海外で経済的に失敗し、それでも日本に帰れず貧困地区で細々と暮らす困窮邦人たち。そんな彼らを追ったドキュメンタリー『なれのはて』が、2021年12月18日(土)より劇場公開される。この映画の凄みは、フィリピンで暮らす日本人を撮りながら、現代日本そのものが浮き彫りになってしまったところにある。
撮影中に政権交代が起こり、ゴリゴリの右派であるロドリゴ・ドゥテルテ氏が大統領に就任したフィリピンの状況なども含め、作品の背景や撮影の動機を粂田剛監督に聞いた。
「最下層の人たちは圧倒的にドゥテルテ支持」
―ドゥテルテ政権になった2016年から急速に麻薬に対して厳しくなり、売買の疑いがあれば証拠もなしに“撃っていい”という……。
あの人の場合、ダバオの市長だった時代から私設暗殺団を持っていて。本人は認めていないけれど、犯罪者をどんどん殺して、さらにジャーナリストとかも殺して、結果的にダバオの治安がとても良くなったんです。その実績を引っさげて大統領に立候補したんですが、選挙運動のときから「私が当選したらマニラに血の雨が降ります」って言い切ってましたからね。で、本当に血の雨を降らせた。でも悪い人をみんな殺しちゃうから、実際に治安は良くなるんです。だから僕らが取材しているような最下層の人たちは圧倒的にドゥテルテ支持で、フィリピンの人たちも治安が悪いことにうんざりしていたんだなとは思いましたけどね。
―国際社会の批判とかも全然、関係なく?
彼らには関係ないですね。個人的にはタバコに対してすごく厳しくなったのが面倒でした。ドゥテルテはタバコも嫌いなので、厳しく取り締まっています。それまでは、僕が学生だった30年くらい前の日本みたいな感じで、そこら辺の食堂に灰皿がポンポン置いてあって普通に吸えたんですが、いまは道端でタバコを吸っているとすぐに罰金を取られます。もう半分“たかる”感じなんですけどね、僕は外国人ですから。
―タバコの取り締まりも良い収入になっているんでしょうね。
もう警察官のお小遣いですね。あとマニラは物価も上がっていて、200ペソで食べられたものが250、300ペソになる。経済成長ってこういうことか、日本も昔はこうだったのかと思いました。
―本作で描かれている路地裏の景色などは日本人が観てもちょっと懐かしさを感じますが、今後はフィリピンの人たちにとってもそうなる可能性が。
あります、あります。ずいぶん変わったと思いますね。いわゆる中間層がこの10年で急に増えたと言われていますけど、フィリピン人自体も変わってきました。
―制作日誌では、麻薬中毒の女性に案内されて嶋村さん(困窮邦人・元警官)の所に行ったとか、安岡さん(同・元証券会社社員)のパートナーのクリスティも中毒者と書かれていましたが、彼女たちがドゥテルテ政権に殺されしてまうのではないかと心配でした。
クリスティとは連絡が取れなくなってしまいました。安岡さんと2人で暮らしていたので(ひとりでは)家賃も払えない、と。『ローサは密告された』(2016年:ブリランテ・メンドーサ監督)みたいになってなければいいですけど……。でも安岡さんに「ドゥテルテ(政権)は大丈夫ですか?」と聞いたら、「大丈夫だよ、俺なんか捕まえないよ。こんな貧乏なんだから」と言っていましたけどね。
「彼らはみんな、後悔はしていないんじゃないかと思う」
―監督にとって、フィリピンはどんなところですか?
どんなところ……。
―一言では言えない感じですか?
どうなんでしょう。めちゃくちゃなんですよね、すべてがめちゃくちゃ。ただ、日本と足して2で割るとちょうど良いという感じはいつもしていました。フィリピンは子供が多いですしね。みんな欲望に忠実なんですよ。自分が欲しいものは欲しいと言うし、音楽を聴きたければフルボリュームで流して、周りの人は知ったことじゃない。その辺はある意味、新鮮でした。
やっぱり日本人は周囲を窺いながら生きているじゃないですか、自分も含めて。だから「欲望に忠実で自由だな、この人たちは」と思っていました。ただ現地で付き合っていた人たちが、いわゆる一番下にいる方々だったので、裕福な人たちの考えていることはわかりませんが。でも、見ている限りではそんな感じでした。
―その経験を踏まえられて、日本はどんな国だと感じますか。
今回のコロナ禍でも、いわゆる同調圧力というものがこれだけすさまじく効く国も他にないですよね。普通に「みんな怒るやろ!」みたいなところもありますし。なんで、みんなちゃんと言うことを聞くんでしょうか? 信じられない……。それがいいところでもあるんでしょうね、「和をもって尊しとなす」という国ですよね。
―ただ、一方では人が殺されるのではなく自殺してしまう……。
そうですね。前に一度調べたんですが、フィリピンは自殺率が一番低いんですよ、アジア圏で。
―そうなんですか!
