2021年、相次いだ名優たちの訃報
このところ、田中邦衛、田村正和、と、スターの訃報が相次いだ。彼らの死は、ひとつの時代が過ぎ去ったような感慨をもたらしたが、同時に「そういえば最近とんと見かけなくなっていたし、やっぱりそういうことだったんだな」と妙に納得させられる感じもする。
俳優の田中邦衛さんが3月24日に逝去されました。
これまで優秀助演男優賞を5回受賞し、第17回「学校」「子連れ狼 その小さき手に」「虹の橋」で最優秀助演男優賞を受賞しました。その幅広い演技で、数多くの作品において存在感を放ちました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
※写真は第17回授賞式 pic.twitter.com/qtHZ17v8Yx— 日本アカデミー賞協会 (@japanacademy) April 2, 2021
田中邦衛は、最後の映画出演は2010年公開の『最後の忠臣蔵』でのラストの短い出演シーンだったが、その時点で随分と歳を取った感じがした。映画はこれが最後かもしれないなと予感していたが、それから丸十年以上、事実上の引退状態だったことになる。
田村正和の場合は、もう引退なのかな、ということにも気が付かないまま、自然にフェードアウトしていった趣で、緒形拳や加藤剛の時の感じに近い。思うに、俳優の引退に際して、それがニュースになるというのはその時点でまだ現役のスターであり続けている証だから、事情があって若くして引退という場合を除くと、映画スターが引退宣言して、しかも引退作が公開されるということは本当に、簡単には実現しないことだとしみじみ思う。
https://www.youtube.com/watch?v=hojW9V8nvjY
『さらば愛しきアウトロー』を引退作としたロバート・レッドフォードの場合
ロバート・レッドフォードといえば、1960年代からこの方、二枚目の主演スターとして活躍し、1980年の『普通の人々』で監督業に進出すると、いきなりアカデミー監督賞を獲得。以後、プロデューサー、監督、主演スターの三足のわらじで活躍し続けてきたが、2018年に俳優業の引退を宣言し、自ら製作・主演を兼ねた『さらば愛しきアウトロー』が“引退作”として大々的に宣伝されたのはご承知の通り。
実際には、2019年に公開された『アベンジャーズ/エンドゲーム』の脚本段階でレッドフォードの引退を聞いた脚本家のスティーヴン・マクフィーリーが、5年前の『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014年)でS.H.I.E.L.D.高官アレクサンダー・ピアースを演じていたレッドフォードに、最後にもう一度同じ役で登場してもらうことを計画。これが実現したことによって“引退作”後にもう一本出演することになったのだが、まあギャラもよかったのだろうし、それは御愛嬌というところだろう。
レッドフォードの場合、80歳を超えてなお主演スターで居続けることが出来たのは、製作者として自分に相応しい役柄を自分で見つけてきて、それを自らの主演の形で映画化する実行力を保持し続けていたからだ。しかし、それにしてもスゴイのは60年近い歳月を常に“二枚目スター”で貫き通したことだろう。
元々は二枚目スターだったが、加齢とともに体形や容姿も変わり、やがて性格俳優として別の味を出して長く活躍するというパターンなら、我が盟友デニス・ホッパーをはじめとして他にも例はあるのだが、徹頭徹尾二枚目の主演スターを貫き通したという点で、レッドフォードの場合はハリウッド史上の偉業といえそうだ。
見事だったジョン・ウェインの人生の締めくくり方
