テレビにかぶりつきの2021年夏
コロナ禍で1年延期になっていた東京オリンピックが終わった。緊急事態宣言で仕事以外、どこも出掛けることがなかったこの夏は、テレビでオリンピックを見まくったのだが、昼間に見られなかった競技も、有難いことに深夜どこかのチャンネルで再放送をやってくれたおかげで、かなりの競技を見ることができた。上野選手を筆頭に金メダル連覇を果たした女子ソフトボールに感動し、日本のお家芸、柔道の金メダリストたちのインタビューに日本の武道の精神を感じ、サーフィンやスケボーなどの新しい競技での日本人の活躍に驚き、悲願の金メダルを取った野球に感涙した。もうすぐ49歳になる私の人生で、一番見たオリンピックだと思う。
思い起こせば人生でオリンピックを初めて意識して見たのが、1984年、私が小学校6年生の夏に開かれたロサンゼルス大会。その4年前、私が小学校2年生の時のモスクワオリンピックは米ソ冷戦下で、アメリカに従い日本はオリンピックを辞退したためテレビ中継はほとんどされず、大会マスコットのクマのキャラクターが主役のアニメ『こぐまのミーシャ』(1979~1980年まで日本放送)がテレビで放送されていたことだけ覚えているが、モスクワ大会のマスコットキャラだったとは大人になってから知った。
しかし、ロサンゼルスオリンピックは鮮明に覚えている。開会式でジェット推進飛行装置、ロケットベルトを装着した男性が空から飛んできて、メインスタジアムに着陸した映像には、子供心にマンガの様な世界が現実にあるのか! とびっくり仰天。
陸上競技ではカール・ルイスがぶっちぎりの速さで、金メダルを4個も獲得したり、女子には危険すぎるとの理由で長年開催されていなかった女子マラソンが同大会から公式競技となったが、酷暑の中スイスのアンデルセン選手が脱水症状になり、ふらふらの千鳥足で競技場に帰ってくるという涙のゴールがあったり、柔道の山下泰裕選手が男子無差別級の2回戦で右足の肉離れの怪我を負うも引きずった足のまま出場し続け、見事に金メダルを取ってしまう光景に興奮したのを覚えている。
ただオリンピックを見ながらも、6年生の夏休みはイベントも目白押しだった。少年野球の大会があったり、学校行事ではキャンプをしたり、親子夜間登山でご来光を見に行ったりと、小学生ながらかなり忙しかった。そんな中でも忘れられないのが、地区の水泳記録会。何十もの小学校から選ばれた選手が集まってタイムを競い合うのだが、私も25メートル自由形の選手に選ばれていたのだ。
しかし、ここで思わぬ出来事が起こる。この水泳記録会の前々日から、私の母親が夏風邪をひいて寝込んでしまったのだ。記録会にはお弁当を持参して行かなければならない。布団に寝ている母親に尋ねると、「お弁当はお婆ちゃんに頼んであるから」とのこと。実家の近所に住んでいた父方の祖母が弁当を作ってくれるそうなのだ。安心した私は記録会当日、ばあちゃんの家によって弁当を受け取ってから、水泳記録会に向かった。結果は予選敗退で、早々と勝ち残っている同級生の応援にまわった。そしてお昼になり、お弁当の時間だ。
カバンからビニール袋に入った、ばあちゃんの作った弁当を取り出す。その弁当は、前日の日付の新聞紙に包まれていた。嫌な予感が走った。みんなそれぞれのお弁当を持ってきているが、新聞紙に包まれた弁当の子など誰もいない。なぜならオリンピックの開会式で、ロケットベルトで、空から人が舞い降りて来る時代である。みんなカラフルなナプキンで包まれたお弁当を持ってきている。恐る恐る包んである新聞紙を広げると、中には使い捨てパックに白飯がどっさり。真ん中に焼きシャケが一切れドカンと乗っているだけのお弁当。玉子焼きやウインナー、唐揚げなど、子供の喜ぶおかずは一切入っていない。
恥ずかしい! おかずがシャケのみって! もうこれはおっさんの弁当である。同級生たちには絶対に見られたくない。特に女子には見られたくない! 私はすぐさま弁当を隠した。結局、私は普段おどけて輪の中心にいるキャラのくせに、この時は予選で敗退した悔しさで落ち込んでいるフリをして、プールの隅っこで、恥ずかしさを胸に白めしを急いで頬張った。
