やかな煌きと、どの時代にも共通する青春を生きる若者の怠惰な煌きとが淡く重なるところを、PTA節を効かせまくりながら描いてくれています。まじで最高。とりあえず、PTA好きな人は絶対好き。PTAの中でベストに入るかどうかは微妙。まあ、それはいままでいい作品を作りまくってきたからなので、この映画の評価を下げる要素にはならない。出演陣や、もはやネタ化したお決まりの演出からPTAファンムービーの様相は捨てきれないけれど、だから何がいけないわけでもない。ていうか、むしろいい。なんか楽しんで作ってるじゃん! って感じがして。
HAIMの末っ子! フィリップ・シーモア・ホフマンの息子!
しかし、タイトル『リコリス・ピザ』は70年代初頭にロサンゼルスであちこちにあったレコードチェーン店の名前だとか、主演は姉妹バンド・HAIMの末っ子なんですとか、HAIM一家は家族総出で出演とか、フィリップ・シーモア・ホフマンの息子が準主役だとか、ショーン・ペンの扱われ方と出演の理由とか、レオナルド・ディカプリオのお父さんが出てるとか、オタク涎垂のトピックも満載の映画ですけど、そっちに話が行きすぎちゃうと大事なところを見逃しそうな気がして、避けたい私。もちろんそれが楽しめる人はいいんだけど。
Watch the incredible Alana Haim in this official clip from #LicoricePizza, now playing in theaters. pic.twitter.com/kcG1m1LK0P
— Licorice Pizza (@licoricepizza) January 24, 2022
個人的には、「人生には無駄な時間の方が圧倒的に多い。だけど、それは本当の本当は無駄なんかじゃないぜ。良くも悪くも、ゆっくり僕たちは変わっていってしまうから!」っていうメッセージを感じずにはいられなかったし、どうして僕はそう思ったんだろうか? が気になるし、そう思わせたシーンや演出についてああでもないこうでもないと誰かと話したい。その時間も含めて完成する作品だと思う。この映画は「青春のアルバムの1ページ」ではなくて、アルバムに入らなかった、トランプみたいに雑にまとめられたボツ写真をザザーっとテーブルに広げて映してくれる。忘れられていた、思い出の控えたち。どの写真を素敵だと感じるかは、人によって違うはず。
あと、過去作の『インヒアレント・ヴァイス』(2014年)も1970年を舞台にした映画だったわけで、そことの繋がりも考えずにはいられない。あの時PTAは「ヒッピーの夢が散った70年台初頭のアメリカと現在のアメリカには、共通のムードを感じている」っていうようなことを言っていた。『インヒアレント・ヴァイス』から7年経ってもそのムードは持続されているんだろうか。今回は明るい青春映画だけど、どうしても「落としとかなければいけない影」についてはやはり、時代や観客に目配せするように、ちょこっと描いていたもんな。一応やっておくかって感じもあったけど、入れないと嘘になっちゃうから入れたに違いない。
「日本人への差別的表現」と批判を受けているシーンについても、日本人である僕たち側へ向けられた嘲笑ではなく、70年代当時のリテラシーや現在も蔓延るアジア人ヘイトへのカウンターとして準備された演出、だと僕は解釈してますけど、ちょっと失敗してるな! とは思った。個人的には気にならなかったけど、そういう感想を持てるのは僕が楽な立場でいられているからです。
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— Licorice Pizza (@licoricepizza) January 3, 2022
ストーリーを示唆するニーナ・シモンの名曲
日本公開は2022年の7月1日ということですけど、これとてもいい! 理由は二つ。
僕の記憶が確かなら、冬の描写はひとつもなかった気がします。行ったことないから知らないけど、ロサンゼルスっていつでも夏のイメージないですか? あ~やっぱりそうなんだな、思ってた通りのLAだ! っていう景色。あと、やっぱ恋って夏のものでしょ。全シーンが、いつかのひと夏の思い出みたいに儚いんですよ。コロナ禍以降、ひと夏の思い出って全然ないからかな、遠い遠い時代の人類の青春を見ているような気にすらなりました。
ふたつ目の理由、冒頭でニーナ・シモンの「July Tree」って曲が流れます。7月の木! 非常に美しい曲です。
Aメロはゆったり、秋・冬と凍える季節に耐える種について歌われます。Bメロに入って、コードがマイナーに移行し、ツッツツ、ツッツツとリズムが刻まれる瞬間、きっと内臓がフワッと浮くような気持ちよさを感じるはずです。この時、優しいファルセットで「あなたは4月の空気に吹かれる愛の種を知ってるよね、4月の風だよ」と歌われます。眠っていた愛の種が4月に目を覚まし、7月に花をつける、というストーリーの曲なのです。これって、最初に映画の大体の筋を知らせてくれてるんですね。説明不足で不親切って書いたけど、そんなことなかった! ごめんPTA!
まさしく春に吹く風のごとく、ふわっと優しく映画が離陸します。あとはじっくりと、7月に花をつけるのを待てばいい。そんな気持ちで観てはいかがでしょうか。
文:夏目知幸
『リコリス・ピザ』は2022年7月1日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
『リコリス・ピザ』
舞台は1970年代のロサンゼルス、サンフェルナンド・バレー。実在の人物や出来事を背景にアラナとゲイリーが偶然に出会ったことから、歩み寄りすれ違っていく恋模様を描き出す。
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
音楽:ジョニー・グリーンウッド
出演:アラナ・ハイム クーパー・ホフマン
ショーン・ペン トム・ウェイツ
ブラッドリー・クーパー ベニー・サフディ
制作年: | 2021 |
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2022年7月1日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開