韓国・日本・中国、やっぱり東アジアが高いです。世界で言うとメキシコがいちばん低くて、東洋圏ではフィリピンがいちばん低い。だって、みんな「幸せだ」って言うんですよ、今日の米どうしようか? っていう人たちが。「幸せですか?」って何人かに聞いたんですけど、「幸せだ。家族がいるから幸せだ」と言う。「そうなの? でも、お金ないでしょう」と聞いても、「幸せだ」って。すごいなあと思いましたね。それは議論にもなりました。「家族ってそんなに大事なの? なんで大事なの?」みたいな。「俺にとって家族は妻と子供だけです」と言うとすごくびっくりされて、「えっ、お父さんお母さんは?」と言うから、「うちの両親は離れて暮らしてるし、もう独立したから」と返すと、もう「えええ!?」みたいな。「じゃあ、あなたにとってはどこまで家族なんですか?」って聞くと、「いとこの子ども」とか。そこの差がすごくあるんです。
だいたい向こうで結婚した人って、そこで悩むんですね。「今度田舎から家族が出てくるんだけど2、3日泊まっていいかな」って言われて、総勢20人くらい来るわけです。それで結局2週間くらい泊まっていくから、食事代も全部出さないといけない。大体そこで「どうなってるんだ、これは!?」とケンカになって別れるか、「どこかで線引きしよう」ということになり、「お父さんお母さんはOK」「兄弟姉妹まではOK」「それ以外は知らない!」ってやらないと、もう大変なことになるんですよ。
大概、どの家にも居候がいますからね。平山さん(困窮邦人・元トラック運転手)も2人くらいずっと面倒を見ていて、聞くと兄弟のいとこの子とかなんです。「なんで面倒見てるの?」って聞くと、テス(平山さんのパートナーの女性)とかは「まあ、かわいそうだから」って言うんですけど、平山さんは煙たがってましたね。
―やっぱり……。
日本人は嫌なんですよね。なんでこいつまで食わせなきゃならんのか? と思うわけです。
―でも作品の中では、そういう居候の人ですら仕事を見つけたらみんなでお金を持ち寄って、みたいに見えました。
なんだろう、助け合うんでしょうね。でも、持っている人が出すのが当たり前、みたいなところはありますよ。GDPの3割を海外から稼いでくる国なので。“外で稼いだ奴が食わせるんだ”というのが、どうにも染みついてるんですかね。不思議でしょうがなかったんですけど。
―困窮邦人の平山さんと谷口さん(困窮邦人・元暴力団構成員)は「こっちに来たほうが幸せだよ」とはっきり仰っていて、かなり衝撃でした。ですが一方では、みなさん歯が何本か無かったりもして、もし適切な医療を受けられていれば……ということも感じられて。そういうところまで含めて、結果的には“日本人にとって何が幸せなのか”ということを問いかける内容になったと思うんですけれども。
平山さんは、すごく羨ましいと思いました。はっきり「いまのほうが全然いい、日本にいたときより全然いい」って。あのシーン、お酒を飲みながら喋っていて、そんな話になったから慌ててカメラを回したんですよ。「いま、いいこと言いましたね!」って。平山さんは特に、2回目の人生を生きているんだなという感じがしました。それまでの日本での生活をすべて捨てた、新しい人生。でも、最初はすごく苦労されたと思いますよ、いまでは良い人と知り合って幸せに生きているけれど。
あと、彼らはみんな「自業自得だから」「いま、ここでこんなことになっているのは自分のせいにほかなりませんから」って、本人がそう言っていたんですが、それがいいなあと思って。後悔はしていないんじゃないかなと思うんですよね。なにしろフィリピンの平均寿命、60代ですからね(※2019年調査では70.5歳)。そういう意味では、現地の平均寿命よりちょっと長く生きたんです。日本と比べると若くして亡くなっていることになりますけど。平山さんは現在もお元気ですが、この1年半はコロナのせいで自宅の前の路地50メートルくらい以上は外に出られないと言っていました。なので脚がすごく弱ったと。
―なるほど。ではコロナ後の状況も聞いてらっしゃるんですか。
いまご存命なのは平山さんだけですが、ちょこちょこ連絡は来ますし、他に知り合いも何人かいるので。フィリピンのロックダウンは世界最長だったんですよ。
「人間の“その後”を見届けたいという気持ちがある」
―本作をお撮りになって、これが幸せなのかな? と感じたことはありますか?「幸せってこういうことなのか」と。
