「ナチスもの」ではないナチス関連作品
以前も書いたことがあるが、最近「ナチスものが多いね」という会話はもう数十年続いている。あれだけのことが起きると、おそらくそこから派生する物語は無限に存在するということだろう。
『マヤの秘密』は最初から最後まで一度たりとも緩むことなく、延々と不穏な空気の中に一本の細い糸が切れてしまうギリギリまで張られたような緊張感をもって、観る者を席に縛り付ける。疲れる。
この女どうするつもりだろうと思うと一気にケリをつけてみたり、男はどうなるどうなると冷や汗垂らしていると、いやそれはやめて欲しいという展開を見せる。簡単に言えば、先が読めない。伏線張って、回収して、という教科書通りには作られていないサスペンス。これは見逃せんでしょう、と、これで終わってもいいんだけど、もう少し。
ナチスドイツはユダヤ人だけでなく、精神疾患のある者、ロマ等、邪魔だと思う人間を収容所に入れた。主人公のマヤもその1人。女たちだけで収容所を脱走し、森の小屋で休んでいるとドイツ敗残兵がたまたまそれを見つけ、全員を強姦したのち、殺し去って行ったはずだった。マヤを逃してしまった以外。
マヤは戦後アメリカに渡り、理想的な夫を得て、子供もいる幸せを掴んだが、ある日公園でドイツ兵が彼女たちを襲った時に吹いた指笛を聞く。全身が硬直するような恐怖。振り返れば自分を襲った、あの男だ。恐怖と憎しみで後先考えられないマヤは、逆に男を襲って自宅に監禁する。
男は「俺はスイス人で戦争にも行っていない。人違いもいい加減にしろ」と主張する。マヤも一抹の不安を感じるが、直感的にこの男だと確信に近いものを得ている。しかし、それまでそんな話は一度も聞かされたことがなかった夫・ルイスは、妻がとんでもない勘違いで凶悪犯罪を犯しているのではないかとパニックに陥る。
「警察に行こう」
「いや、殺すわ」
「いやいや、そんな無茶な」
「ここまで来たらそうするしかないでしょ」
的な不毛なやりとり。しかし、物語は展開させねば。捕まえてきた男は本当にマヤを犯して妹を殺したのか? どうだ、どうなんだ。
まだまだここから痺れてきますから、続きはぜひ劇場で。
ノオミ・ラパスという俳優
ノオミ・ラパスがスクリーンに現れると緊張が走る。美しいけど、怖い。スウェーデン版オリジナル『ミレニアム』シリーズ(2009年)で、頭をトンカチで殴られたような衝撃を受けた。イーサン・ホークと共演した『ストックホルム・ケース』(2018年)では少し柔らかくなっていたが、騙されてはいけない。この俳優の正体は、やはりこの『マヤの秘密』の通りである。
ノオミ・ラパスは『マヤの秘密』の製作総指揮も務めている。お飾りの名前だけ総指揮だと思ったら、監督、役者へのオファー、キャラクター設定にまで関わっていたらしい。本気の本気。監督と綿密な打ち合わせを経て撮影に臨み、そこからは役者として変貌する。いったん撮影に入れば、役者は監督の要求に従う。製作総指揮、役者と自分を使い分けている、あるいは平野啓一郎さんの言うところの「分人」が成立しているのであろうか。
面白いのは監禁される憎々しい男トーマス(ジョエル・キナマン)は、最初はマヤの夫としてキャスティングされていたという。ジョエル・キナマンもスウェーデン出身の俳優。このところやたらと人気ドラマ/映画に出演している。
登場人物が極めて少ないこの作品であるからこそ、一つ間違えば期待していた緊張感は得られない。キャスティングは大事よね、と当たり前のことを改めて感じる。
6週間の撮影
米ニューオーリンズ周辺で撮影が行われたが、6週間で撮り終えたらしい。日本映画では6週間あれば余裕だが、アメリカではそうはいかない。時間になれば撮影できないし、土日に撮影となればエキストラ料金がやたらとかかる。なのに1日10時間以上撮ることもあったらしい。綿密に稼働スケジュールを調整したのか、ノオミ・ラパスの迫力に押されのたか。
少人数の役者がギリギリを演じる。監禁される男に噛ませる猿ぐつわは本当に口の奥まで深く食い込み、手足の縛りも手加減なしで、「もっときつく縛らんかい」と監督から激が飛んだらしい。やられる側はかなり頭にきたというが、それでこれができたのだから文句はないだろう。
97分と比較的短い作品だが、考え尽くされた細かな仕掛けと役者たちの全身全霊をかけた芝居が濃縮されており、果たして観客は耐えられるのか、というほどの出来だ。
文:大倉眞一郎
『マヤの秘密』は2022年2月18日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
『マヤの秘密』
1950年代後半、アメリカ郊外の街。ある日、ロマ民族のマヤは、街で男の指笛を聞いた瞬間、“ある悪夢”が蘇ってくる。最近、近所に越してきたその男は、戦時中に自分を暴行し、妹を殺したナチスの軍人で、マヤがいまでも悩まされる悪夢の元凶だった。マヤは復讐心から男を殺そうと誘拐し、夫・ルイスの手を借りて地下室へと監禁するが、トーマスと名乗るその男は人違いだと主張し続ける。記憶がおぼろげなマヤは、男を殺したい気持ちと同時に、ただ事実を知りたいと罪の自白を男に強要し続ける。一方、男のほうもマヤの話を否定し続けるものの、何かを隠しているような表情をみせる。マヤを信じたい夫は、妻の狂気じみた行動と知らなかった秘密を知り、真実を突き止めようと奮闘する。さらに、監禁された男の妻は、夫の安否を心配しながらも、自らの素性を話さなかった夫への不信感を募らせる。それぞれの秘密が明らかになるにつれ、新たな疑念が生まれる。何が真実なのか? 彼女の悪夢は《妄想》か? 《現実》か? 最後まで読めない展開は、観客を釘付けにする――。
制作年: | 2020 |
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監督: | |
出演: |
2022年2月18日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開