発症率が数万人に一人という不治の病に侵された茉莉と、同窓会で再会した和人のかけがえのない日々をつづった映画『余命10年』。原作者の小坂流加さんは、自身も病と闘いながら本作を書き上げたという。
まさに命を込めた、非常に強い想いが詰まった小説の映画化を手掛けたのは、映画『ヤクザと家族 The Family』(2021年)などで注目を集める藤井道人監督。約1年かけて撮影したという本作で主演を務めたのは、若い世代を中心に絶大な支持を得る坂口健太郎と小松菜奈だ。
今回はCS映画専門チャンネル ムービープラスで放送中の映画情報番組「映画館へ行こう」のMC小林麗菜が、真部和人役の坂口にインタビュー。難役に挑戦した小松に寄り添う共演スタンスや、あくまで自然体で藤井監督と掘り下げていった役作りなどについて、たっぷり語ってくれた。
「僕も泣いちゃいました」
―『余命10年』、本当に素晴らしい作品でした。マスクがびっちょびちょになるくらい泣きました。
お~! あはは。
―余韻で1週間は思い出し泣きできるくらい心にズドンときました。
嬉しい。僕も完成したものを初めて観たときに、あまり自分が出演している作品には100%感情移入ができなかったりするんですけど……泣いちゃいました。
―坂口さんも泣かれたんですか!?
泣いちゃいましたね。
―それだけ今作に思い入れがあって、坂口さんの心が揺さぶられたのでしょうか。
そうですね。もちろん台本も事前に読んでいますし、お芝居をしたうえでストーリーも分かっているんですけど、茉莉と和人として画の中にちゃんと生きている姿を目の当たりにして、「あぁ、すごいものができたな」と感じました。
―出演オファーが来たときは、どんなお気持ちだったんですか?
タイトルにもある通り『余命10年』という“命のストーリー”ではあるんですけど、実際は本を読ませていただいたときに、これはすごく精神的な没入感が必要になってくるなと思ってはいたんです。それで、いざ監督とお話させていただいたときには、まだこの映画に携わることが決まる前段階だったんですが、なんていうんだろう……リアルなお芝居を求めるというか、しっかり和人として生き切らないといけない、すごく難しい作品だなと思いました。
ある種“お芝居してるんだよ”って見えてしまうと、どこか一歩引いてしまうというか。本当に、そこに“一人の男の子として立つ”ということは、すごく難しかったりするので。でもクランクインしてからは、ずーっと和人として頭の中に役が生きていたというか。その中で茉莉のことをふと思い出したりもしていますし、すごく心地のいい時間で撮れた作品でしたね。
―脚本を読まれて、さらに実際に和人を演じて、いかがでしたか?
正直に言うと、あまり大変さは感じなかったかもしれないです。究極ですけど、ある種“その人”としてそこに居ればよかったので。だから、お芝居のここが難しいとか、じゃあこんな表現、こんなアプローチをしてみよう、というよりも、本当に和人としてただ居ればよかったというか。だから新しいギミックを入れてみようとか、テクニックで色々やってみようということよりも……でも、そういう意味で言うと‟和人として居ること”自体が難しかったですね。
―撮影に1年をかけて、さらにいろんな年齢の和人を演じていらっしゃるじゃないですか。その演じ分けが本当に見事だなと思いました。
そうですね~、本当に。
―ご自身で何か意識されたこととかは?
1年かけて撮っていても、必ずしも時間軸が台本通りにはいかなかったりもするので、本当に“表情ひとつ”じゃないですけど、声の音程というか、そういった細かいところの調整みたいなものは、監督と一緒にすごく(綿密に)やらせてもらいました。
―最初は人見知りというか、ちょっとおどおどした和人から、後半はもう堂々とされていて。
すでに観てくださった方々にも、本当にこの10年間をちゃんと生きていたね、と言ってもらえました。
「共演者にとって、セリフを一番言いやすい相手でいたい」
―小松菜奈さんとは初共演だったんですよね?
そうですね、初めましてでした。
―初共演、いかがでしたか?
