『アイ・ラブ・ルーシー』の表と裏
『プリティ・ウーマン』(1990年)の序盤に、こんな場面がある。床に寝転がりながらテレビを見ているジュリア・ロバーツ演じるヴィヴィアンは、葡萄桶に入る女性の姿を見て大笑い。彼女が見ているのはモノクロの番組なので、もちろん再放送という設定だ。この番組は、1951年から1957年にかけて放送されたルシル・ボール主演のテレビドラマ『アイ・ラブ・ルーシー』。後に<シットコム>と呼ばれるようになる<シチュエーション・コメディ>の原形を作ったドラマとしても知られ、日本では1957年からNHKで放映されていた。時を経た2005年になっても、DVDのBOXセットが発売されたほど日本でも人気のドラマだったのだ。
ジュリア・ロバーツが笑っていた『アイ・ラブ・ルーシー』の一場面。その撮影現場の舞台裏が、Amazon Original映画『愛すべき夫妻の秘密』で描かれている。この映画は、ルシル・ボールと彼女の夫でありドラマの共演者でもあったデジ・アーナズとの、約20年にわたる結婚生活を描いた伝記映画。つまり、『アイ・ラブ・ルーシー』の製作秘話と、夫妻の知られざるエピソードとが並行して描かれているのである。
来たる第94回アカデミー賞では、ルシルを演じたニコール・キッドマンが主演女優賞、夫のデジを演じたハビエル・バルデムが主演男優賞、そして、ドラマの共演者であるウィリアム・フローリーを演じたJ・K・シモンズが助演男優賞にノミネートされている。ニコールは既に、第79回ゴールデングローブ賞で最優秀主演女優賞(ドラマ部門)に輝くなど、『愛すべき夫妻の秘密』は俳優部門での評価が高い。このことからも判るように、“アメリカ人にとってよく知られた”実在の人物に対する各々の演技アプローチは、作品の秀でた点でもあるのだ。
テレビ黎明期に貢献した<シットコム>の立役者たち
ニコール・キッドマンは『めぐりあう時間たち』(2002年)で、第75回アカデミー賞の主演女優賞を受賞しているが、この映画で演じた作家ヴァージニア・ウルフも実在の人物だった。近年も、『スキャンダル』(2019年)でニュースキャスターのグレチェン・カールソン役を、『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』(2014年)ではグレース・ケリー役を引き受けるなど、実在の人物を演じてきたという経緯がある。彼女の演技アプローチは、外見を本人に寄せながらも、“そっくりさん”のようなモノマネ演技というわけではなく、内面から本人に似せてゆくという演技手法が特徴だった。
『愛すべき夫妻の秘密』でニコールの演じたルシル・ボール役が特異なのは、“アメリカ人にとってよく知られた”ルシル・ボール本人と、『アイ・ラブ・ルーシー』のルーシー役を演じている時のルシル・ボールとを演じ分けている点にある。ルシルがルーシー役を演じる上で施した、独特の発声と動作。ニコールはその発声と動作を踏襲しつつ、メイクによって外見をルーシーに寄せることで、ルシルとルーシーの二役を演じるようなアプローチで、“アメリカ人にとってよく知られた”ルーシーとルシル双方のイメージを損ねることなく演じ分けてみせているのである。
また、『アイ・ラブ・ルーシー』は、黎明期にあったテレビ業界において、革命的な番組でもあった。例えば、スタジオに観客を入れて撮影するという手法。現場で起こった観客の笑い声を取り入れるという技法は、後に画面に映ってない観客の笑い声をあえて聞かせたり、被せたりする<ラフトラック(録音笑い)>という、現在でも使われている演出の源となっている。また、撮影スタジオに観客を招いているため、同時に複数のカメラを回して番組を収録するというスタイルも確立。これらの演出的な要素に加えて、「ひとつの家屋や部屋が主要な舞台となる一話完結の物語」という、前述の<シットコム>の基本形を構築させたという功績がある。
これらの技法に対する功労者のひとりが、『大地』(1937年)でアカデミー撮影賞を受賞したカール・フロイント。彼はドイツの映画界でキャリアをスタートさせ、フリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(1926年)などで撮影を担当。その後ハリウッドへ渡って、ユニバーサルのモンスター映画『魔人ドラキュラ』(1931年)などでも撮影を担当し、『ミイラ再生』(1932年)では監督も務めている。
