ナチスの行いが忘れられることはない
映画を紹介する仕事を始めて、もう20年になる。案内をいただいた作品は時間がある限り試写に行った。作品ジャンルで好き嫌いはほとんどないのだが、ひとつどうしても際立つものがある。それがナチス関連の作品群だ。
「最近ナチス関連の作品が多いよね」という会話を毎年していたような気がする。途切れることなく公開されているので、常に「最近」多いように感じているだけなのだと思う。
ナチス関連の作品は、どの国も作る。国を超えて制作されたものも多い。当然のことながらドイツも多くの作品に関わっている。「自国の犯した罪を明らかにする映画は反国家的だ」などという、何処かの国のようなくだらない騒ぎになることなどない。ドイツの学校では発言の際は人差し指を立てる。まっすぐ手をあげることはナチス式敬礼として捉えられるためである。ヨーロッパではフランスも手を上げない。占領された苦い記憶、ナチスに協力したヴィシー政権を生んだことへの反省もあるのであろう。もちろんイタリアでもご法度である。
日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいたわけで、早い話がナチスドイツ、ムッソリーニ政権とマブダチだったのだが、ヨーロッパで起こったことは知らんよ、ということかどうか知らないが、幼稚園から手は元気にまっすぐ挙げましょうと教わる。なんか変ではないですかね。
いや、日本には杉原千畝(すぎはら ちうね)がいたじゃないか、ユダヤ人にビザを発行して、いまでも感謝されているという「いい話」ばかりが喧伝されているが、それは日本政府の方針に従わず行ったことで、日本がユダヤ人を守ったわけでは全くない。
ナチスドイツの犯罪はドイツの国家犯罪として認識されており、戦後もドイツでは戦争犯罪者を追っている。どこまでの行為を「犯罪」と断罪するのかかなり難しい判断もあるが、ともあれ、ドイツは多くの国民がナチスに共鳴、狂喜し「ハイル・ヒトラー!」と声を揃えたことを強く恥じている。
話がどんどんずれるが、日本の戦争映画の大多数は日本人は大本営に騙されて、死ななくてすむはずだった多くの若者が命を落としてしまった、原爆投下により多くの市民が一瞬のうちに命を奪われた、孤児たちは悲惨な状況の中で餓死していった、そんな内容になっている。確かに心痛み、落涙してしまうが、日本が間違ってしまった恥ずべき行いを追求する作品はほとんど作られない。稀に制作されれば、街宣車が「反日国賊映画を許すな」とがなりたてる。他国の作品でも同じこと。右翼が妨害するので上映断念ということになる。おかげで日本が朝鮮半島、中国、東南アジアで何をしたのかを知る若者は少なく、知りたくもない、ということになっている。もはやNetflixにお願いするしかないのかもしれない。
『ホロコーストの罪人』市民による「戦争犯罪」
『ホロコーストの罪人』が作られたことに再度、驚きを覚える。ノルウェーは1940年にナチスドイツの侵攻を許し、2ヶ月の戦闘の末、降伏した。ユダヤ人が少なかったことと、すでにノルウェー人に同化していたこともあるようだが、当初、比較的ナチスのユダヤ人への対応は緩かった。ところがそれは単純に弾圧への準備に過ぎなかった。
ユダヤ人でありながらノルウェー人として「普通に」暮らしていた人々は、身分証明書に大きな「J」の判を押される。そこからは雪崩を打って状況が変わる。反ユダヤ主義政策が堂々と打ち出され、「普通の善良な市民」がユダヤ人差別に加担を始め、ノルウェー秘密国家警察は容赦なく国内の収容所にユダヤ人を押し込む。さらにはアウシュヴィッツに送るための手配をノルウェー人が粛々と進める。
ノルウェーという国家を守るための軍隊は機能せず、犯罪を取り締まる警察が戦争犯罪に手を染め、正しく生きようと願う市民が積極的にユダヤ人狩りに協力を始める。恐ろしいのはナチスドイツという化け物であるが、私はそれ以上に変貌していく「普通の人々」に戦慄を覚える。
2012年、ノルウェーのストルテンベルグ首相は、初めてノルウェー政府として自国の罪を認め、公式に謝罪した。この作品はノルウェーで作られ、ノルウェー大使館が日本での配給の後援となっている。
『復讐者たち』 誰に復讐すべきなのか