この表現が合っているか分からないんですが、菜奈ちゃんも本当に茉莉そのものだったんです。もちろんすごく印象的なお芝居をたくさんしてはいるんですけど、撮影現場でも“ただ茉莉でいてくれた”というか……。だから、それによって僕も和人でいられたという部分はすごくありましたね。カメラが回っていないふとした瞬間に、菜奈ちゃんなんだけど茉莉にも見えるというか、役と相対しているときは茉莉だけれど、どこか菜奈ちゃんの欠片をちょっと見せてくれるというか。それって役との“共鳴率”じゃないですけど、そういうことをすごく感じながら撮影していました。
―小松さんも、あの居酒屋のシーンなどは殆ど話したことがない、本当に初対面みたいな感じで、それが結果的にリアルになったとおっしゃっていました。その距離というのは、どうやって縮めていったんですか?
雪山でソリに乗るシーンを撮影するとき、カメラのセッティング中に「どんな感じ?」みたいに話したのがきっかけだったかもしれないですね。今回、菜奈ちゃんは身体づくりなど色々と調整もしていたので、彼女の大変さなどを知りたいとも思っていました。
恋愛映画を撮るとなった時に、必ずしも距離が近くなくてもいいとは思っていて。お互いが感情の一部分を出すときに、出しやすい相手でいようと思ってはいるんですが。だからテクニックとかが必要なわけじゃなく、ただ目の前にいる人に、書いてあるセリフを一番言いやすい人でいたいなとは思っていますね。
―なるほど。小松さんは1年かけて減量されたそうですが、ずっと食べていないと感情も入りにくくなって……。
やっぱり、頭もぼやけてくる。
―あのキッチンのシーンでは感情が出なくなって大変だったと小松さんがおっしゃていたんですが、そばで見ていて坂口さんはいかがでしたか?
うーん……大変そうだな、と思いました。でも、そこで僕が何かできるかって言うと、やっぱりできることは限られているし、何もしないで寄り添っているだけでいいんだろうな、という感じではありましたね。感情が出ない、じゃあこういう風にやってみたら? とかじゃなく、ただただそばにいるというか、それだけでいいんだろうなと思っていました。
―近くで寄り添って。
彼女の演技に対していろんなアプローチをしたかというと……正直そうではなかったと今、思いました。積極的に介入しないアプローチの仕方っていう意味では、やっていたのかなと。本当に“無理に話さない”というか、気持ちが乗って、じゃあ話そうっていうときだけ話したり。だから無理がなかったという感じではあったかもしれないですね。
―それが自然な関係性につながったのかもしれないですね。今回は坂口さんが号泣されるシーンもありましたが、過去作を拝見していて、坂口さんがあそこまで泣くお芝居は珍しいんじゃないかなと感じたんですが、いかがでしたか?
寒かったです。
―寒かったですよね、間違いなく。
本当に寒くて。寒すぎると何も出てこないんですよね、もはや。だから大変でした。
―そっちに持っていかれちゃいますもんね、感情。
でも何パターンか撮ったんですが急に感情が出て、出すぎて立ち眩み……みたいになるときもあったりとか。やっぱり和人からすると、茉莉って自分のことを救ってくれたというか、そういう存在だったので。だから、いろんなシーンでこみ上げてきちゃったりするんですよね。
―泣くシーンではなくても、こみ上げてきてしまう?
彼女と一回離れて、駅から出てきた彼女にまた走っていって対面するシーンとかは、ト書に「ここで感極まる和人」とは書いていないんですけど、やっぱり「死にたいって思ってた僕に生きたいと思わせてくれた茉莉ちゃん」っていうセリフを言うだけで、なんかもう泣けてきちゃうというか……。ほんとに和人は茉莉によって救われてるんだなって考えながら台本を読んでいると、それだけでちょっとずつあふれてきちゃうものがあって。
でもやっぱり、菜奈ちゃんのほうが大変だったと思うんですよ。和人は事実を知るまでは「茉莉ちゃん、茉莉ちゃん」ってなっている男の子だったけれど、彼女はいろんなことをすごく抱えたまま、彼と一緒にいる。自分に嘘をつくわけじゃないですけど、心の底から「彼と一緒に居ていいのか?」って自問自答する日々もあっただろうし。だから、役の感情の裏にあるものをずっと抱えながらお芝居をしなきゃいけなかった彼女は、すごく大変だっただろうなと思います。
「藤井監督は人間の感情をちゃんと紡いでくれる」
―今回は監督が藤井道人さんですが、撮影中に何かアドバイスをもらったりしましたか?
