ホン・サンス×キム・ミニ
ホン・サンス監督の『逃げた女』が2021年6月11日(金)より公開される。数年前のスキャンダルのことを思い出すと、またすごいタイトルの新作が公開されるもんだと微妙な表情になってしまった。
とはいえ『それから』や『クレアのカメラ』『夜の浜辺でひとり』(すべて2017年)など好きな近作も多いため、隠しきれない期待があったのも事実。そんな思いで観た『逃げた女』は、前述した監督への複雑な気持ちが、心が柔らいでいくような感覚で中和される作品だった。
本作の主人公ガミ(キム・ミニ)は、結婚して5年間一度も離れずに生活してきた夫が出張することになり、ソウル郊外で生活する2人の先輩と1人の同級生のもとを訪れる。そして彼女たちとの緩やかだが親密な交流によってガミは、過去から現在にいたるまでの自身の変化を認識していく……という静かな会話劇だ。
ホン・サンスの不器用なズームが女性たちの心理を捉える
この作品で描かれるのは、人は人に出会って変化していく尊さと、留まっていられることの安心感という二つの軸のように感じた。ただ、変化と安心感はどちらも逃避として描かれているようにも見える。変わっていくことは過去から遠く離れた場所にいるようだし、留まっていられることの安心感は変化した後の自分自身からは遠く離れているようだ。
ガミは、結婚したんだから一緒にいるのが当たり前だと言う夫に疑いもなく従ってきた。僕だったらそんな窮屈なことあるかと感じてしまうのだが、例えば誰かにとっての不幸が誰かにとっての幸福であったりする、二律背反のようなものなのだろう。それを分かっているからか、ガミの旧友たちも彼女をあまり否定しない。僕にはそれが突き放す行為ではなく、抱擁のように感じた。彼女を尊重しているからこその言動ということが、会話の温度感や言葉の選び方から滲み出ているのだ。
ガミが旧友らと屈託なく自身の生活の変化を話すシーンでは終始、非常に柔らかい空気が流れている。とりわけホン・サンス特有の狙って不器用にズームするカメラは、観客がぐっと登場人物の心理に近づくようで効果的だ。
ホン・サンスは何も否定しないし、変化や安心感を肯定することもしない。ただ、そこにある時間や関係に対して、たまらなく柔らかい眼差しを向けている。
文:巽啓伍(never young beach)
『逃げた女』は2021年6月11日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
『逃げた女』
ガミは、5年間の結婚生活で一度も離れたことのなかった夫の出張中に、ソウル郊外の3人の女友だちを訪ねる。バツイチで面倒見のいい先輩ヨンスン、気楽な独身生活を謳歌する先輩スヨン、そして偶然再会した旧友ウジン。行く先々で、「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫の言葉を執拗に繰り返すガミ。穏やかで親密な会話の中に隠された女たちの本心と、それをかき乱す男たちの出現を通して、ガミの中で少しずつ何かが変わり始めていく。
制作年: | 2020 |
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監督: | |
出演: |
2021年6月11日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開