最後の最後まで主演スターであり続け、自身に最も相応しい“引退作”で最後を飾った人といえば、ジョン・ウェインがその代表格だ。戦前の『ビッグ・トレイル』(1930年)から、ひたすらに西部劇でヒーローを演じ続けてきたジョン・ウェインは1964年、57歳の時に肺がんになり、片肺を失いながらも「ビッグ・C(=Cancer)をやっつけた」と復帰し、1970年代半ばまでコンスタントに西部劇に主演し続けた。
もちろんウェインの場合も、レッドフォード同様、自ら率いるバジャック・プロという製作母体があったからこそでもあるが、世の中がアメリカン・ニューシネマの時代になってハリウッドが様変わりしても、古き良き西部のヒーローとしてのウェインに対する変わらぬファンの支持があったからこそ、スターで居続けることができたのだ。
そのタフなヒーロー=ウェインも、最後には胃がんでやせ衰えて72歳で亡くなっている。だが、がんの再発で自らの寿命、そして俳優生命の終わりを悟ったかのように、がんで余命いくばくもない名うてのガンマンが死に場所を求めてある町へやってきて、町のダニというべき三名の無法者と刺し違えて自らの死に花を咲かせる、という『ラスト・シューティスト』(1976年)に主演。これを“引退作”としてスクリーンに別れを告げ、3年後に亡くなった。見事としか言いようのない人生の締めくくりだった。
ウェイン同様、最晩年のキャリアの締めくくり方が見事だった例としては、もう一人、エドワード・G・ロビンソンのケースが思い浮かぶ。
ギャング・スター=エドワード・G・ロビンソンの辿り着いた最後の境地
ロビンソンはアル・カポネを演じた『犯罪王リコ』(1931)など、1930年代のギャング映画、そして『深夜の告白』、『飾窓の女』(ともに1944)など1940年代のフィルム・ノワールで一時代を築いた。しかしリベラルな人柄だったため、ハリウッドの赤狩りで窮地に陥っていた共産主義者の映画人たちに自宅の部屋を会議室として貸したのがあだとなって、共産主義者のシンパとしてハリウッドのブラックリストに載せられて仕事を干される憂き目にあっている。
1950年代後半からは、その特異な風貌を生かした性格俳優としてスクリーンに返り咲いたが、その時代時代のスターと共演しても常に一枚も二枚も上手の存在感を示して健在ぶりをアピールした。とりわけ、絶頂期のスティーヴ・マックィーンを精神的にコテンパンに叩きのめす老ギャンブラーを演じた『シンシナティ・キッド』(1965)が出色の出来だった。
遺作となった『ソイレント・グリーン』(1973年)はチャールトン・ヘストン主演の近未来SF映画だが、ここではヘストン演じる刑事の同居人で、過去に人類に存在していた“知恵・知識”を体現する老人として登場。人口の爆発的増加による食糧危機の時代の救世主とみなされていた“ソイレント・グリーン”の秘密を知って絶望し、ベートーヴェンの交響曲第六番「田園」の流れる中、過去に地球に存在した緑豊かな大自然の映像を観ながら安楽死することを選択する。
ある意味、主演スターのヘストンよりも重要な役柄で、かつ圧巻の演技でこの映画を見た観客の印象をひとりでかっさらってしまった感のあるロビンソンは、同作を最後に膀胱がんで亡くなっているのだが、明らかに『ソイレント・グリーン』撮影時には既に死期を悟っていたようであり、旧世代の大スターとしてその最後の花道を最高のパフォーマンスで締めくくった。
同作のDVDには、作品完成後にスタッフ、キャストや友人らによって行われたロビンソンの出演映画101本記念のパーティ映像が特典として付いていて、はにかみながら皆の祝福を受ける小柄なロビンソンの姿を見ることが出来る。
現代の名優ダニエル・デイ=ルイスは本当に引退するのか!?