https://www.instagram.com/p/BoX5Ec5nO_z/
そんな小学生最後の夏休みの苦い思い出話しはさておき、オリンピックにも夏季と冬季があるが、戦国時代の戦さにも夏と冬の戦いが存在する。それが大坂冬の陣/夏の陣である。そこで今回のオススメ戦国映画は、大坂の陣が舞台の『真田十勇士』だ。
中村勘九郎×松坂桃李! 粋な戦国コメディ『真田十勇士』
『真田十勇士』は2016年に公開された作品で、中村勘九郎さんが猿飛佐助を演じ、霧隠才蔵には松坂桃李さん、真田幸村には加藤雅也さん、淀殿には大竹しのぶさんと豪華キャスト。さらに、敵対する徳川家康にはなんと松平健さん。松平健さんといえば暴れん坊将軍で有名だが、若い頃に8代将軍吉宗を演じ、この作品で初代将軍家康を演じられるのは妙な縁を感じてしまう。松平さんはその他にも、大河ドラマ『利家とまつ 加賀百万石物語』(2002年)では柴田勝家、『義経』(2005年)では武蔵坊弁慶、『おんな城主 直虎』(2017年)では武田信玄と、数々の歴史上の人物を演じられている。2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では平清盛役だそうで、幅広い役どころを演じていらっしゃる、いまだ目の離せない役者さんの一人だ。
本作の物語は、徳川家康の天下統一の最後の総仕上げとして、邪魔な大坂の豊臣家を潰そうとする。そこで豊臣方は全国の浪人を集める。その中で大坂方の頼りにされていた武将、真田幸村が<真田十勇士>と共に大活躍する、大坂冬の陣/夏の陣。と、ざっくり言えばそういうお話なのだが、本作は奇想天外なオリジナルストーリーが面白い。そもそも真田幸村は臆病者で、たまたま戦さで活躍しただけの設定になっている。それゆえ幸村自身は大坂城に入り、豊臣方を助ける気もさらさらないのだ。それを、十勇士の猿飛佐助や霧隠才蔵のサポートで戦さに参戦していくあたりは、他にないストーリーで面白い。
#彼の名は 猿飛佐助‼️ 最高の忍者でござる‼️ pic.twitter.com/31r7BlDMXX
— 映画『真田十勇士』 (@sanada10jp) October 7, 2016
他にも映画の冒頭、佐助と幸村が出会う場面や十勇士が集まって来る模様が全編アニメで展開され、観ていて思わず「あれ?」となるが、途中「この映画はアニメではございません、まもなく本編が始まります」の注意書きが出るあたり、コメディとして面白い。ただやっぱり、戦国好きの私にとっては大坂城南側に築かれた真田丸の出城での戦いで、少ない数で敵を押し返すあたりは爽快感があって心が躍る。
【壮大なロケ2】
— 映画『真田十勇士』 (@sanada10jp) September 3, 2016
大群が走り出すと、地鳴りがして砂埃が舞った。それを巨大クレーンに乗ったカメラが正面から撮る。またはカメラを乗せるための特製バギーで横から追う。さらに、ドローンを使って空から追った。(続く) #真田十勇士 pic.twitter.com/NsNNhNu1Hk
そして物語の後半、大坂夏の陣の戦いの場面で、幸村が家康の本陣目掛けて突進していく。その時、真田家古参の家臣が幸村の盾となり討ち死にしていくシーンで、幸村がこう言うのである。
「今日(こんにち)までの忠義、大義であった! 三途の川で待てぃ!!」
これは戦国ファンでなくとも、涙が止まらない、たまらないセリフなのだ! やっぱり戦闘シーンは良いものである。そして最後のエンドロールがまた面白い。スクリーンの右側にエンドロールが流れるのだが、左側は佐助たちのその後が紙芝居で展開される。内容は書かないが、この展開にも歴史好きにはたまらないロマンがあって私は良かったと思う。ぜひ一味違う真田幸村と十勇士の活躍をご覧になって頂きたい。
真田軍一押しのいい男でござる。#いいから黙ってTLにいい男投下しろ pic.twitter.com/mnBW97ZmlU
— 映画『真田十勇士』 (@sanada10jp) September 30, 2016
幸村は本名じゃない? 六文銭の意味は? サナダムシの由来は!?
