想像を絶する地獄ハイキング
スコットは行方不明になった愛娘、ジェンを探しにバージニア州レンウッドにやってきた。時は遡ること6週間前。ジェンは気の置けない仲間5人とともにアパラチア山脈でハイキングをしていた。
レンウッドの町の人に「ハイキングコースを外れてはいけない」と言われたにもかかわらず、彼女たちはうっかりコースを外れて迷子になってしまう。嵐の中で野宿をする羽目になり、険悪な雰囲気になりかけたその時、突如転がり落ちてきた丸太に頭を潰され仲間の一人が死んでしまう。
この森にはよそ者を拒み、排除する何者かが住み着いていた。罠だらけの森をさまよい続けるジェンたち。そしてジェンを追い、スコットも森に足を踏み入れる。そこで彼が見たものは、想像を絶する地獄だった!
ヒルビリーホラー復活の狼煙を上げた『クライモリ』シリーズ
『2000人の狂人』(1964年)や『悪魔のいけにえ』(1974年)、『脱出』(1972年)に『サランドラ』(1977年)――1960年代から70年にかけて流行したヒルビリーホラー、所謂「都会モンが田舎に行ったら地元民にひどい目に遭わされる」映画である。80年代に入ってからも定番プロットとして一定の地位を築いていたが、90年代のサイコホラーブームに取って代わられ、消えていった。
しかし21世紀に入り、ヒルビリーホラー復活の足がかりを作ったのがオリジナル版の『クライモリ』(2003年)だ。そのしつこいまでに下劣な残酷描写は“拷問ホラー”ブームの追い風も受け、ホラーファンの心をガッシリと掴み、瞬く間に人気シリーズとなり6作もの続編が作られた。さらに、この流れに乗って元祖ヒルビリー映画のリブートも次々と製作される。『テキサス・チェーンソー』(2003年)、『2001人の狂宴』(2005年)、『ヒルズ・ハブ・アイズ』(2006年)等だ。そんな一大ブームを作り出した『クライモリ』だったが、2014年の『クライモリ デッド・ホテル』以降、拷問ホラーの斜陽とともに姿を消してしまった。
そんな『クライモリ』がなぜ今、リブートされるのか? スリーフィンガーをはじめとするハラペコ奇形人間が若者を虐殺する様を、ハイテクCGでも使って再度描こうというのか? 否、オリジナルの脚本を書いたアラン・B・マッケルロイは、そんな単純な輩ではなかった。彼と監督のマイク・P・ネルソンは、オリジナルの『クライモリ』に“今”のグロテスクな社会を反映させるべくリブートに挑んだのだ。
我々の知っているヒルビリーホラーを根底から覆す「新国家」の衝撃
今作では伝統的な人喰いハラペコ野郎を排し、よりリアリティあふれる“新国家”を登場させている。この新国家は、南北戦争以前にアメリカの滅亡と崩壊を予測し山中にこもり、独自の文明を築いてきた自治集団。独自の法の下に皆が働き、平等な生活を営んでいる。
さらに彼らは排他的である。なぜか? 現代人は平等でなく、人種やジェンダー、貧富の差に囚われた異質な存在だからだ。だから彼らは現代人を拒み、森に足を踏み入れることを許さない。これまでのヒルビリーといえば、「食う」「殖やす」と本能のまま生きる獣だった。本作で描かれる新国家は、我々の知っているヒルビリーホラーを根底から覆したのだ。
本作ではヒルビリーに限らず「こういう人々は、こういう行動をとる」といったステレオタイプを利用し、物語にガソリンを注いでいく。森に入る前にジェンたちが訪れるバージニア州の町も、アメリカ南部の典型的な田舎町として描かれる。住民は保守的で、他所者はもちろんのこと、黒人や同性愛者を嫌い、トラブルを起こす。ジェンたちも新国家の住人たちも、互いに見知らぬ存在に恐怖し対立してしまう。本作はこの分断と対立を明確に描き、互いの先入観から起こる悲劇をグロテスクに描写していく。
現代社会をしっかり描きつつ残酷ホラー描写も忘れないバランス感覚
いま、世界にはあらゆる分断と対立が見られる。複雑化するイデオロギーや部族主義、性的マイノリティ……。『クライモリ』が描き出した“新国家”も絵空事ではない。2020年、ワシントン州シアトルのキャピトル・ヒルでは、ジョージ・フロイドの死を皮切りに拡大したBLM運動の一環として警察を排除、抗議者たちが自治を宣言。しかしキャピトル・ヒルの自治は悪化の一方をたどり、ひと月ももたずに崩壊した。各々の考え方はピュアで素晴らしいが、急速な変化には必ず“ほつれ”が起こり、暴力的な結末になりかねない。本作における新国家と一般社会の分断と対立も同様だ。
こう論じると、本作は気難しい社会派ホラーに思える。しかし、マッケルロイとネルソンは『クライモリ』がホラー映画であることを忘れていない。丸太で叩き潰される頭や、焼き潰される眼球等々、目を覆いたくなるほどショッキングな残酷描写もてんこ盛りだ。キャラクターの掘り下げも深い。時代の波をうけて、ホラー映画も何かとダイバーシティを意識した結果、不自然なキャラ設定が多くなった。そんな状況の中、『クライモリ』は相当努力している。ジェンの友人でトラブルメイカー、典型的な虚勢男アダムとその恋人、インテリ女性ミラの上っ面だけの恋人感は期待通り。
さらに、サスティナブルを貫くゆえに新国家に同調していくジェンの恋人ダリウスなどは、これまでのホラー映画には見られなかったミレニアル世代ならではのキャラクターといえよう。さらに一行の中に、“お笑い担当ではない”同性愛者がいること、女性が露出の少ない“ちゃんとしたハイキング”の服装をしていること等は、これまでのホラー映画には見られなかったことだ。いまだミソジニーやホモフォビアを感じさせるホラー映画が多い中、現代をしっかりと描きつつ、ホラー描写も忘れない本作のバランス感覚は素晴らしい。
本作の変貌ぶりに、多くのミュータント・ヒルビリーの人喰い人種を渇望する観客はがっかりするかもしれない。しかし今回のリブート版『クライモリ』は、名作ホラー映画が“時代を映す鏡”として常に機能してきた通り、完璧に必然的な騒乱と狂気に満ちており、非常に優れていることは間違いない。
文:氏家譲寿(ナマニク)
『クライモリ』は2021年10月15日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
『クライモリ』
ジェンは友人5人とともにバージニア州の小さな町レンウッドを訪れた。アパラチア山脈の自然歩道でキャンプを楽しむためだ。自然歩道を満喫する一行だったが、好奇心からコースを外れて森の奥に入っていき、迷子になってしまう。仲間内で言い争いになりかけたその時、突如倒木が山上から転がり落ちてきて、一人が頭を潰され死んでしまう。気がつけば周囲は罠だらけ。彼らは“森”に囚われてしまったのだ。6週間後、消息を絶ったジェンを探しに父親スコットがレンウッドにやってくる。そこで彼が見たものとは……。
制作年: | 2021 |
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監督: | |
脚本: | |
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2021年10月15日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開