山田洋次×沢田研二×菅田将暉
原田マハの原作を読んだ人なら、思わず声をあげずにはいられないだろう。「原作と全然ちゃうやん!」。――それが山田洋次監督の新作『キネマの神様』だ。
原田の映画好きの父親をモデルにした原作を、山田監督はグッと自分に引き寄せ、助監督時代を過ごした松竹大船撮影所の思い出と、図らずしも自身も影響を受けることになったコロナ禍における映画界の今を映し出した。そう、これは“シネマの神様”の存在を信じて映画に人生を捧げてきた、山田監督自身の物語だ。
小説「キネマの神様」は、ギャンブル依存症で借金を重ねた父親・ゴウを元凶から遠ざけさせるべく、もう一つの趣味・映画鑑賞をするようにと家族が仕向けたところ、それが思わぬ奇跡を呼び込み、家族の絆をも取り戻していく物語。ゴウのモデルは原田の父親で、実際に家族に迷惑をかけ通しだったそうだが、原田に映画の楽しさを教えたのも父親だそうで、ほぼ私小説だ。
そこにゴウが足蹴く通う映画館として、友人・テラシンこと寺林新太郎が館主を務める名画座・テアトル銀幕の経営危機問題が絡む。原作が出版されたのは2008年。もはや今は当たり前の現象として問題視されることすらなくなったが、都心の再開発に合わせて誕生するシネコンが昔ながらの映画館に脅威を与えるのだ。こちらもモデルがあり、1974年に開館した東京・飯田橋の名画座・ギンレイホール。同劇場を知る人なら、情景をより鮮やかに重い描きながら小説を楽しめるはずだ。
一方、映画版はゴウ(沢田研二)のキャラクター設定こそ生かされているが、映画好きである理由が肝。若かりし頃のゴウ(菅田将暉)は映画の元助監督で、いつか監督デビューする日を夢みて熱き魂を映画に捧げながら松竹大船撮影所で走り回っていた。同じ志を持って友情を深めていたのが映写技師だったテラシン(野田洋次郎)であり、のちに妻となる撮影所近くの食堂・ふな喜の娘、淑子(永野芽郁)、そして銀幕女優の桂園子(北川景子)。今でこそダメ親父だが、そんなゴウにもあった青春と古き良き時代の日本映画の思い出が描き出される。
自身と同じ生い立ちを持つ主人公に共鳴
ご存知、山田監督は1954年に松竹に入社し、『ゼロの焦点』(1961年)などで知られる野村芳太郎監督らの助監督を務めていた。劇中にはゴウの師匠として出水宏監督(リリー・フランキー)が登場するが、名前こそ清水宏監督からのもじりだが、キャラクターや描かれるエピソードは野村監督や小津安二郎監督など当時、大船で活躍していた名匠たちの逸話を盛り込んだもの。淑子のモデルは、かつて大船撮影所近くにあった食堂「月ヶ瀬」の看板娘・益子さんだろう。益子さんは二枚目俳優・佐田啓二と結婚。俳優・中井貴一の母である。
なぜ大船撮影所のエピソードが盛り込まれているかというと、本作は松竹映画100周年記念作の冠がついている。山田監督は松竹大船撮影所50周年記念作として、野村芳太郎製作、中井貴一主演で『キネマの天地』(1986年)を発表している。ただし同作は、撮影所が大船に移転する前の、松竹蒲田撮影所が舞台。今度は、自分がリアルタイムで過ごした大船撮影所を! という思いがあったのではないだろうか。
じゃあ、ここまで原作を変えるのであれば、いっそオリジナルで作ればいいのではないか? という疑問も湧いてくるが、おそらく小説のタイトルと、ゴウの生い立ちに自分を重ねたのではないだろうか。小説に、次のような記述がある。
ゴウの父親は南満州鉄道の技師で、ゴウも少年期を満州で過ごした。初めて映画を見たのも満州で、バスター・キートンにハマって映画を見るようになったという。そんなゴウが真似するキートンに惹かれて、本物を見たいと関心を示したのが中国人の貧しい女の子・玲玲。彼女を誘って日本人専用映画館に行ったところ、これが大問題に。大日本帝国の傀儡政治によって建国された当時の満州国では人種差別が歴然とあり、日本人経営の映画館に中国人が入ることはご法度。その禁を破ったゴウは父親にこっぴどく叱られ、玲玲とも会えなくなってしまった。
