『なれのはて』は特異な映画だ。登場するのはフィリピンの困窮邦人――海外で生活が困窮し、それでも日本に帰れず貧困地区に暮らす男たち。どういう事情でその生活に流れ着き、どのように暮らしてきたのか。2012年から2019年まで20回にわたって現地で取材を行った本作は、2020年の第3回東京ドキュメンタリー映画祭で長編部門グランプリと観客賞を堂々受賞した。
2021年12月18日(土)に本作の劇場公開を控える粂田剛監督に、完成までの軌跡を聞いた。
「最初は困窮邦人となかなか出会えなかった」
―フィリピンの困窮邦人を、どのような経緯で知ったんですか?
水谷竹秀さんの『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)という本を読んだのがきっかけです。その10年くらい前、2000年頃に1ヶ月ほど、フィリピンの少数民族が暮らす村にカメラを持って行ってたんですよ。そのときはちょっと上手くいかずに帰ってきたんですが、それがずーっと心に引っかかっていて、「いつかフィリピンでリベンジを!」と思っていたところに、水谷さんの本を読んで「あっ、こういう人たちがいる!」と。英語は通じるとは言え、外国人を描くには言葉の問題が若干あるんですよね。でも日本人ならいけるぞ、という感じで(笑)。というのが、そもそものきっかけです。
最初はテレビの企画になるかもしれないということで、最初に行って撮ってきたものをフジテレビの『ザ・ノンフィクション』に持って行ったら「いいよ、面白いじゃん」ということで撮り始めたんですが、なかなか最初は(困窮邦人が)見つからない。すぐ見つかるやろっていう甘い考えが早々に挫折し、こりゃ大変だなと……。まず探すまでにすごく時間がかかって、1年半くらいは誰を撮ったらいいのか、という感じでした。
―具体的に、どういうご苦労をされたのでしょうか。
とにかく、どこにいるのか分からないんですよね。コミュニティにはあまりいないわけです。彼らは日本人のコミュニティから外れているから。「どこにそういう人たちがいるの?」みたいなことから始まって、 それこそ最初のころは『笑っていいとも』みたいな、まず日本人に会って「誰か紹介してください」「周りに誰かいませんか」みたいな感じでしたね。
―そうした紹介を重ねてたどり着いたのですか?。
最初、水谷さんが働いていたフィリピンの邦字紙「日刊マニラ新聞」の記者さんにコンタクトを取ったら、「昔よく一緒にやってたけども、いま貧乏になっちゃって大変な人がいるよ」ということで、嶋村さん(困窮邦人・元警官)を紹介してもらい取材しました。2010年9月、本当にいちばん最初に会った人です。
谷口さん(同・元暴力団構成員)のことは、知り合いの日本人から「あそこに日本人が居候してるらしいよ」という噂話を聞いて訪ねていって、「いますか」「いますか」「あ、ここにいた」みたいな感じで。そのあともどんどん人数が増えていきました。
―お一人のケースだけだと番組にするのは難しいな、ということだったんでしょうか?
そうですね。最初からこの数人だけ撮る気はなかったんですが、もうちょっといるんじゃないの? っていうことで、どんどん増えていった感じです。一人では困窮邦人のロールモデルにはなり得ないじゃないですか。いろんな事情の人がいるんだろうから、もうちょっと知りたいなっていうところですね。
―この四人の方々なんですけれども、出演はどういう経緯で可能になったんでしょうか。どのように交渉なさったんですか?
彼らは日本人コミュニティから外れたところに一人ぼっちで住んでいるので、やっぱり訪ねてきた相手と日本語で喋れることが単純にうれしいわけです。そんなことから始まってだんだん仲良くなり、僕がお金を出して一緒にご飯を食べたりしました。数百円なので大したことではないんですが、歓迎してくれるんですよね。僕が行くと「飯が食えるぞ」とか、そういうレベルで。嶋村さんは、すごく意識的に「なんでも撮っていいよ」と。「日本人がこんなところで、こんな暮らしをしてるっていうことを多くの人に知ってもらいたい」みたいなことは仰ってました。
時系列は一人一人バラバラなんですよね。嶋村さんがいちばん最初で、彼は2014年に亡くなっています。ここで終わろうかどうしようかと思ったんですが、あれだけ嶋村さんが「なんでも撮っていいよ」って言ってくださったのに「なんにもなりませんでした」では申し訳ないということもあり、そこからしつこく続けたという感じですね。
―食事代以外にも提供したものはありますか?
