A24が全米配給
聖書は世界的ベストセラー本なだけあって、使い勝手が非常にいい。物語のリファレンスとしてはもちろん、自己啓発に洗脳と、なんにでも使える便利本だ。そこで聖書のエッセンスを映画に散りばめると、あら不思議! 格調高く謎めいた雰囲気が演出できるではないか。聖書が醸し出す宗教な要素は、グツグツ煮えたトマトソースの映像でさえ生贄の血に見えてしまうほどだ。さすが“バイブル”(辞書における②の意味ね!)なだけはある。
さて、2021年10月6日(水)から配信されている『セイント・モード/狂信』は聖書に書かれた物語を巧妙に使い、「間違った信心深さが生む自己満足の世界」を描いた作品。英国の新人監督ローズ・グラスが脚本も担当し、イギリスやアメリカで高い評価を受けている。トロント国際映画祭プレミア上映後、A24が全米の配給権を獲得したため、A24制作作品と思われがちだが、米国で配給したというだけの話。A24が制作したわけではない。
モードはフリーの緩和ケア看護師として海辺の町で暮らしている。彼女の本名はケイティなのだが、病院勤め時代に起こした“ある出来事”によって、病院を退職。その後カトリックに改宗したのだった。
「神よ、私の使命を早く明らかにしてください!」
神のお告げを待つモード。徹底的に質素な生活、何もない汚い部屋でひたすら祈る彼女を見ていると、“苦痛”や”苦労”が神を感じるための修行であるかのように思える。
モードが看護しているアマンダは、悪性リンパ腫で余命僅かな49歳のダンサー兼振付師。彼女の体力はほとんど無く、自力で立てないほど弱っている。だが、やがて来る死への恐怖を紛らわせるため、タバコをひっきりなしに吸い、薬を酒で飲み下し、男女構わず連れ込みセックスに耽るなど退廃的な生活を送っていた。モードはそんなアマンダの堕落した生活を憂い、彼女の魂の救済こそが自分の使命であると確信。
「死んだあとじゃなくても、あの方はいます。あなたを見てる。見守ってくれてるわ」
神の存在を真剣に説くモード。アマンダは好奇心からモードに従い、神への祈りを捧げる。
アマンダが神の存在を認めると、モードは充実感から神が臨在していると感じ、最高の気分に浸れるのだ。そのときのモードの表情はエクスタシーに達してるかのよう。しかしアマンダの淫蕩癖は直らず、モードは魂の救済の妨げになっていると感じた。そこでアマンダのお気に入りの売春婦に「信仰の邪魔になるから、もう来ないで。アマンダには内緒にしてね」と告げる。ところが、後日開催されたアマンダの誕生パーティの席で、例の売春婦とアマンダがイチャついてるではないか! さらに魂の救済活動を嘲笑され、モードは思わずアマンダにビンタを食らわす。
患者を叩く看護師など論外。当然、解雇だ。神に見放されたと考えたモードは自暴自棄な行動に走る。夜、男を誘い淫乱な娼婦に化け、さらに自分で編み出した苦行――画鋲を大量に仕込んだスニーカーを履いて徘徊――を行うことで、もう一度、神が使命を下さることを願う。自傷行為の果てに彼女が見つけ出した、神の啓示とは……。
なりきり! マグダラのマリア
モードの部屋には、様々な宗教画の切り抜きが飾られた手作りの祭壇がある。そこには聖母マリア、聖アグネス、聖フィロメナなど様々な聖女の姿が描かれている。その中で彼女のお気に入りは、身につけているネックレスが示すように「マグダラのマリア」だ。彼女が神の存在を感じる瞬間に見せる表情は、バロック画家・カラヴァッジョの「マグダラのマリアの法悦」の印象が強い。
"María Magdalena en éxtasis", #Caravaggio inédito, se expondrá por primera vez en Tokio https://t.co/GJ7HCwhT40 pic.twitter.com/byMMCZZhYV
— El Universal Cultura (@Univ_Cultura) March 1, 2016
マグダラのマリアを扱った絵画は聖母マリアに次いで多い。表立ってエロい絵画を鑑賞できない時代、「宗教画」という免罪符のもとで仰け反ったり、とりすがったり、胸を見せたり、ありとあらゆる官能的な絵画を製作するためにうってつけの画題であった。
