ウェス・アンダーソン監督の記念すべき長編10作目となる最新作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』。第74回カンヌ映画祭コンペティション部門に正式出品され、第34回東京国際映画祭でも上映され好評を博した。すでに北米では大ヒットを記録しており、日本でも2022年1月28日(金)より劇場公開となる。
“見る”ことの初源的な楽しみを呼び覚ますウェス・アンダーソン・ワールド
ウェス・アンダーソン監督といえば、偏愛するもののぎゅうぎゅう詰め。豪華俳優のカメオ出演、ミニチュア的に可愛い建物や潜水艦や汽車や巣穴、そしてパステルや原色の世界に不似合いな暗さと、すこしの毒だ。
最新作『フレンチ・ディスパッチ』の舞台は、雑誌<ニューヨーカー>をモデルにした<フレンチ・ディスパッチ>編集部。ニューヨーカーはタイトル通りニューヨークの総合誌だけれど、日本の総合誌とは違って文芸特集も始終やっている。ジュンパ・ラヒリやイアン・マキューアン、アリス・マンローなど新潮クレストブックスで紹介されるような英米文学作家の作品がよく載るし、『ブロークバック・マウンテン』(2005年)の原作小説もニューヨーカーで発表された。『アダプテーション』(2002年)や『ボーイズ・ドント・クライ』(1999年)のように映画化されたノンフィクション記事も多い。最近の映画では『Mank/マンク』の元ネタの一本が、1971年にニューヨーカーに掲載されたポーリン・ケイルの「Raising Kane」だった。
David Fincher’s new film, “Mank,” is an attempt to define the nature of Herman Mankiewicz’s contribution to “Citizen Kane,” and to the history of cinema—and to dramatize his battle to get credit for it. https://t.co/RHuBr96iFJ
— The New Yorker (@NewYorker) November 14, 2020
そんな雑誌をモデルにしたフレンチ・ディスパッチ誌を舞台に、読みごたえというか見ごたえのある三話が映画の中で展開されていく。一話目は、狂気の画家が刑務所内で美術商に発見される美術の話題。ただし記事ではなく講演で、その講演者がティルダ・スウィントン演じる美術評論家だ。
二話目は、カリスマ的リーダーによる学生運動の顛末。これを書いているのがフランシス・マクドーマンド演じるジャーナリストだ。そして三話目が、ジェフリー・ライト演じるグルメ記者による美食家警察署長のお抱えシェフの物語。料理は21世紀風のガストロノミー(美食学)、でもマザーグース(イギリスの童謡)の歌にある料理も出てくる。
どのキャストも役柄にハマっていて楽しいのだが、とくに第二話で学生運動の闘士を演じるティモシー・シャラメは、童話に出てくる王子様的な雰囲気で、何を撮ってもおとぎ話的に見えるウェス・アンダーソン作品にとてもよく合う。パリ五月革命のように苛烈な闘争の物語だというのに。
ジャーヴィス・コッカーによる「Aline」カバーのミュージックビデオ
これらの三本の記事の前に、編集部の説明がある。編集長はウェス・アンダーソン作品常連のビル・マーレイ。先ほどの三本の記事を書いた有名記者のほか、自転車でネタを拾いに行くオーウェン・ウィルソンがいる。出演者のクレジットは映画が好きな人はとっくにチェックしているだろうけれど、台詞もほとんどないようなちょい役で出てくる俳優にも注視していなくてはならないのが最近のウェス・アンダーソン作品なのだ。
作家には甘いが他のスタッフには厳しい編集長にダメ出しされている漫画家がジェイソン・シュワルツマンだったり、編集者がエリザベス・モスだったり、さらにフランシス・マクドーマンドのお見合い相手がクリストフ・ヴァルツだったり、囚人がウィレム・デフォーだったりする。画面を見逃す一瞬の不注意も痛恨のミスになりそうだ。
というより、冒頭の雑誌を印刷している機械の、ミニチュア的世界観全開の、わざとぎこちない感じに計算されたおもちゃっぽい動きの可愛らしさに見入ってしまって、画面を見逃すどころではない(むしろ美術の可愛さに見とれて俳優の顔を見損なう恐れはある)。さらにそこに、ウェス・アンダーソンが好きなものをぶち込んでくる。“フランス”だ。こんにちの新自由主義の混沌に陥ったフランスではなくて、20世紀半ばのおしゃれのお手本みたいなフランスで、フレンチ・ポップのヒット曲「Aline」のジャーヴィス・コッカーがカバーしたバージョンを使っている。ちなみにウェス・アンダーソン自身が作った宣伝アニメで、この曲と出演者をチェックできる。
映像の可愛らしさとエスプリの連続に圧倒されて、小さな「いいね!」で胸が一杯になる
ヨーロッパ最大級の漫画/アニメのイベント、国際漫画祭の開催地である仏アングレームでロケをしているのだが、街に造ったセットなのにロングで撮るとミニチュアみたいな可愛らしさ。映り込むお店の一軒一軒がもう可愛い。でも、そうした魅力をほめそやすのじゃなく、ワインに酔った子どもが年寄りを襲うといったフランス・ジョークが入っているところが、むしろフランス的だ。
ジョークといえば、エスコフィエとネスカフェをかけた親父ギャグ的駄洒落ネーム、アンニュイ・スュル・ブラゼ(無感動を超えてアンニュイ)という名の架空の街、フレンチ・スプラッター・スクールなど画家の会派の名前などなど、すべて大きすぎるフラン札のようにふざけている。でも、それも下品すぎず、ウェス・アンダーソンとしてギリギリ許してもらえる範囲を測ってきたかのようだ。
そして、そこに少々の毒。ウェス・アンダーソン作品には、明るい画面なのに親の離婚とか、いつも少し暗い影が落ちてくるのだけれど、本作では「徹底しなければ平穏に生きられるはずなのに、徹底せずにはいられない」ものを創る人々の悲しさ、業みたいなものを入れてきた。売り出さなければいけないときに(作品として移動させられない)フレスコ画を描く画家の狂気、記事を書くために対象から距離を置かざるを得ないジャーナリスト、味を極めて毒の味も見てしまう料理家、というふうに。
ウェス・アンダーソンの作品には、いつも「ピタゴラスイッチ」を見ているときに似たモーションを見続ける楽しさがある。童心とともに“見る”ことの初源的な楽しみを呼び覚ます。ウェス・アンダーソン・ワールドに遊びにいくような感覚だ。本作も、感動するというよりは、映像の可愛らしさとエスプリの連続に圧倒されて、小さな「いいね!」で胸が一杯になる。映画の終盤で「この映画をもっと見ていたい、映画が終わってほしくない」と感じている自分に気づいた。またあの可愛らしさに耽溺したい、ベタなギャグに笑いたい。いますぐにでも、また観たいと思っている。
文:遠藤京子
『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』は2022年1月28日(金)より公開
『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』
20世紀フランスの架空の街にある米国新聞社の支局で活躍する、一癖も二癖もある才能豊かな編集者たちの物語。
制作年: | 2021 |
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監督: | |
出演: |
2022年1月28日(金)より公開