ちょっとずつお金はお渡ししました。日本円にしたら200~400円くらいですけど、せめて「これでご飯食べてください」と。やっぱり明らかに苦しい生活をされているので。
―先方は「ありがたい」という感じだったんでしょうか。
もう、めっちゃ歓迎してくれます。特に安岡さん(困窮邦人・元証券会社社員)は後半いろいろと厳しかったみたいで、映画の本編にも入れましたが「お金貸して」みたいなことが多かったです。といっても1000ペソとかなので、2000~3000円くらいのもので。それでも、これでしばらく大丈夫だとか、借金が返せるとか、質に入れてしまった携帯電話を出せるとか、そういう感じでした。
「LCCの就航によって海外撮影のハードルがぐっと下がった」
―テレビのドキュメンタリー企画の現場は、年々予算が厳しくなっているという話も聞きます。
ああ、そうですね。制作費は、年々少なくなってきていて、現在では当初始めたころと比べて半分くらいの額になってしまいました。だから海外ロケはなかなか行きづらくなりました。今年も東京で1本作ったんですが、緊急事態宣言が出たということもあり、都内だけで撮影しました。カメラマンすら使わず自分で撮る場合もあります。それでも、「ザ・ノンフィクション」のような番組があるのは僕としてはありがたい。企画を出してもなかなか通らないことが多い中、チャレンジングな企画もやらせてもらっている数少ない番組です。
―初撮影で2012年にフィリピンに行かれたときから、作品を発表する予定はあったんですか?
まったくないです。やっぱり内容的にテレビでは放送できないとなって、どうしたものかと思ったんですが、すでに一度挫折しているので「これは最後まで絶対やる!何かしら形にしよう」と思って。2020年の東京ドキュメンタリー映画祭で入選させてもらえるまでは、まったく何もなかったですね。
―では、もう身銭を切っていく感じですね。
そうですね。でも、その2、3年後からLCC(格安航空会社)が就航しはじめて、飛行機代がガクッと下がったんですよ。セブパシフィックとかはすごく安い。半年前に予約すれば1万円とかで行けたりするので、国内の地方都市に行く感覚です。それまではJALかANA、フィリピン航空が直行、あとはチャイナエアラインとかの経由便はあったんですが、LCCですごく楽になりました。
―そういった周囲の状況の変化にも助けられつつ……。
あとは家族の理解が、ね。妻に散々迷惑かけるし、子供もまだ小さかった。いまは小学校6年生なので12歳ですけど、その頃まだ2、3歳。で、「ちょっと2週間いませんけど」「わかった」みたいな感じで。そこは申し訳なかったです。
―奥様も同じ業界ですか?
いや全然、別です。妻は元バックパッカーで。
―ああ、なるほど!
彼女はタイに2、3年住んでいたので、アジア情勢には大変興味があって。「日本を捨てた男たち」も、妻が「こんなの出てたよ」みたいな感じで買ってきたんです。それで「面白いね、これは! こんな世界があるんだ。ちょっと行ってくる」って、行ってしまったんです。
(妻は)タイ語がペラペラで、現地に行っても頼もしいです。タイ語は難しいですね、字もまったく読めない。それに比べたらフィリピンは英語もかなり通じるし、タガログ語もわりとローマ字発音なんですよね。だから日本人には、僕なんかでも行きやすかったし、コミュニケーションも取りやすかったです。タイだったら無理だったなと思いますね、多分。
「もう彼らに会えないということがすごく寂しい」
―テレビでは絶対に放送できないけれど、映画としてはすごく魅力的な部分もあるわけですよね。どの時点で“映画にしよう”と思われたんですか?
現地に行ってから被写体を探すのは大変ですよね。テレビ番組にするには時間がかかりすぎるから、「じゃあもう何も考えず、どうにかなるまで行くぞ!」と思ったのが多分、2014年の頭のころだったと思います。
結局、映画にはすごく憧れがあるわけです。ずっと助監督とかもやっていたし。だから「映画にできたらいいなあ」くらいの、ふんわかぼんやりした希望はあったものの、何の目処もアテもなく撮り続けていたところはあります。
―では、良いものが撮れたから映画にしよう! ということでもなかった?
映画になると確信できたのはもっと後で、編集が終わるくらいからですね。映像自体は山ほど撮っていて、メインの四人の他にも三人くらい、ずっと継続的に取材をしていたんです。
―そうだったんですね!
その一部を今年の東京ドキュメンタリー映画祭で、また上映してもらいました。ですが、2017年くらいに被写体の皆さんが次々と亡くなってしまい、何とかしないといかんという状況になって。百何十時間ぶんのラッシュ(未編集の素材)を見ながら日々、通常業務をしながら夜中に編集して、というのが2年くらい続いて。最終的に6時間か8時間くらいの“ひとまとまり”になった時に、一旦それを朝から晩まで観てみようと。そこで「お、いけるかも!」と思いました。
―そうして撮影をずっと続けてらして、これでこの撮影はそろそろ終わりだなと思った時点というのは?