マグダラのマリアは、聖書ではイエス・キリストに7つの悪霊を取り払ってもらった後、キリストの磔刑に立ち会い、さらにキリストの復活を最初に見た女性と書かれている。しかし聖書に出てくる「罪深い女」「ベタニアのマルタとマリア姉妹の妹」と混同され、いつのまにか「売春婦がキリストと出会って改悛する」というストーリーが出来上がってしまった。本作でモードは、聖と俗を往還するマグダラのマリアと己を重ねる。ピンクの衣やロザリオでコスプレする始末だ。
本作品からマグダラのマリア要素を排除し、宗教的な観点を持たない一般人が“狂信者”を観た視点として物語を見ると「キリスト教を自己解釈した狂信者が、改心しない死にかけの病人に怒り狂う」というシンプルな物語となる。信仰心を失いかけたモードを祭壇へと誘うのは、汚らしい部屋に住み着いたゴキブリであり、彼女を律するのは単なる自傷行為だ。
モードの狂信ぶりは、本人からすると“信心”故の行動であるため、ゴキブリだろうが、画鋲がぶっ刺さった足裏に感じる苦痛であろうが、神が給ふた奇跡なのだ。映画は徹頭徹尾、モードの視点で描かれ、奇跡的な出来事が次々と起こる。しかし、最後の最後、物語は真の姿を現す。ここでローズ・グラス監督は、相当意地の悪い演出で胸糞悪い幕切れを用意した。
難しい宗教画も楽しめるようになる!?
マグダラのマリアのアトリビュート(絵画に描かれるとき、目印となる持ち物)はドクロと香油壺。モードは手作りした聖水をペットボトルに入れて持ち歩く。これは香油壺を示しているようだ。
余談だが、彼女はウィリアム・ブレイクの画集をアマンダからプレゼントされる。ブレイクは宗教画が多いため、映画によく登場する。ハンニバル・レクターシリーズの『レッド・ドラゴン』(2002年)では「巨大な赤い龍と太陽の衣を纏った女」が重要なモティーフとして登場している。
さらに本作を盛り上げる、不思議な魅力を持つ役者陣の演技も注目だ。モード役のモーフィッド・クラークは時にレオナルド・ダ・ヴィンチの描くマリアのように聖なる姿に見え、エクスタシーに達した瞬間のCG加工された異様な表情も素晴らしい。貧乏で卑しい表情も、神々しい表情も自由自在なライティングで、非常に美しく撮られている。
アマンダ役のジェニファー・イーリーは映画/ドラマ共に出演作の多いベテラン女優。死の間際まで生と性にすがりつき、堕落した人物に見えて実は長年ダンサーとして若い娘たちを見てきた経験からか、モードの底の浅い信仰ごっこにすぐ気がついてしまう鋭く批判的な内面も上手く表現し、本作の屋台骨をささえている。
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筆者は日頃から映画をより楽しむために、映画に限らず絵画や本といった他の芸術にも触れることにしている。本作の物語はまさに「そのほかの芸術の知識」があれば、より楽しめることができる映画のひとつだ。モードの表情からマグダラのマリアの絵が浮かぶ……脳内で起こる知識の連動は、神の臨在によってエクスタシーに達したモードの気分になれること間違いなし。難しい宗教画も楽しく思えるのでオススメである。
文:氏家譲寿(ナマニク)
『セイント・モード/狂信』は2021年10月6日(水)よりデジタル配信中
『セイント・モード/狂信』
住み込み看護師のモードは、病に侵され独り豪邸に暮らす有名ダンサーのアマンダを看護することになる。アマンダは病状の悪化を紛らわせてくれる信心深いモードに興味を惹かれ、モードもまたアマンダの魂の救済にのめり込んでいく。しかしモードは過去に、神のお告げを信じ問題を起こしたという秘密を隠していたのだ。やがてモードは、自分がアマンダの元に派遣されたのは神の意志を全うするためだと確信する。現実からの乖離に歯止めが効かなくなった彼女の看護は、手段を選ばない危険な“手当て”と化していく―。
制作年: | 2019 |
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監督: | |
出演: |
2021年10月6日(水)よりデジタル配信中