谷垣監督、ドニー・イェン主演作『肥龍過江』の追加撮影で正月早々香港へ!
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この正月に自分の監督作にしてドニー・イェン主演最新作『Enter The Fat Dragon 肥龍過江』(原題)の追撮のため香港へ行ってきた。これはどういうシーンの追撮なのかというと、実は『SPL/狼よ静かに死ね』(2005年)の再現シーンなのだ!
劇中、左遷させられたドニー刑事が上司に昔の功績の数々を訴えていて、そこで「俺はあのとき警棒たった1本で中国武術の金髪野郎と戦わされたんだぞ!」と『SPL』の対ウー・ジン(呉京)戦を連想させるようなセリフを喋っている。最初はセリフで語るだけで、分かる人がわかればまあいいかぐらいの意味合いだったのだが、ドニーが「実際のシーンを挿入した方がよりわかりやすい」と言い出した。そこで『SPL』本編の映像を貸してもらおうと思ったのだが、これを断られてしまったのだ。
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普通だったらここで「まあ、しょうがないよね」と諦めるところだが、ドニーは違う。「じゃあ新たに撮ればいいじゃん!」 ― あまりにポジティブな提案に誰も反対するものはなく、おかげで正月早々1泊2日で香港に帰って撮影する羽目に。
ところが、その翌日この撮影のニュースが出た時の反響の大きいこと……。「『SPL』の続編か!?」とか「あの名シーンをそっくりそのまま再現!」だとか、地元の新聞だけでなく海外のサイトでも結構な反響があった。こちらが思っている以上にあの作品が覚えられているのだなと改めて実感させられたものだ。
『イップ・マン』シリーズ監督との邂逅!『SPL/狼よ静かに死ね』制作秘話
さて、前置きが長くなったが、その『SPL/狼よ静かに死ね』が撮影されたのは2004年の5~7月中旬。それに追撮が9月だったかな。もう15年も前になる。元々は2003年ぐらいにBa叔という音楽界で有名なプロデューサーが、香港映画界に復帰したドニー・イェンに「三少爺的剣」という時代劇の企画を持ち込んだのがきっかけだ。
1999年当時、監督主演作『ドニー・イェン/COOL』(1998年)の成績が振るわず香港映画界の景気も最悪、キャリアをアメリカに求めたドニーが『シャンハイ・ナイト』(2003年)や『ブレイド2』(2002年)でそれなりの知名度を上げ(その途中、チャン・イーモウの『HERO』(2002年)や日本映画『修羅雪姫』(2001年)のアクション監督などもやってはいた)、『ツインズ・エフェクト』(2003年)のアクション監督という形で香港映画界に凱旋。アクション監督としてのキャリアは順調だったが、主演作はここ5年ほど撮ってはいない。
Ba叔と意気投合して「三少爺的剣」を進めていたものの、時代劇は金がかかるという理由で現代劇になった。そうして生まれたのが、この『SPL/狼よ静かに死ね』だ。のちに『イップ・マン』シリーズ(2008年~)を手がけることになるウィルソン・イップ監督とドニーの初コラボでもある。ちなみに『SPL』というのは原題の「殺破狼」の英語タイトルをどうしようかと考えていて、「う~ん、キリング・ウルフとか」ってそのまんま直訳みたいなタイトル案が出たところ、ウィルソン・イップが「<殺破狼 (Sha Po Lang)>の頭文字をとって『SPL』でいいじゃん!」と言ったのが由来(笑)。
目指したのは「もしかして本気で戦ってる!?」と見紛うアクション
舞台は1994年の香港。黒社会のドン、サモ・ハンの有罪証言のために裁判所に証人を護送中に証人は暗殺される。警部のサイモン・ヤムは証人夫婦の娘を養女に。3年後、早期退職をするサイモン・ヤムに変わりドニーが着任。サイモン・ヤムは最後の大仕事にサモ・ハンのアジト壊滅作戦を実行する。しかし、その報復で部下が次々に惨殺。ドニーがサモ・ハンに囚われたサイモン・ヤムを奪回すべくアジトに乗り込む。
……う~ん、こんなストーリーだったような気がする(笑)。でもね、そんなことはどうだっていいんだよ! 大体、1994年っていう設定自体が「香港が中国に返還される前の出来事です」って言いたいだけだし、最後の海辺のシーンなんて高倉健の『冬の華』(1978年)のパクリだしな。
この作品での見どころは、もちろんそのアクション。この時ドニーと目指したのが「Choreograph the unchoreographed」、つまり「アクションに見えないアクション」「振り付けに見えないアクション」というコンセプトだ。現代アクションなんだからリアルに見える戦い、お客さんが「あれ? この人たち、もしかして本気で戦ってる?」と思ってしまうような戦い。そういうことができたらいいな、と。
ただ「よーい! アクション!」で本当に好き勝手に戦ってしまったら、それはただの泥臭いアクションにしかならないから、「そう見えるようなテイストを取り入れた戦い」をきちっと計算して作ろうと考えたわけだ。
その目論見は的中して、15年経った今でもこの映画のアクション、特にドニーvsウー・ジン戦は本当に全部アドリブでやってると信じている客がいる。まともに考えてそんなわけないのだが、そう思ってもらえるということはリアルに見えたということなのだろう。このウー・ジンとのシーンは実は追撮で、本当は予算の都合上カットになるはずだった。それをドニーが「どうしても必要だから」ということで、投資者たちが二の足を踏む中、Ba叔が快諾して追加予算を出してくれたのだ。
予算の半分は、チムサーチョイで大量のエキストラを導入して撮ったサモ・ハン親分の「12時越えたらこの街は俺のもん」という名シーンに、そして半分は九龍湾の裏通りで撮ったドニーとウー・ジンの一騎打ちの撮影に費やされた。
インパクト大! 限られた空間で繰り広げられるミニマムな技の応酬
この対決シーンを見ることがあったら注目して欲しいのだが、ここでの二人は実はワイヤーはおろか、壁を蹴ったりもしていないし、宙返りもしてないし、蹴りの一つも出していない。撮影時に何度もドニーに「蹴りぐらいやっといた方がいいんじゃないの?」と言ったが、ドニーは「いや、ここは必要ない」と言い切っていて、今考えるとそれは本当に正しい判断で、あの限られた空間でミニマムな技の応酬を繰り広げたからこそ、人々の印象に残ったんだろうなと思う。
逆にドニーvsサモ・ハン戦はどうかというと、撮り終わった直後は「すげえもんが撮れた」と思っていたが、今このシーンについて語る人、もしくはこのシーンを覚えてる人自体あまりいないかもしれない。
それはなぜだかわからない。中途半端にアクションっぽくなってしまったからかもしれないし、自分やドニーの分析では床が絨毯だったのも関係あるかもしれない(どれだけいたそうなアクションをやっても痛そうに見えない)と思ってる。
そう考えると、アクションを作るということはちょっとした要素や原因で見え方が大きく違ってくる、とても繊細な作業なのだということを改めて実感する。
ちなみに「SPL」はタイトル上はシリーズとして3作出ているが、それぞれは何の関係もない。ドニーの「SPL」が見られるのは、この『SPL/狼よ静かに死ね』だけ。必見!
文:谷垣健治
https://www.youtube.com/watch?v=rpOoggsdteQ