さて今回の戦国雑学は、真田幸村の基礎中の基礎に触れていこう。そもそも“真田幸村”という名前が違うのである。本当の名前は真田信繁(さなだのぶしげ)で、幸村とは一度も名乗っていなかったのだ。
真田信繁でござる❗️ #このタグを見た人は本名をツイートする pic.twitter.com/8BzNWg0EuC
— 映画『真田十勇士』 (@sanada10jp) September 23, 2016
この信繁という名には、あの信玄の弟・武田信繁という武将の存在が関わってくる。この信繁は良くできた人物で、兄の信玄を立てつつ武田家を支え、最後は第四次川中島の戦いで、兄・信玄の盾となって討ち死にした立派な武将なのだ。そんな人物にあやかって、真田家の次男にも信繁の名をつけたと言われている。しかし、もともと真田家も武田の家臣であり、江戸時代以降お芝居や講談の中で信繁の名が2つも出てくると紛らわしいということで、真田信繁→真田幸村と変更されていった説があるのだ。
他にも、真田の旗印は六文銭、つまり六枚の銭が描かれているのだが、これは死んだ後の“三途の川の渡り賃”から来ており、我が軍団は死んで三途の川を渡ることを覚悟している、という意味から旗印として用いられたと言われている。ちなみに余談であるが、私が戦国好き芸人6人で組んでいるユニットは、六文銭からちなんで<ロクモンジャー>と名乗っている。
https://www.instagram.com/p/B9gH8U0nS–/
最後にもう一つ。人の腸などに生息する寄生虫のサナダムシ。長い物では10メートル以上になる物がいるが、このサナダムシの名前の由来は“真田紐”というものから来ている。真田紐とは、縦糸と横糸で織られた平たい紐のことだが、なぜ真田の名前がついているのか?
1600年の関ヶ原の戦いで、真田家は父・昌幸と次男の信繁(幸村)が西軍に、長男・信之が東軍に別れることになった。結果、東軍が勝ち、敗れた西軍についた昌幸と信繁は、信之のとりなしで命までは取られなかったが、和歌山県の九度山という所に蟄居を命じられた。大名から一気に流罪の身となり、生活は困窮。そこで生計の足しにと、紐を編んで売ったのだ。すると、この紐が丈夫でなかなか良いとよく売れたという。そこから真田紐として全国に広まったらしく(諸説あり)、この真田紐に寄生虫が似ていたことからサナダムシと名付けられたそうだ。まさか寄生虫にまで戦国武将が関係しているなんて、こんなエピソードにも私はロマンを感じてしまうのである。
文:桐畑トール(ほたるゲンジ)
『真田十勇士』はHuluほか配信中
『真田十勇士』
関が原の戦いから10年以上の歳月が流れ、徳川家康は天下統一を目前にしていた。最後に残ったのは、豊臣秀吉の遺児・秀頼と付き従う武将たちであった。秀頼の母・淀殿は、「豊臣の世をふたたび」という妄想に駆られ、徳川との対立を深めていた。世にいう大坂冬の陣の始まりである。次々と大坂城に入城する豊臣方の武将たち、その中に一際、異彩を放つ一団がいた。天下の名将として名高い真田幸村を筆頭とした真田十勇士の面々である。戦力の乏しい豊臣方の期待は一心に幸村たちに注がれていたのである。
しかし、幸村、どうやら様子がおかしい。実は幸村、男前が過ぎるばかりに周囲に勘違いされ、凡庸な武将にも関わらず、天下の名将に祭り上げられていただけなのだ。幸村大活躍のエピソードは偶然が重なったに過ぎなかった。そこに現れたのが抜け忍びの猿飛佐助。つまらない世を面白く生きるために抜け忍びとなった佐助は、己の虚像と実像のギャップに苦しむ幸村に出会い、「オイラの嘘で、あんたを本物の立派な武将に仕立て上げてみせようじゃないか!」と、 同じ抜け忍びの霧隠才蔵を筆頭に十人の勇士をあつめ、陰日向に幸村を支えてきたのであった。
歴史の教科書には載っていない、大坂冬の陣、夏の陣の火ぶたが切って落とされた! 幸村ほか真田十勇士の活躍や、いかに!
制作年: | 2016 |
---|---|
監督: | |
出演: |