この原作を、よくぞハリウッドが見つけてくれた!
もう〜、物騒なタイトル。
これじゃ「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ」ってサイコパスが暴れまわる映画みたい。
私はこの作品を観るまで全く知らなかったんだけど、原作は桜坂洋の小説、「All You Need Is Kill」。
よくハリウッドが見つけてくれた。凄いことでございます。
さすがにこのタイトルではまずいと思ったか、映画のタイトルは日本以外では『Edge of Tomorrow』です。
私は殺すのも殺されるのも嫌。
戦争だ、お国のために命を捧げろ、なんて言われたら逃げたい。
絶対逃げる。
大方の人と同じようにトム・クルーズが演じる主人公ウィリアム・ケイジも広報官だったから、殺されるなんてまっぴらで逃げの一手を打とうとするけど、敵は人間じゃない。どんな形なんだかよくわからない宇宙人がむちゃくちゃ暴れまくって、人類滅亡の危機なんだから逃げるなんて許されるわけがない。怒られて前線の戦闘員にされてしまう。
しかも宇宙人は勝てるわけないくらい強い。
戦争映画か?そうとも言える。
スペースオペラ?違う。
SF? 宇宙人が出てくるんだからそうでしょう。
死ぬ?死にます。
死んで終わるの? 終わりません。
メメント・モリ? 関係ない。
じゃ、「殺され足りない」ってどういう意味よ? 映画観てください。
死んだ後は「私」はどうなるのかしら、と悩んでいる人が多いかどうかは知らないけど、最近は「転生」ものが大流行りらしいじゃない。
でもね、輪廻転生って仏教思想では決していいことじゃないんですよ。
この世はとても辛いところ、欲を捨てよ、とお釈迦様が諭しても人間って業が深いんで、この世での栄華を望み、捨てられない煩悩に悩み苦しむ。
生まれ変わるなんて、また一から苦労のやり直し。
だから、決して生まれ変わることのない涅槃(ニルヴァーナ)に入ることが一番望ましい。
而して、お釈迦様は決して生き返ることはありませんでした。
タイムパラドックスの抜け道
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開された時、観終わったカップルがよく交わしていた会話。
「あれ、なんだったの?」
「あれはね、過去を変えてしまうと戻ってきた現在も変化しているってこと」
「えー、じゃ、本当の今には戻れないってこと?」
「本当の今は無限にあるってこと」
「なに言ってんの?」
そう、過去に戻ると面倒なのである。
なかったはずのことが起きているのだから、そこの整合性をつけてやらないとまずい。
それが面倒でありながら、一番面白いところでもある。
ちなみに、タイムパラドックスを扱った最も優れた小説は広瀬正の「マイナス・ゼロ」(集英社文庫)。
私が言うことに裏付けは何もないが、これを超えるものはこの世に存在しない、はず。
「えっ!」としばらく呆然自失絶句状態に陥る。
しかし、タイムスリップしてもわかりやすいのは未来である。
未来については予想はできても、ノストラダムスが大外ししたくらいだから(当たっていると主張する人もいるけど)、誰も確定的なことなんてわからない。
「今」を変えれば「未来」も変わるが、それは当たり前だからパラドックスは成立しない。
ただ、当たり前のことを当たり前に作ってもしょうがない。
だから、こういう筋立てなのだよ。
座布団3枚だ。
<俺が死んだら、未来は君たちに任せる。
いや、死んでも許さん。
最後まで責任を取ってもらう。
天国にも地獄にも行かせない。>
これが私が決めたこの映画の主題である。
2014年公開のこの作品の20分くらいまでは、また殺すか殺されるか、宇宙人は強いぜ、ラスボスを倒すまでは、みたいなありがちな内容で、トム・クルーズとエミリー・ブラントじゃなかったら観てないかも、と半分眠りに落ちかけていたが、ある場面からいきなり目が覚めちゃった。
トム・クルーズが3、4回は撮影の最中に死んでてもおかしくないくらいムチャしています。いつものことだけど。
日本ではそこそこのヒットだったが、もっと入っても良かったのにと思っております。
文:大倉眞一郎