『復讐者たち』は敗戦直後のドイツから始まる。収容所から辛くも生き延びたユダヤ人である主人公は妻子が殺されたことを知り、絶望するが、彼を生かすモチベーションを見つけ出す。復讐である。
イギリス軍に属するユダヤ人旅団がナチス残党を狩り始めていることを知り、行動をともにする。敗戦直後の混乱の中、誰が戦争犯罪を立証するのか、ナチスに籍を置いていたことが犯罪となるのか。彼らは逮捕、裁判という手順を踏まず、森の中で処刑を行う。復讐という大義の前では、その行為は犯罪ではないのであろう。
しかし、さらに怒りに燃えたユダヤ人集団がいた。復讐の対象はナチスドイツだけではない、「ハイル・ヒトラー!」と敬礼をし、ナチスドイツに手を貸したドイツ一般市民への復讐が目的である。「600万人殺されたんだ。600万人殺さなければ」。手段は選ばない。
イスラエルはまだ建国されていなかったが、すでにパレスチナに拠点を構えていたユダヤ人旅団本部は、この無謀なプランを潰しにかかる。このプランが実行されればユダヤ人に同情的な世界世論が逆転しかねない。
実話に基づき作られたこの作品は十分に見応えがあるのだが、背景にシオニズムが濃厚に感じられるため、100%の理解、納得を持って賞賛はしにくい。しかし、収容所から生還したユダヤ人が療養を終えて、自宅に戻るとそこにはドイツ人が住んでおり、財産の返還を拒み、再度ユダヤ人に対して迫害行為を行っていたため、行き場を失ったユダヤ人はイスラエルで生きて行くことを選ばざるを得なかったことは知っておく必要があるだろう。
この『復讐者たち』はドイツ、イスラエルによって作られた。
『アウシュヴィッツ・レポート』 虐殺はいつ暴かれたのか
さらにもう一本。
長年の疑問がようやく消え去った。ナチスドイツが強制収容所で行っていたユダヤ人虐殺を現在は知らない人間はいないが、実際にいつ誰がそのことを知ったのかがわからなかった。強制収容所が解放されて、実態が明らかになったのはその通りだろうけれど、それまではナチス、あるいはナチスに協力していたドイツ国内、国外を問わない協力者たちの一部は知っていた可能性が高いが、それを口外することがあったとは思えない。噂では……ということはあったのかもしれないが、証拠があるわけではない。連合軍は、いつユダヤ人虐殺を知ったのか。『アウシュヴィッツ・レポート』で、それがようやく明らかになる。
1942年にアウシュヴィッツに収容されたスロバキア系ユダヤ人は、どのように収容者が殺されていくのかをひたすら書き留めていた。ガス室に送られる者、銃殺される者、首まで埋められ頭を割られる者、いつ、何人、誰が、どこで――。問題は、その記録をどう扱うのか。正確にそれを外部の責任ある者に伝えるには、自分たちが脱走するしかない。しかし脱走すれば、必ず仲間は見せしめに殺される。葛藤がある上、成功する可能性も低い。それでもやらなければ、いずれ全員が殺される。
持ち出した記録メモはどのようにレポートにまとめられたのか、それを受け取ったものは誰で、どのように処理されたのか。それは実際に映画館で確認して欲しいが、改めて感じたのはナチス関連の作品は終わりがないということ。視点の置き方で描き方も変わる、気づかされることも異なる。ほとんどの作品は実話がベースになっているため、幾度となくため息が出るほど重たいが、私たちは忘れてはならない。伝えていく必要がある。
この作品はスロバキア、チェコ、ドイツにより製作されている。
――今回は3本まとめて紹介するというやや乱暴な形になってしまったが、たまたまほぼ同時期に公開されることになったためご容赦いただきたい。
さて、そこでまた日本のことを考えるのである。自らを裁かなかった日本が、日本軍の行為を明らかにする作品を作る日は来るのだろうか。私は3本の作品を観て、まずそこに頭を抱えしまった。
文:大倉眞一郎
『復讐者たち』は2021年7月23日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネクイントほか全国公開
『アウシュヴィッツ・レポート』は2021年7月30日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
『ホロコーストの罪人』は2021年8月27日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開