母娘3代の愛憎関係
Netflix映画『ロスト・ドーター』は、アカデミー賞助演女優賞のノミネート経験もあるマギー・ギレンホールの長編監督デビュー作。2021年のヴェネツィア国際映画祭で脚本賞を受賞し、2022年の第94回アカデミー賞で主演女優賞、助演女優賞、脚色賞の3部門でノミネートを果たしたスリリングな心理ドラマだ。
主人公は48歳の比較文学教授レダ・カルーソ(オリヴィア・コールマン)。彼女が夏の休暇を過ごしにギリシャの海辺の貸別荘へやってくるところから物語が始まる。出迎えたのは初老の管理人ライル(エド・ハリス)で、他に何軒かの別荘の管理を任されている。別荘から下ったところに静かなビーチがあり、ビーチハウスのバイトの青年ウィル(ポール・メスカル)が何くれとなく世話を焼いてくれる。ところが、ニューヨーク州クィーンズに住むという富裕な家族が現れた日から、平穏な休暇は一変する。
初めは傍観者として、一家の若くて美しい嫁ニーナ(ダコタ・ジョンソン)と3歳の娘エレーナを眺めるうちに、レダの心に過去の苦い思い出が蘇ってくる。若い頃のレダ(ジェシー・バックリー)は、大学卒業後すぐ結婚して娘を2人もうけたが、学究生活と育児の間でストレスを感じていた。夫のジョー(ジャック・ファーシング)も教授職を目指しており、互いに子育てを押しつけあう日々。性生活もうまくいかなくなり、若いレダは次第に夫から心が離れていき、学会で自分を高く評価してくれた花形教授ハーディ(ピーター・サースガード)との関係にのめり込んでいく……。
原作はイタリアの作家エレナ・フェッランテの小説「失われた女の子」で、ナポリ出身の2人の女性の人生を追った“ナポリの物語”4部作の4作目。シリーズは世界中で翻訳され、アメリカでもミリオンセラーとなった(日本では4部作がすべて早川書房から翻訳出版されている)。イタリアでは3作目までが大河ドラマとしてテレビシリーズ化されているが、本作『ロスト・ドーター』は、女性の子育てとキャリアの対立、家族、性といったテーマを原作から抽出し、主人公の性格や背景は原作から借りつつも、新たに登場人物とストーリーを創作している。
私が巧みだと思ったのは、主人公レダの現在と過去を並行して描きつつ、彼女の対照に、若い母親ニーナ、彼女の叔母カリーという女性たちを置いた構成だ。それに、緊張を生むモチーフとしての人形の使い方も上手い。エレーナが失くした人形に対するレダの執着には、レダの母親、レダ、レダの娘という母娘3代の愛憎関係が見え隠れする。人形は母娘関係の象徴なのだ。
監督マギー・ギレンホールが女性の本質的な葛藤を描く
監督・脚色のマギー・ギレンホールは1977年ニューヨーク生まれ。父親は映画監督、母親は脚本家、弟は俳優のジェイク・ギレンホール、夫は俳優のピーター・サースガードで、サースガードとの間に2女がある。初監督は、日本から河瀬直美が参加した、世界各国18人の監督による短編オムニバス『Homemade/ホームメード』(2020年)の1篇で、『ロスト・ドーター』が初の長編だが、デビュー作とは思えないほど演出力があるのは、これまで数多くの監督の演出を経験してきたからだろう。
主演のオリヴィア・コールマンは1974年英国ノーウィッチ生まれ。これまで100本以上の作品に出演した英国の実力派女優で、ヨルゴス・ランティモスの『女王陛下のお気に入り』(2018年)で演じたアン女王役でアカデミー賞主演女優賞受賞。名優アンソニー・ホプキンスの娘役を演じたフロリアン・ゼレールの『ファーザー』(2020年)でアカデミー賞助演女優賞にノミネート。2022年の第94回アカデミー賞主演女優賞の本命は彼女だろう。
ジェシー・バックリーは、1989年アイルランドのキラーニー生まれの歌手・女優。母親の勧めで音楽と演技を学び、英国BBC放送の新人タレント発掘番組「I’d Do Anything」のファイナリストとなって注目され、2009年にはスティーヴン・ソンドハイムのミュージカル「リトル・ナイト・ドリーム」をトレヴァー・ナンが演出したリバイバル公演でウェストエンド舞台デビューした。その後、テレビのシリーズ物などに出演。映画では、トム・ハーパーの『ワイルド・ローズ』(2018年)で歌手になる夢と子育ての間で悩むシングルマザーを演じて英国アカデミー賞主演女優賞ノミネート。本作でアカデミー賞助演女優賞初ノミネートとなるなど、着実にキャリアアップしている。
その他、管理人にエド・ハリス、若いレダに忠告する旅人にアルバ・ロルヴァケルなど、要所要所を締めた的確なキャスティングも上手い。
女性には、個としての人生と、妻/母としての人生という2つの道が重なる時期がある。レダのように才能があり、意志の強い女性が、自分の夢を叶えるために個としての人生を歩もうとするとき、我が子が障害となって立ちはだかる。どの道を選んでも後悔が残るだろう。そんな女性の本質的な葛藤を描いたのが『ロスト・ドーター』なのだと思う。
同じく第94回アカデミー賞の本命、ジェーン・カンピオンの『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021年)のテーマが男性性(マチスモ)であるのに対し、『ロスト・ドーター』のテーマは女性性。両作とも監督が女性であるところが面白い。
文:齋藤敦子
『ロスト・ドーター』
海辺の町を訪れたひとりの女性。近くの別荘に滞在する若い母親の姿を目で追ううちに自らの過去の記憶が蘇り、穏やかな休暇に不穏な空気が漂い始める。
監督・脚本:マギー・ギレンホール
出演:オリヴィア・コールマン ジェシー・バックリー ダコタ・ジョンソン
エド・ハリス ピーター・サースガード ポール・メスカル
ダグマーラ・ドミンチック アルバ・ロルヴァケル ジャック・ファーシング
オリヴァー・ジャクソン=コーエン パノス・コロニス
制作年: | 2021 |
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