その時、「玲玲が好きなだけキネマを観られるように」とキネマの神様にお願いをしたという。それが小説のタイトルにもなっているわけだが、山田監督の父親も南南州鉄道の技師でゴウの生い立ちと同じ。終戦後の1947年に中国・大連から日本に引き揚げてきた。映画自体は満州について触れていないが、戦中・戦後の過酷な日々の中で、キネマにひとときの夢と希望を見いだしていたゴウという人物に共鳴したのだろう。
そして現代、映画館の危機に立ち上がる
そして、テアトル銀幕の経営危機はシネコンの台頭による影響に代わって、映画では今現在進行形の問題であるコロナ禍にと代わった。既報通り、本作で菅田とともにW主演を務めるはずだった志村けんさんが、撮影中に新型コロナウイルス感染による肺炎で、2020年3月29日に急逝。過去パートの撮影終了間際のことで、代役の選考や緊急事態宣言の発令を受けて、撮影中断を余儀なくされている。映画館も政府からの休業要請を受けて休館することに。日本中から映画の灯が消えるという例のない状況を、映画は社会を写す鏡として山田監督は、まんま劇中に反映させたのだ。果たして、テアトル銀幕の運命は!?
そこは映画を見てのお楽しみとして、現実でも山田監督は映画業界の危機を救うべく行動を起こしている。小規模映画館を救うべく深田晃司監督や濱口竜介監督らが発起人となった「ミニシアター・エイド基金」に、若手監督たちと混じって賛同人として名を連ね、クラウドファンディングで3億円以上を集める原動力となった。同様に、ギンレイホール自体が行なったクラウドファンディングにも原田マハとともに応援メッセージを寄せた。こちらも2000万円超えの寄付が集まっている。
さらに現在、全国のミニシアターに山田監督直筆の応援メッセージが書かれた色紙が届けられている。『キネマの神様』の上映館であるか否かも関わらずだ。そこには次のメッセージが書かれているという。
こんな時代だからこそ、映画は人々の生きる喜びと楽しみになると、信じています。ともに乗りこえましょう!!
まだまだ明るい兆しの見えぬ現状において、山田監督こそがキネマの神様なのかもれない。
文:中山治美
『キネマの神様』は2021年8月6日(金)より全国公開
『キネマの神様』
無類のギャンブル好きなゴウは妻の淑子よしこと娘の歩にも見放されたダメ親父。そんな彼にも、たった一つだけ愛してやまないものがあった。それは「映画」−−− 。行きつけの名画座の館主・テラシンとゴウは、かつて映画の撮影所で働く仲間だった。
若き日のゴウは助監督として、映写技師のテラシンをはじめ、時代を代表する名監督やスター女優の園子、また撮影所近くの食堂の看板娘・淑子に囲まれながら夢を追い求め、青春を駆け抜けていた。そして、ゴウとテラシンは淑子にそれぞれ想いを寄せていた。
しかしゴウは初監督作品の撮影初日に転落事故で大怪我をし、その作品は幻となってしまう。ゴウは撮影所を辞めて田舎に帰り、淑子は周囲の反対を押し切ってゴウを追いかけて行った……。
あれから約50年。歩の息子の勇太が、古びた映画の脚本を手に取る。その作品のタイトルは、『キネマの神様』。それはゴウが初監督の時、撮影を放棄した作品だった。勇太はその脚本の面白さに感動し、現代版に書き直して脚本賞に応募しようとゴウに提案する。最初は半信半疑で始めたゴウであったが、再び自身の作品に向き合う中で、忘れかけていた夢や青春を取り戻してゆく−− 。
これは、“映画の神様”を信じ続けた男の人生とともに紡がれる愛と友情、そして家族の物語。
制作年: | 2021 |
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監督: | |
出演: |
2021年8月6日(金)より全国公開