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衝撃作『MINAMATA―ミナマタ―』ジョニー・デップが伝説の写真家になりきり水俣病を再び世界に伝える

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ライター:#大倉眞一郎
衝撃作『MINAMATA―ミナマタ―』ジョニー・デップが伝説の写真家になりきり水俣病を再び世界に伝える

ネコ踊り病

熊本県水俣でネコ踊り病が話題になったのが1953年。私が生まれる4年前。しかし、詳細な史料は残っていないようだが、1942年頃から水俣病らしき症例が見られていたという。原因不明の奇怪な症状であったため、水俣特有の風土病であり、伝染するとも根拠なく伝わり、水俣の人々は病気の上に差別を受け塗炭の苦しみに晒されていた。

1950年代の終わりあたりから、チッソ水俣工場の工場排水に含まれているメチル水銀が原因ではないかという研究が発表され、いくつもの関係省庁による協議会も作られたが、結論を出さないまま解散。また、御用学者による情報撹乱とみなしてもおかしくないデタラメな研究が発表されたりして、いっこうに真相解明には至らない。

https://www.instagram.com/p/CSFlxpEsRRd/?utm_source=ig_web_copy_link

1959年にチッソは汚染・被害を認めないまま、わずかな見舞金を患者・遺族に渡したが、今後、病気の原因が工場排水であったとしても、新たに補償は行わないと勝手に決めてしまった。

私が水俣病を知ったのは、おそらく小学校低学年の頃のはずだが、まず見せられたのは猫が正視できないような動きで飛び跳ねる動画で、その衝撃は凄まじく、さらに、患者たちの写真がアサヒグラフに再三掲載されるようになってからは、出身地の下関の魚は食べても大丈夫なのかと、怒りよりも不安しか感じる余裕がなく、ただただ恐ろしい病気だという認識だったはず。

https://www.instagram.com/p/CR2QSJzsgKf/?utm_source=ig_web_copy_link

ジョニー・デップがユージン・スミスになった

そんな頃、アイリーン・美緒子は富士フィルムのCM撮影でユージン・スミスを訪ね、その際に水俣を取材し、写真を撮って欲しいと依頼するのである。1971年のことである。ここから傲慢で、アル中で、人生を投げてしまっていた58歳のユージン・スミスの新たな生活が始まる。

ユージン・スミス ©︎Ishikawa Takeshi

プロデューサーから映画『MINAMATA―ミナマタ―』への打診を受けた時、一切のためらいなく引き受け、誰よりも熱心に水俣病についてのリサーチを要求し、プロデューサーにも名を連ねることになったジョニー・デップも、ある意味この作品で生まれ変わったのではないかと私は思っている。

ユージン・スミスの気難しさ、たまに垣間見せるユーモア、被害者に対する思いやり、取材にのめり込む姿勢、全てがジョニー・デップに乗り移っている。ユージン・スミスは結局アイリーンと結婚し、3年間水俣で暮らしながら取材を続けるが、ジョニー・デップはユージンと自分を重ね合わせ、同様の熱量で撮影に没頭する。デップはこう語っている。

本作で重要なことは、これが人間の物語であるということだ。“どこまで感じることができるか?”と問いかけている。さらに“自分ごととして受け止めているか?”“自分もそこに行けるのか?”と。なぜなら、公害を止めることはできたはずだからだ。ずっと前に芽を摘み取ることはできたはずなのに、そうはならなかった。

『MINAMATA―ミナマタ―』©2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

今回は作品の内容についてはほとんど言及しない。ジョニー・デップがユージン・スミスに成り切って登場する、それ以上何も書く必要がないのだから仕方がない。

ユージンを支える、あるいは引っ張るアイリーンには美波が抜擢されている。最も注目していた女優だったのに最近見なくなったと残念に思っていたら、冒頭、ユージンに「水俣に来て欲しい」と迫るシーンでその実力を再度証明した。真田広之、國村隼、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬明子、さらにビル・ナイと豪奢な出演者たちだが、大手映画会社がずらりと製作委員会に大企業を並べて作られた映画とは、ものが違う。雑で大仰な演技は必要ない。静かだが熱のこもった動きから目が離せない。

『MINAMATA―ミナマタ―』©2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

ひとつ驚いたのは、水俣の街が大きく変化していたため、水俣での撮影はほんの一部のみで、他はセルビアとモンテネグロでロケーションを行なっているということだった。それでも衣装、小道具、セット全て、当時の水俣が再現されていて、旧ユーゴスラビアで撮られたとは誰も気付くことはない。

