英国仕込みの「思索型」名探偵
今回は、純粋な名探偵もの映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』(2019年)について書いてみます。
物語における探偵を大きく分けると、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロに代表される謎解き系の英国式思索型名探偵と、アメリカのフィリップ・マーロウに代表されるハードボイルド系の行動派探偵があります。『ナイブズ・アウト』でダニエル・クレイグが演じる名探偵ブノワ・ブランは、謎解きが得意な思索型の名探偵です。監督脚本のライアン・ジョンソンも、名探偵ポアロの原作者アガサ・クリスティーを意識して脚本を書きました。
思索型名探偵の「方程式」
誰かが殺される、探偵が呼ばれる、殺人の容疑者が浮かび上がる、探偵の捜査で容疑者が絞られる、そして、容疑者みんなの前で種明かし。これがヨーロッパ型の名探偵の方程式です。『ナイブズ・アウト』では、この伝統的な方程式を踏襲しながらも、ダイアローグ(対話)の描写がハイテンポで、ギミック、トリック、ツイスト(どんでん返し)の切れ味も抜群。最新エンジンを積んだクラシックカーかのように、様式美と斬新さが融合しています。
富豪一族の当主の怪死と名探偵の登場
富豪であるスロンビー家の当主ハーラン・スロンビーが、85歳の誕生日パーティーの後に変死します。警察の初動捜査で自殺と認定されましたが、不審点もあり、謎が渦巻きます。
そこに名探偵ブノワ・ブランが登場し、エリオット警部補とともに合同捜査を進め、謎解きが始まります。警察からも一目置かれる名探偵ぶりは、エルキュール・ポワロを踏襲しています。
スロンビーの一族の跡取りは全員、ハーランのすねっかじりで、自立できていません。ハーランが彼らの甘えを断ち切る為、サポートを打ち切りました。その結果、跡取りたちの不満が爆発します。そんなわけで、跡取り全員に「遺産目当て」という殺害の動機がある状況でした。
ハーランの遺言が公開されると、彼のお気に入りだった看護師で正直者のマルタが、なんと全財産を相続することに。当然、跡取りたちは大ブーイング。しかし、一族の厄介者であるハーランの孫ランサムだけは、なぜか大笑いしてマルタの味方につきますが……。
自殺か、他殺か。名探偵ブランの神眼で、謎が解明されます。あとはネタバレになるので、映画本編をご覧あれ。
現実探偵の「怪死」事件の謎解き
我々は実際、自殺や変死などの死亡事件の調査依頼をよく取り扱っています。その多くは、海外の保険会社からの死亡保険の調査依頼です。海外に居住し、海外の死亡保険に加入していた被保険者が、日本で自殺や事故死等、変死した場合の事実確認の調査です。調査の目的は、以下のとおりです。
・死亡証明の各種書類を偽造した狂言ではないか
・保険金殺人(他殺)の線がないか
・保険金目当ての計画的自殺ではなかったか
・持病を隠して保険に入っていたりはしなかったか
死亡保険の調査では、死亡者がどのように亡くなったかを確認し、その後、遺体が運ばれたルートを順を追って確認していくという基本があります。病院以外での死亡の場合、警察が必ず事件捜査をします。そして通常、監察医務局などの検死医が解剖し、死体検案書に死因を記載します。日本の警察の捜査資料は極秘扱いとなっていて、検察や裁判所以外に捜査資料が提出されることはありません。名探偵ブランのように、警察から一目置かれていて合同捜査ができればよいのですが、日本ではなかなかそうはいきません。
ちなみにアメリカでは、「PACER(Public Access to Court Electronic Records)」という刑事訴訟記録の公開サイトで、捜査資料が確認できます。例えば、日産元会長のカルロス・ゴーンの逃亡事件では、逃亡幇助犯がアメリカにいたので、日本の検察庁がアメリカに捜査協力を要請しました。これによりアメリカに捜査資料が渡ったので、その時の日本側の捜査資料は「PACER」ですべて確認できます。
Federal judges discuss their commitment to impartiality, the Constitution, and the rule of law in a new video in celebration of #ConstitutionDay. https://t.co/u8rwEqzkfY pic.twitter.com/6XMxBOl3k9
— United States Courts (@uscourts) September 14, 2021
死体検案書に関しても、遺族の委任状をもらい、書類の再発行を受けることで事実確認を行います。自殺が明白な事件では、解剖まで行われない場合もあります。死体検案書が出た後は、日本では速やかに遺体が火葬されるため、再度検死を行うことはできません。