さて、現代の俳優に話を戻そう。ロバート・レッドフォードの引退宣言の1年前、ポール・トーマス・アンダーソン監督との二度目のコラボとなった『ファントム・スレッド』(2017年)の撮影を終えた現代の名優、ダニエル・デイ=ルイスの俳優業引退のニュースが世界を駆け巡った。レッドフォードが82歳の誕生日の直前の発表だったのと比べて、デイ=ルイスの場合はまだ60歳の働き盛りだったため様々な憶測が流された。
出演作を厳選し、徹底的な役作りで史上唯一、アカデミー主演男優賞三度受賞の金字塔を打ち建て、57歳の若さでナイトの称号を与えられたデイ=ルイス。彼ならば、もう演技の領域の仕事は充分にやり遂げたと考えてもおかしくないだろう、と見る者も多いが、その一方で、いずれまた俳優復帰するだろう、と見る向きも多い。
というのも、デイ=ルイスはあまりにも徹底的に役を自分のものにし過ぎてしまうため、撮影終了後には毎回“燃え尽き症候群”の状態になってしまう気があるからだ。過去にも、『ボクサー』(1997年)のあと、俳優活動を一切やめてイタリアのフィレンツェでハンドメイドの靴職人に弟子入りし、10か月間、靴作りだけに集中。マーティン・スコセッシ監督が同地を訪れ、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001年)へ出演打診したのを受け入れるまで引退状態にあったことがある。
『ファントム・スレッド』でも、オートクチュールのファッション・デザイナーの役作りのために実際にニューヨークで1年間、裁縫師に弟子入りしてドレス作りを勉強したという。その結果として、俳優業よりもファッション・デザイナーとして服作りを今後の生業としていくことにしたと伝えられている。
筆者としては、『ギャング・オブ・ニューヨーク』の時と同様に、この監督からのこの役柄でのオファーならまた俳優に戻ってもいい、と彼が思えるような企画がそう遠くないうちに立てられることを切に願うばかり。
フェイク引退宣言で世間を騒がせたホアキン・フェニックスのケース
ところで、ダニエル・デイ=ルイスの俳優引退→ファッション・デザイナーへの転身という報道がいまひとつ真に受け止められない原因の一つとして、その10年ほど前に起こったホアキン・フェニックスの引退騒動が挙げられる。
『グラディエーター』(2000年)のローマ皇帝役以降、演技派として確固たる地位を築いていたホアキンが、突然の歌手への転向を表明したのは2008年。実際にその2年前に主演した『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2006年)ではカントリー・ミュージックの人気歌手、ジョニー・キャッシュ役で自ら歌を披露してグラミー賞(最優秀編集サウンドトラック・アルバム賞)まで獲っている。
https://www.youtube.com/watch?v=k2Q762Ipr3s
しかし、歌手転向で選んだ領域はラップだった。2009年にはラッパーとして初のコンサートを開き、納得しないファンとの間でつかみ合いの喧嘩を繰り広げるなど奇行が注目を集めたのだが、やがて、すべては後に『容疑者、ホアキン・フェニックス』(2010)というモッキュメンタリーを作るために義弟ケイシー・アフレックと仕組んだフェイクだったことが明るみに出た。
各方面に謝罪したホアキンは俳優業に戻り、以後、それまで以上の演技派としてスクリーン上で活躍を続け、とうとう『ジョーカー』(2019年)で第92回アカデミー主演男優賞ほか11部門に輝いたのはご承知の通り。
スポーツとはまた異なる形の“引退興行”が成立するのはどんな場合?
野球やサッカー、大相撲などスポーツの領域では、功成り名を遂げた名選手の引退に当たって“引退記念試合”なり“引退興行”が行われるものだが、現役として活躍できる選手寿命の短いスポーツと違って、俳優業は健康でさえいれば生涯続けることの出来る職業だ。だが、そんな俳優業にあっても、大々的な“引退興行”が行われ得るケースがある。
それは、俳優業そのものを引退するわけではないものの、“このシリーズのこの役といえばこの人”という極めつけの持ち役を持つ俳優が、その役を降板する記念作というようなケースだ。――もうお判りだろう。6代目ジェームズ・ボンド役として人気を博してきたダニエル・クレイグが、2021年10月公開予定の『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』をもって007役を降板するのに際して、“ダニエル・クレイグ最後のボンド役”というのが、マーケティング戦略上最大の売りとなっているのだ。
新型コロナ感染拡大の影響で二度にわたって公開延期措置が取られている同作だが、この秋こそ本当に公開してくれるだろうか、とファンの期待は膨らむばかり。“引退興行”というイヴェントに参加するような意識で、ファンは劇場に足を運ぶに違いない。
https://www.instagram.com/p/CKU-BPBBkUx/
文:谷川建司
『さらば愛しきアウトロー』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『ジョーカー』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2021年7~8月放送