ちょっと長いシーンでは、すごく細かく演出プランが監督にあって。でも演出を受けたというよりは、和人の役について「彼ってこういう性格だよね」「和人って、こういう時にこんなことを思う」とか……役に対して他愛のない会話をずっとしていた、という1年でした。こういうシーンはここまで感情を出して、みたいな演出は全くなくて、和人という男の子に対して二人が思っている気持ちというか、友達のことを話すような感覚で、ただただ和人についていろんな話をした、という感じでした。カメラが回ってないときに、和人の思い出話をたくさんしたというような。
10年間を2時間で描くわけですから、台本に書いていない部分など、抜け落ちているかもしれない日常的な和人の話をすることで、そこを監督がどんどん埋めてくれました。
ドラマや映画作品をやるときは書かれていない部分が気になったりするんですが、なんで彼はこういうことを言うんだろう? とか、映像としての表現はないけれど色んなことがあったからこそ乗っかってくる感情の部分だったりが、監督と普通に会話することで埋まっていったという感じでしたね。
―本当に自然体だったんですね。
藤井監督は「僕は恋愛映画はそんなに分かんないんだよ~」っておっしゃってたんですが、恋愛映画にかぎらず人間の感情をちゃんと紡いでくれる監督なので、それは恋愛だけじゃなく仕事なんかにも全部共通すると思います。
―そうですよね。
うん、だから今回は和人に対して‟僕と監督の友達が和人”みたいに感じた時もありましたね。
―共演者の方々のお話も伺いたいんですが、リリー・フランキーさんや松重豊さんとの共演はいかがでしたか?
松重さんとは昔ドラマでご一緒させていただいていて、その時はすごく熱血な男性の役だったんですが、今回の役(茉莉の父、高林明久)は寡黙で……初号試写のときに松重さんのシーンですごくグッときちゃったんです。セリフは無いのに、ただただ茉莉を見ている目の、その慈しむような感じにすごく愛情が見えて、もうそれだけで泣けてきちゃいました。
ゲンさん(リリー・フランキー)は、あの人がいてくれたことによって和人がちょっとずつ成長したり、心の置き所になってくれた人でもあったので、リリーさんがゲンさんとしてボソッと言うことがすごく響くというか。あの「今日はもう上がっていいぞ」って言うシーンなんかは、もう声だけでいろんなことが伝わってくる、すごく幸せな時間でした。松重さんとの共演シーンは多くなかったんですが、リリーさんとも一緒にお芝居ができて、すごく豊かな時間を切り取ってもらったなという感じがしましたね。
―お二人のシーン、素敵でした。そこでもちょっとウルっときてしまったんですけど。
どこが良かったですか?。観ていただいた方とお話すると、人それぞれ全然(良かったというシーンが)違うんですよ。
―私の場合はもう冒頭から泣いているので。
あはは。
―でも本当に、いろんな人たちの生きている過程すべてにグッときてしまって、観ている側には登場人物たちの裏側の気持ちも分かるからこそ、私はもう終始涙腺崩壊していました。だからどこが良かったとかは、あと20分くらい時間もらわないと話せないんですけど、すごいダッシュしているシーンでも泣きましたし。
あれはほんとギリギリでした、太もも。
―では最後に、みなさんにメッセージをお願いします。
藤井監督がクランクインした頃に「僕は、茉莉と和人の10年を生き切るさまを覗き見しているだけでいい」とおっしゃっていて。その二人の美しい姿というか、生き様って言ってしまうと少し大げさかもしれないですが、その10年を感じていただけたら嬉しいなと思います。
取材:小林麗菜
撮影:落合由夏
スタイリスト:壽村太一
ヘアメイク:廣瀬瑠美
『余命10年』は2022年3月4日(金)より全国公開
『余命10年』
数万人に一人という不治の病で余命が10年であることを知った二十歳の茉莉。彼女は生きることに執着しないよう、恋だけはしないと心に決めて生きていた。そんなとき、同窓会で再会したのは、かつて同級生だった和人。別々の人生を歩んでいた二人は、この出会いをきっかけに急接近することに——。
もう会ってはいけないと思いながら、自らが病に侵されていることを隠して、どこにでもいる男女のように和人と楽しい時を重ねてしまう茉莉。——「これ以上カズくんといたら、死ぬのが怖くなる」。
思い出の数が増えるたびに失われていく残された時間。二人が最後に選んだ道とは……?
制作年: | 2021 |
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監督: | |
脚本: | |
音楽: | |
出演: |
2022年3月4日(金)より全国公開