質問の主旨とはズレますが、撮影しているときと編集してるときに「ああ、俺はこれがやりたかったんだな」と思いました。それまでのテレビの仕事だったり他のお金をいただくお仕事は、どうしても締め切りがあったり予算が限られていたりするので、どこかで“切られる”わけですよね。これ(映画)に関しては、もう徹底的に自分が終わりだと思うまで取材して、納得いくまで編集しようと思っていたので、夜中に眠気に耐えて編集作業をしながら「これがやりたかったんだな」「これが幸せなんだな」と感じていました。
―すでに本作が代表作になったと思いますが、映画監督としての今後の抱負を教えてください。
いくつか取材を始めているものがあるので、それがどうなるか? というところです。「『なれのはて』パート2」的なものがあって、それは『ベイウォーク』というタイトルにしたんですが、2021年の第4回東京ドキュメンタリー映画祭(12月11日~17日まで開催)で評価してもらえれば、また上映させてもらえると思います。
―ぜひ拝見したいと思います。
他にやりたいものはいくつかあるんですが、なかなかバタバタしているので難しくて。ただ、これで若い時なら「よし、俺の時代が来た!」くらいに思ったかもしれませんが、もういい歳ですし“俺の時代”は来ないだろうけれど(笑)、少しでも企画が通りやすいとか、ギャラは上がらないにしても、例えば劇場で僕が撮った映画に対して「いいね」と言ってくれる人が増えたり、そういう状況になればいいなとは思っています。
―では、テレビのお仕事は続けられるんですね。
いや、わからないです。もし『なれのはて』が大ヒットして、何もしなくてもしばらく食べていけるとなったら(笑)。
岩井さん(配給会社代表):そんなことあったらびっくりですけどね(笑)。
そう。だから並行していろんなものがあるし、あと何本作れるか、もう先が見えてるわけじゃないですか。
―先が見えてるとは思いませんよ。
だって、これも完成に10年かかったんですよ? いまからもう一本撮ったら60過ぎてるな、みたいな。もうちょっと短い期間で作れないかなとは思いますけどね。
―でも、この1作で終わらず続いていきそうですよね。フィリピンだけでなく、困窮している方々を対象にして。
そこに関して言いたいことはないんですよね。ただ「面白いな」と思っているだけ。それで「何がどうして面白いのか」と考えたときに、(スタンリー・)キューブリックの『バリー・リンドン』(1975年)ってあるでしょう? あの映画がすごく好きで。ラストシーンのほうで、バリーがイギリスの貴族の家を追い出されてヨーロッパで野垂れ死んだ、みたいなことがナレーションかテロップで入るんですが、「バリーの最期を見たかった!」とすごく思った記憶があって、「ああ、これか」と思いました。
―“客死”というものにロマンを感じる?
そういうことですね。何十年か前に“風船おじさん”っていたでしょう? もしあの人がどこかに行き着いていたら、どんな暮らをしてたのかなとか、すごく興味がある。
―では本作をお撮りになったのは、その物語の先を探していくような……。
そうですね、映画でもそういったものが大好きで。物語が終わった後、テロップで「この人物はその後、こうなってああなって~」というのが結構あるじゃないですか。『アメリカン・グラフィティ』(1973年)とか。ああいうのが大好きで、映画を観ながら想像しているような子供でした。それを自分の目で見たい、という部分がある。自分を分析してみて、そんな気がしました。
取材・文:遠藤京子
『なれのはて』は2021年12月18日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開
『なれのはて』
マニラの貧困地区、路地の奥にひっそりと住む高齢の日本人男性たち。「困窮邦人」と呼ばれる彼らは、まわりの人の助けを借りながら、僅かな日銭を稼ぎ、細々と毎日を過ごしている。警察官、暴力団員、証券会社員、トラック運転手…かつては日本で職に就き、家族がいるのにも関わらず、何らかの理由で帰国しないまま、そこで人生の最後となるであろう日々を送っている。
本作は、この地で寄る辺なく暮らす4人の老人男性の姿を、実に7年間の歳月をかけて追ったドキュメンタリーだ。半身が不自由になり、近隣の人々の助けを借りてリハビリする男、連れ添った現地妻とささやかながら仲睦まじい生活を送る男、便所掃除をして軒下に居候している男、最も稼げないジープの呼び込みでフィリピンの家族を支える男…。カメラは、彼らの日常、そしてそのまわりの人々の姿を淡々と捉えていく。
制作年: | 2021 |
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監督: | |
出演: |
2021年12月18日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次公開