Born on this day: German Jewish cinematographer and director Karl Freund, who helped define the look of German Expressionist cinema (METROPOLIS, THE LAST LAUGH), Hollywood horror (DRACULA, THE MUMMY), and the TV sitcom (I LOVE LUCY). pic.twitter.com/V9TKFJFeUp
— UCLA Film & Television Archive (@UCLAFTVArchive) January 16, 2020
ドイツ時代はF・W・ムルナウやフリッツ・ラングなど、陰影が強調された<ドイツ表現主義>の監督たちと組んでいたが、『アイ・ラブ・ルーシー』では大量の照明を当てることで影を消す平面的な照明を実践。一方で、まだテレビがモノクロ放送(映画はカラーとモノクロが併用されていた時代)だったため、黒から灰色に至るグラデーションを塗料で表現させることで、擬似的な陰影も独自に実践させている。
女性がエンターテインメント業界で立場を勝ち取ってゆくということ
日本では三谷幸喜が『アイ・ラブ・ルーシー』のファンであることを公言している。彼が手がけた2003年の<シットコム>『HR』で、戸田恵子が演じた“宇部恵子”役はルーシーを意識したのだと述懐。ちなみに、2008年に収録された日本語吹替版の新録では、戸田恵子がルーシー役を吹替え、三谷幸喜も声優に初挑戦している。三谷幸喜作品には<群像劇>という特徴があるが、『愛すべき夫妻の秘密』も<群像劇>だという共通点を持っている。それもそのはず、今作の監督であり、脚本家であるアーロン・ソーキンもまた、第83回アカデミー賞で脚色賞に輝いた『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)や、『シカゴ7裁判』(2020年)など、<群像劇>を得意としてきたという経緯があるからだ。
さらに、『愛すべき夫妻の秘密』にとって重要なのは、1950年代はじめのハリウッドが舞台となることで、<赤狩り>というアメリカの闇の時代を描いた映画にもなっている点にある。ルシル・ボールはハリウッドで表現の自由と闘い、女性がエンターテインメント業界で立場を勝ち取ってゆくことに尽力することで、作品を製作する側へも関わってゆくことになるからだ。ルシルとデジ夫妻はデジル・プロダクションを設立。やがて、『アンタッチャブル』(1959~1963年)や『スター・トレック/宇宙大作戦』(1966~1969年)、『スパイ大作戦』(1966~1973年)といった現代へ継承されてゆく作品を世に送り出してゆくことになるのである。
文:松崎健夫
【出典】
・「THE “I Love Lucy” Book」 Bart Andrews (Main street books・刊)
・「海外ドラマ超大事典」(スティングレイ・刊)
・パラマウント「アイ・ラブ・ルーシー」シーズン1 DVDリリース
『愛すべき夫妻の秘密』はPrime Videoで独占配信中
『愛すべき夫妻の秘密』
月曜日の台本の読み合わせから金曜日の公開収録までの『アイ・ラブ・ルーシー』を制作する1週間の間に、ルシル・ボールとデジ・アーナズは公私ともに危機に直面する。それは、番組や2人のキャリアと結婚生活を脅かすことになる。アーロン・ソーキンの脚本・監督による、舞台裏を描いたドラマ。
監督・脚本:アーロン・ソーキン
出演:ニコール・キッドマン ハビエル・バルデム
J・K・シモンズ ニナ・アリアンダ アリア・ショウカット
トニー・ヘイル クラーク・グレッグ
制作年: | 2021 |
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