『MINAMATA―ミナマタ―』メイキング©2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

そして公害はなくなったか

公害がもし世界からなくなっていたら、この作品は撮られることはなかったかもしれない。私が小学校低学年の頃、近くの小川は透き通り、長靴を履いて川遊びに出かけ、気が付けばヒルが何匹も足に張り付いていた。夏は蛍が舞い、虫の音が途切れることはなかった。それがあっという間に入浴剤を大量にぶちまけたような濁った黄緑の川に変わってしまった。どこから何が流入したのか誰もわからなかったが、川から生き物が一掃されたことだけははっきりしていた。大きな騒ぎにもならず、しばらくはそのままだった。そしていつの間にか、増水で氾濫するような川ではなかったのに護岸工事が行われ、川に降りられなくなってしまっていた。水は元どおり透明にはなったが、蛍を見かけることはなくなってしまった。

『MINAMATA―ミナマタ―』©2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

それで私たちの生活が激変したわけではなかったので、公害とは言えないかもしれないが、大規模な公害、というより人的災害は水俣以降も一向に減ることはない。ひとつひとつ挙げ始めるときりがない。最も気にかけるべきは気候変動だろうが、最近の出来事、日本ではあまり騒ぎにならないアメリカのシェールオイル開発が最も深刻な問題であろう。環境破壊、健康問題が明らかになっているが、安定的な化石燃料にまだ大きく頼らざるを得ない状況では、やめろという声が大きくならない。「うまくバランスを保ちつつ、環境に配慮し、採掘を進める」ということのようである。

人間が目指すものは「進歩」という名の下に行われる「愚行」である。

『MINAMATA―ミナマタ―』©2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

写真で何が変わるか

蛇足になってしまうが、写真について考えていることを少しだけ。

誰もが絞り、露出、フォーカスを気にせず、一度に何十回シャッターを切っても撮り続けられるカメラを常時持ち歩き、その写真がポスターに印刷できるクオリティを持つという現在、写真を撮るということの意味が問い直されている。誰が撮ったかという作家性が、これからもリスペクトの対象になるのかどうかさえ危うく感じる。

『MINAMATA―ミナマタ―』©2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

ジョージ・フロイド氏が警官に殺された際に、18歳の少女が携帯電話のカメラで撮っていた動画がピューリッツァー賞特別賞を受賞した。あの動画がなければ警官の主張が認められて、フロイド氏の死は闇に葬られていた可能性が高い。少女の勇気は高く評価されてしかるべきだが、このことではっきりしたことがある。これまで写真家は「事件」が起こる現場に居なければならなかった。世界中を飛び回り、何かが起きそうな気配を感じ取って、そこで構える必要があった。それが今後、その場に居合わせた誰もが「衝撃の」瞬間を捉えることが可能になった。おそらく戦場であっても同様であるし、人間がそこにいる必要がなくなるかもしれない。

『MINAMATA―ミナマタ―』©2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

私も時間ができると、旅に出て写真を撮る。衝撃的な写真を狙うつもりはないが、自分がレンズを向けている先の空間の空気が伝わるかどうかは、カメラを手にしている間は考え続けている。一枚の写真で世界を変えようとは全く思わないが、どの国に行ってもこの地球世界に生きていることを主張していければ嬉しい。私の場合、写真を撮ることは使命感ではなく、私に見えているものを残すことである。

『MINAMATA―ミナマタ―』©2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

作品の中でユージンとアイリーンは最後に、胎児性水俣病で目が見えず、話せない、体も自由にならない娘と風呂に入る母親を撮影する。ユージン・スミスと検索すると最初に出てくる彼の代表作と言っても良い写真だが、これはたまたま偶然撮れたものではなく、綿密に構図、光が計算されている。

どのようなカメラでも、どのようなタイミングでも、偶然でも計算でも構わない。何を伝えようとしているのかが問われるのが写真だということがよく理解できる一枚である。

『MINAMATA―ミナマタ―』©2020 MINAMATA FILM, LLC © Larry Horricks

文:大倉眞一郎

『MINAMATA―ミナマタ―』は2021年9月23日(木・祝)より全国公開

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『MINAMATA―ミナマタ―』

1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する写真家の一人と称えられたユージン・スミスは、今では酒に溺れ荒んだ生活を送っていた。そんな時、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる。水銀に冒され歩くことも話すことも出来ない子供たち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側。そんな光景に驚きながらも冷静にシャッターを切り続けるユージンだったが、ある事がきっかけで自身も危険な反撃にあう。追い詰められたユージンは、水俣病と共に生きる人々にある提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮る──。

制作年: 2020
監督:
音楽:
出演: