きっかけはライブハウス火災事故
2019年、パンデミック前のヴェネチア映画祭でお披露目され、2020年晩秋にアメリカ公開。2021年の第93回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞と国際長編映画賞の二部門にノミネートされた、初めてのルーマニア映画。他にも各地の映画祭など50のノミネートを受け32の賞を獲得し、2020年を代表するドキュメンタリー映画であることを証明した。
きっかけは、2015年10月30日にルーマニアの首都ブカレストにあるライブハウス<コレクティブ>で起きた火災だった。ロックバンドが「♪腐りきった政府、希望のない未来」とシャウト、花火が舞台両袖で火花をあげる。その煙が治まるかと思ったところでボーカルが「何か燃えてる」と言う声が聞こえ、それからわずか10秒ほどで炎が上がり、40秒で電気が消え、さらに炎が広がり、あとは怒号と悲鳴とパニックに陥った観客の声が。出火から観客が撮影していた携帯の映像が消えるまで1分もかかっていない。
この火災で27人が死亡。180人が負傷し、火傷を負った負傷者たちは病院に運ばれた。しかし4か月後までに入院先で37名が死亡し、この火災の死亡者は64人になる。生き残った者も皮膚のケロイドだけでなく、指などを切断しなくてはいけないほどの傷害を負うことになった。
この火災事故の被害が大きくなった理由は、コレクティブに非常口がなかったことにある。非常口のない建物にライブハウスの営業許可を出していたことに対して批判が集まり、市民デモが広がり、当時の政権が退陣することになる。しかし、コレクティブの火災の影響はこれで終わりではなかった。
火傷で運び込まれた病院で、助かる可能性もあった37名がなぜ死ななくてはならなかったのか。彼らの死因は火傷ではなく、院内感染による感染症によるものであり、助かった人よりも火傷の程度が軽い人も亡くなっていたのである。なぜ院内感染が起こったのか? それには信じられない原因があった。そして、その原因を作ったのはルーマニアという国家が慣習として続けてきた汚職の構図だった。
ルーマニアの“闇”に迫る二人の追及者
『コレクティブ 国家の嘘』は、二人の追及者を“主役”に立てる。一人はスポーツ新聞の編集長であり記者でもあるカタリン・トロンタン。もう一人は真相究明と事態収拾のため任命された新・保健省大臣で無党派の実務家ヴラド・ヴォイクレスクだ。前半ではコレクティブの火災被害者が病院で死んでいく理由を調査し報道するトロンタンを追い、後半ではこの事件全体から判明したルーマニアの医療行政の不備を正そうとするヴォイクレスクを追う。ヴォイクレスクはウィーンで銀行の投資部門副社長として働きつつ、ルーマニアの貧しい癌患者のために治療薬をオーストリアやドイツから密輸入するグループを結成したりしていた、気骨と実行力のある若者である。
監督はドイツで映画を学んだドイツ系ルーマニア人アレクサンダー・ナナウ。日本でも公開された『トトとふたりの姉』(2014年)では親に捨てられた三人姉弟に密着し親密なドキュメンタリーを作っていたが、今回も二人の追及者の信頼を得て、二人の調査や取材、政策会議の現場に立ち会うことを許される。ナナウ監督に対するオフレコは一切、ない。また、録音と第二カメラを担当したスタッフの一人はコレクティブ火災事故のサバイバーでもあるという。
トロンタンの調査は内部告発から始まる。彼の新聞社に持ち込まれたのは、病院で亡くなった被害者の死因が火傷によるものではなく、感染症によるものだというデータだった。しかし、なぜ感染症が起こったのか。それは消毒液が緑膿菌などで汚染されていたからだ。では、なぜ消毒液が汚染されたのかというと、消毒に必要な成分が“薄められていた”からである。
トロンタンたちが調査の結果を報道し始めると、保健省はあたふたと“調査”を始めるが、病院で使用している“消毒薬の濃度”を調べるのではなく、病院内のスタッフによって“消毒箇所”を検査させるというような的外れなことをしておいて、消毒は基準を満たしていると言い張る。この論理のすり替えと言い逃れ法は、どこかで見たような手口ではないか。
トロンタンたちは消毒薬を販売する製薬会社にも調査の手を伸ばし、病院経営のトップである理事長側にも切り込んでいく。この辺りは、まるでサスペンス映画である。タックス・ヘイブンにあるトンネル会社、リベート、高級車を乗り回す製薬会社社長、マフィア映画に出てきそうな顔をした病院理事長……役者もそろっている。この先の展開も劇的だ。
1989年の“革命”以降も続いていた政府の腐敗
そもそも重度の火傷を治療できる病院はルーマニアには一つしかない。そこに、想定外の人数の重度の火傷患者が運び込まれた。国内では治療が出来ないので近隣諸国、といっても設備や技術が整っているのはオーストリアなど旧西側なので費用は高くなるが、国費で移送するしかない。しかし、時間を争うはずの移送が上手くいかない。送り出す方が移送を渋る、妨害する。手遅れになった患者は移送されたとしても、病状が悪化して死ぬ。なぜ渋るのか、妨害するのか。他国での治療費を払いたくないだけではないだろう、感染症の件を知れば、その理由も推測できよう。
こんなことが続いてきたのがルーマニアの医療行政である。トロンタンたちの調査で明らかになってきた事実はとうとう、かつて病院理事長だったという保健省大臣を辞任に追い込む。その後に指名されたのが、ウィーン帰りの若いヴラド・ヴォイクレスクである。患者の権利を守る仕事をしてきたアクティビストだ。とりあえず問題解決に柔軟な姿勢を見せようという政府の思惑が垣間見える。新大臣に許された時間は少ない。
すぐさま彼は問題点を洗い出しにかかる。しかしまぁ、ここで出てくるわ出てくるわ。1989年の“革命”以降続いてきた腐敗は「芯から腐っている」と言うしかないほどに国家をむしばんでいた。それでも果敢に改革に取り組もうとするが、システム的に大臣が直接手を下せないようになっていたりと、腐敗を守るシステムが強固に築かれていることに新大臣とそのブレーンは気づき、立ち往生する。少なくとも今できることから……という策を発表する記者会見では、政権べったりの記者から全然違う方向からの攻撃をうける。ジャーナリズムも腐敗しているのだ。トロンタンは言う。「ジャーナリズムが見張っていないと、国家は国民を虐げる」と。しかし、そのジャーナリズムですらこの有様なのだ。
ルーマニアは1965年から1989年のルーマニア革命まで、チャウシェスク書記長による独裁政治が続いていた。ルーマニア革命は、他の東欧諸国で起こった市民による民主化要求の結果としての“革命”とは違い、反チャウシェスク派による政変と考えられている。根本的にルーマニア社会は、賄賂による汚職や腐敗の横行する独裁政治時代と変わっていないのだ(現在のルーマニアを代表する監督クリスチャン・ミンゲウの作品の背景にもこんな腐敗した社会があることが多い)。
2020年末の選挙でも両議会で議員数30%以上を占めた社会民主党は中道左派と言われるが、実はチャウシェスク時代から続く既得権益集団として“腐敗政治家、ビジネスマンの寄せ集め集団”と目されている。社会民主党は2016年当時政権の座にあり、『コレクティブ 国家の嘘』で追及される政府は、この社会民主党政府なのだ。映画の公式サイトから監督の言葉を借りると、この作品を制作していた2016年は、こんな年だったという。
ポピュリストが政権を握り、嘘をつき、自由な報道を攻撃し、自分たちの利益のために国家機関を悪用し、リベラルな価値観や社会構造の意味そのものを曲げるというパターンがあります。2016年は世界中の民主主義が試されましたが、同時に私たち一人一人も試されたのです。
これはルーマニアの話だが、ルーマニアだけの話ではない
そして――。新・保健大臣が就任して半年後の選挙時、2017年の社会民主党政党支持率は41%だったという。その選挙における、コレクティブで命を落とした若者たちと同世代の若者の投票率は、10%に満たなかった。……どこかで聞いたような数字である。
『コレクティブ 国家の嘘』にはナレーションもインタビューも、盛り上げるような映画音楽もない。事件の内容と数字的事実を確認するために最初と最後に簡単な字幕が黒バックで使われる以外、テロップもない。「わかりやすさ」「親しみやすさ」のために使われるこれらの手法を、ナナウ監督は使わない。監督は自らのドキュメンタリー手法を「ひたすら観察する立場に自分をおき、観客が自分と一緒に現場にいるような感覚になる方法」だという。
これはフレデリック・ワイズマン監督や想田和弘監督がいう「観察映画」の手法と言えよう。マイケル・ムーア監督のドキュメンタリーのように主張をはっきりとさせ、劇映画のように観客の感情に訴え、笑わせているうちにぞっとする事実を知らせる、という手法ではない。けれど、実はワイズマンも想田もムーアも、そしてナナウも「伝えたいことははっきりある。言いたいことは言う」という点では同じ。「ドキュメンタリーは中立であるべき」とか「双方の意見を平等に提示するのが中立である」とは考えていない。全員が「権力を監視するのがジャーナリズムの役目」というトロンタンの意見にうなづくであろう監督たちだ。
この映画のなかで、新しく保健大臣になったヴォイクレスクは着任の挨拶で「まず約束するのは“嘘”をやめることです」と言う。ルーマニアの医療はEUレベルの基準を満たし、ドイツレベルの技術を持っているという嘘。病院は適正に運営され、消毒も適正に行われているという嘘。不正を隠そうと隠蔽と改竄を重ね、嘘を嘘で塗り固めていく人々……。これもデジャヴ感がある話だ。失敗を認めず、対処が遅れていることもしらばっくれ、その挙句、患者の命が消えていく。どこの、いつの話かと思う。これはルーマニアの話であって、ルーマニアだけの話ではない。
コレクティブ火災被害者の悲劇の原因には国家がつき続けてきた嘘があり、嘘をつく国家を支持し続けてきた国民の、嘘をつく国家と知りながら無関心でいた国民の、つまりあなたにも責任があるのではないか? と、この一本のドキュメンタリーは見る者に問いを突きつける。他人事ではないのですよ、と日本の観客である私にも、その問いは突き刺さってくるのである。
文:まつかわゆま
『コレクティブ 国家の嘘』は2021年10月2日(土)よりシアター・イメージフォーラム、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
『コレクティブ 国家の嘘』
2015年10月、ルーマニア・ブカレストのクラブ“コレクティブ”でライブ中に火災が発生。27名の死者と180名の負傷者を出す大惨事となったが、一命を取り留めたはずの入院患者が複数の病院で次々に死亡、最終的には死者数が64名まで膨れ上がってしまう。カメラは事件を不審に思い調査を始めたスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長を追い始めるが、彼は内部告発者からの情報提供により衝撃の事実に行き着く。その事件の背景には、莫大な利益を手にする製薬会社と、彼らと黒いつながりを持った病院経営者、そして政府関係者との巨大な癒着が隠されていた。真実に近づくたび、増していく命の危険。それでも記者たちは真相を暴こうと進み続ける。一方、報道を目にした市民たちの怒りは頂点に達し、内閣はついに辞職へと追いやられ、正義感あふれる保健省大臣が誕生する。彼は、腐敗にまみれたシステムを変えようと奮闘するが……。
制作年: | 2019 |
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監督: |
2021年10月2日(土)よりシアター・イメージフォーラム、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開