2017年の2月に行ったときに、取材させていただいていたお二人が亡くなってしまいました。一人は、今回の映画にも出演している安岡さん。そうやって取材対象もどんどんいなくなっていくので、そろそろ終わりにするべきかなというか。そこからもダラダラと行って撮影していたんですけどね。
あと平山さん(困窮邦人・元トラック運転手)の娘さんが見つかったのが、おそらく2016年末くらい。それもあって一応、全員の決着がつきそうだぞというのは、ここ(プレスリリースの制作日誌)に書いています。
―(撮影終了は)良い出来事と悪い出来事の、どちらがきっかけになったのかなと思いまして。
基本的には、みなさん亡くなってしまったからです。安岡さん(が亡くなったの)は本当に寂しくて。すごく神出鬼没の人なんですよ。いつも事前アポを取らずに行っていたので、夜中に一人でお酒を飲んでフラフラ歩いていると、向こうから安岡さんがやって来て「そろそろ来るころだと思ってたよ」みたいな、そういう人だったんです。
僕が泊まってたマラテとかエルミタは歓楽街で、そこが安岡さんの仕事場なんですが、カジノがあったり日本人の観光客なんかが来るところ。彼は、そこを案内してチップもらうことで生計を立てていたわけですが、僕もよく案内してもらってお酒を飲んだり。それと、マニラに1日中“ビンゴ”をやっているところあるんですが、なんにもない日はずっとそこにいる。お金が払えなくて携帯が止められているときも、そのビンゴに行くと安岡さんがいて「ああ、来た来た」「飲みに行こう」って。もうマニラに行っても安岡さんに会えないというのは、とても寂しいです。
「自分にはジャーナリスト的な気持ちはまったくない」
―彼らは困窮してますが、劇中で谷口さんが「日本だったら生活保護をもらっても家賃が払えなければ暮らしていけない」とおっしゃいますよね。「俺の生まれた国は、こんなに冷たいんだ」と。ああいった形で日本社会の問題が浮き彫りになることは、もともと予測していらっしゃいましたか?
全然、予測してなかったです! 水谷さんは困窮邦人の日本にいる家族に話を聞く取材をしていて、それは困窮邦人の家族について聞くもので、それが“今の日本が浮き彫りになる”といった作りをしていたんです。それと同じことやってもしょうがないけれど、他にもやり方はいろいろある。例えば、日本国内で同じように困窮している人たちを取材して対比させるとか。でも、それも「Nスペか!」みたいな感じだし、なにか違うなと。
2014年~2016年くらいは、やたらと取材が面白かったんですよ。『ヴァンダの部屋』(2000年)という映画のペドロ・コスタ監督も、貧困地区(映画の舞台になっているポルトガルの移民街)に毎日通って「ここには俺だけのセットがあって、俺だけの役者がいる。こんなうれしいこと、楽しいことはない」みたいなことを言っていて、「あ、僕と同じだ!」と思って。
そこに行くと僕だけが知っている人たちがいて、なんでも撮らせてくれて、絵になる部屋や路地があって、「この人たち、超おもろいな」と思いながら過ごして……。だから、自分にはジャーナリスト的な気持ちはまったくないんだということがわかりました。ただ「面白い」というだけで、そこから社会が見えてくるとか告発したいとか、そういう気持ちはまったくなかったです。
―結果的にはそうなりましたね。
まったく予測していなかったですね。みなさんそう仰っているので「ああ、そうなんだ」と思っていただけで。ただ、あの人たちの生きざまとか死にざまを面白いと言ってしまってはなんですが、映画って広い意味でエンターテインメントだなあって。原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』(1987年)も“こんなおもろいおっさんがおる”っていうエンタメだし、今村昌平監督の『人間蒸発』(1967年)も言ってしまえばエンタメじゃないですか。むしろ最近は、観ていただくみなさんはそのように受け取るんだなと発見しています。
―政治的な関心が高まっているので、そのように汲み取られやすいということもあるかもしれませんね。
実は、ちょっと古いかなと思って心配してたんです。取材したのは2012から2019年。日本社会もずいぶん変わったし、大統領がアキノさんからドゥテルテになってフィリピンもガラッと変わりました。だから早くしないといけないという気持ちもありながら、完成は2020年になってしまった。
取材・文:遠藤京子
『なれのはて』は2021年12月18日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開
『なれのはて』
マニラの貧困地区、路地の奥にひっそりと住む高齢の日本人男性たち。「困窮邦人」と呼ばれる彼らは、まわりの人の助けを借りながら、僅かな日銭を稼ぎ、細々と毎日を過ごしている。警察官、暴力団員、証券会社員、トラック運転手…かつては日本で職に就き、家族がいるのにも関わらず、何らかの理由で帰国しないまま、そこで人生の最後となるであろう日々を送っている。
本作は、この地で寄る辺なく暮らす4人の老人男性の姿を、実に7年間の歳月をかけて追ったドキュメンタリーだ。半身が不自由になり、近隣の人々の助けを借りてリハビリする男、連れ添った現地妻とささやかながら仲睦まじい生活を送る男、便所掃除をして軒下に居候している男、最も稼げないジープの呼び込みでフィリピンの家族を支える男…。カメラは、彼らの日常、そしてそのまわりの人々の姿を淡々と捉えていく。
制作年: | 2021 |
---|---|
監督: | |
出演: |
2021年12月18日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次公開