『ナイブズ・アウト』では、遺言で全遺産を相続することになった看護師のマルタを殺人犯として陥れようとする何者かが、死体検案書(Toxicology Report)の保管庫に放火し、書類を全焼させます。こんなことをされると現実の探偵はお手上げですが、そこは名探偵ブランですから、なんとかなってしまいます。
「現実の」富豪怪死事件における探偵
『ナイブズ・アウト』の現実版とも言えそうな富豪の怪死事件が、2018年に日本で発生しました。いわゆる「紀州のドン・ファン」事件です。2018年5月に「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏(享年77)が覚醒剤大量摂取で怪死しました。その後2021年4月に、元妻の須藤早貴容疑者が殺人容疑で逮捕されます。特筆すべきは、須藤容疑者には御用達の<探偵X>がいたこと。「富豪が怪死して、探偵が登場する」という謎解き映画の方程式そのものです。
しかし探偵Xは、須藤容疑者のお気に入りのタレントの自宅を割り出したり、警察の捜査をかく乱するため、携帯電話、自宅、車両の名義人になったりしています。探偵Xが「紀州のドン・ファン」殺しに関与したわけではありませんが、メディアに自ら出演して須藤容疑者の無実を主張したりしていました。芸能人の追っかけのお手伝いや、各種契約の名義貸し等、ヒール役になっていたのが同業者としては残念です。
【紀州のドン・ファンと元妻 最期の5カ月の真実/吉田隆】<1>ドン・ファンは殺害される数日前から何度も「会いたい」と電話をかけてきた https://t.co/bkkwNNksaG #日刊ゲンダイDIGITAL #日刊ゲンダイ
— 日刊ゲンダイDIGITAL (@nikkan_gendai) July 5, 2021
アカデミー賞脚本賞、ゴールデングローブ賞作品賞&主演男優賞&女優賞ノミネート
『ナイブズ・アウト』は、第92回アカデミー賞の脚本賞にノミネートされました。登場人物の闇、犯人のトリック、名探偵の鮮やかな推理とどんでん返し等、謎解き探偵映画の王道を極めています。ストーリー展開のテンポが良く、わかりやすい描写で、観客を飽きさせません。シナリオの完成度の高さは天下一品です。
また本作は第77回ゴールデングローブ賞の作品賞に、そしてダニエル・クレイグが主演男優賞(コメディ/ミュージカル部門)、アナ・デ・アルマスが主演女優賞(コメディ/ミュージカル)にノミネートされました。
ダニエル・クレイグはイギリス人ですが、この映画のためにアメリカの南部訛りを習得しました。マルタ役のアナ・デ・アルマスはスペイン系キューバ人ですが、2014年に本格的に英語を学び出したばかりなのに、いまやハリウッドでスーパースターの地位に上り詰めました。どちらもアクセントコーチをつけて、必死に言葉の習得をしています。これはWASP(※アングロサクソン系の白人)アクセントを話すボストンのスロンビー家とは、二人が異質であるという対比を強調する為の演出です。また、ベルギー出身でフランス語なまりの英語を話す名探偵エルキュール・ポアロに敬意を表して、名探偵ブランは南部なまりの英語を話す設定となっています。
アクセントや外国語を使いこなすトップスター
ダニエル・クレイグは声だけ聞くと、『007』シリーズのジェームズ・ボンドと同一人物とは思えません。『007』がタイプキャスト(※イメージの固定化)にならないよう、違った一面を見せるのに余念がありません。
この名探偵ブランがシリーズ化して、ダニエル・クレイグの新たなはまり役になる可能性もあります。なおアナ・デ・アルマスは、ダニエル・クレイグの『007』シリーズ卒業作となる『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2021年10月1日より公開中)でも、キューバ出身エージェントのボンドガールとして起用されています。
トップスターに上り詰める俳優は、他者と差別化する為に、並々ならない努力をしています。主演の俳優たちの次なる作品での活躍も意識しながら映画を見ると、より楽しめるのではないでしょうか。
文:小山悟郎
『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』
NY郊外の館で、巨大な出版社の創設者ハーラン・スロンビーが85歳の誕生日パーティーの翌朝、遺体で発見される。名探偵ブノワ・ブランは、匿名の人物からこの事件の調査依頼を受けることになる。パーティーに参加していた資産家の家族や看護師、家政婦ら屋敷にいた全員が第一容疑者。調査が進むうちに名探偵が家族のもつれた謎を解き明かし、事件の真相に迫っていく―。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |