国を挙げて香港映画に対抗しうる若手を育成!
1970年代から活躍したブルース・リーやジャッキー・チェンは、言わずもがな香港映画の大スターだ。彼ら香港人による映画は、同じ中国語圏である台湾でも高い娯楽性から人気を博していた。
一方で、その人気に押され台湾映画は低迷を続けていた。政府はそんな状況を打開すべく改革に乗り出す。台湾の国民党、つまり政府が経営する映画会社<中央電影公司>(CMPC)が若手映画監督の育成に取り組んだのは、その一環だ。若手監督たちは採算にとらわれない制作環境を与えられ、同じく若いスタッフらと共に新しい台湾映画の形を模索していく。
80年代に隆盛した「台湾ニューシネマ」の旗手、エドワード・ヤン
そして1982年、4人の新人監督によるオムニバス映画『光陰的故事』が公開された。台湾人を写実的かつ現実的に描き、それまでの娯楽的な作品とは一線を画したその作品は“台湾ニューシネマ”と呼ばれる最初の作品となり、興行的にも成功を収める。その4人の中の1人が、後に『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を撮ることになるエドワード・ヤンだった。
2本の長編映画に続いて『恐怖分子』(1986年)を発表し、世界的な称賛を得たヤン監督。成功を手にした彼は自らの製作会社を立ち上げ、この『クーリンチェ少年殺人事件』を撮りはじめた。それまでの作品でも、台湾社会が抱える問題に向き合いながら生活する台湾人をリアルに映し出してきたヤン監督だが、本作は1961年に実際に起こったある事件をモチーフにしつつ、主人公の少年に監督自身の出自を投影している。
台湾という国の複雑な背景と監督の実体験から生み出された物語
最初に観た時は、何を考えているのかなかなか掴めない少女に淡い恋心を抱いた少年と、それを取り巻く少年たちの青春群像劇、そんな彼らに次々と起こるものごとに笑ったり、胸を締めつけられたりした。本当に、何の予備知識もなく観ても楽しめる映画だった。
しかし、台湾の抱える複雑な背景を知った上で観ると、無邪気な少年少女たちが大人になっていく過程で現れる様々な問題をひしひしと感じられる、切実な物語に感じられた。実際そういった境遇にいたエドワード・ヤンだからこそ描くことができた物語であり、台湾ニューシネマの魅力が詰まった金字塔的作品だと思う。
ストーリーはもちろん、それ以外の部分も、木の下での会話や夜市、学校のシーンなどなど、語り草になっている、監督の発明とも言えるような美しいシーンの連続で、視覚的にも大いに楽しんで頂けるはずだ。
人生をかけてこんな作品を作りたいと思わせてくれた
また、舞台になっている1961年の台湾はアメリカからの影響が大きく、少年たちが熱狂しているのはエルヴィス・プレスリーや全米で流行っていたポップス。劇中の挿入歌であったり、憧れからバンド演奏をするシーンには独特の異国ムードがあり強く引き込まれた。
色んな角度から何度も反芻して見返したくなる傑作で、自分も人生をかけてそういった作品を作りたいと思わせてくれた素晴らしい映画なので、ぜひ世代を問わず多くの人に観てほしい。
文:川辺素(ミツメ)