私たちはここ数年、幾度となく“未曾有の災害”を経験した。災害は、因果関係もなく起きる。気を抜いているきに、たまたま家族とかつてない大喧嘩しているところに、なにかに成功して有頂天になっているときに、旅行や出張で家を離れているときに。そのときどこにいて、なにをしていようともお構いなしだ。
ジェラルド・バトラー主演のディザスター・ムービー『グリーンランド ―地球最後の2日間―』は、そんなふうに“予告なく起きる”という恐怖を思い出させる。
望まずして“最悪の瞬間”を目撃してしまう時代
高層ビルを設計する技師ジョン・ギャリティ(ジェラルド・バトラー)。妻アリソン(モリーナ・バッカリン)と息子ネイサン(ロジャー・デイル・フロイド)とは、自身の不倫が原因で別居中。ジョンもアリソンも家族を崩壊させたくないと思ってはいても、そのためにはもう少し時間が必要だと感じている。そんな折、彗星群クラークが地球に迫る。クラークの脅威は人々の思う以上に絶望的で、選ばれた人々にアメリカ合衆国国土安全保障省(DHS)から、グリーンランドにあるシェルターへと移動するよう“緊急大統領アラート”が届く、ギャリティ家にも。
『グリーンランド ―地球最後の2日間―』には、3つのテーマがある。まず、地球を滅亡させかねない威力を持つ彗星クラークという自然災害の脅威。2つ目は、ジョンとアリソンの離婚問題やネイサンの持病など家族の在り方を問うもの。3つ目は、他者とどう折り合いをつけて危機を乗り越えるかという、人間としての在り方について。どれも物語を進める重要な要素だ。
世紀の天体ショーを期待してテレビの画面を見守っていた人々は、フロリダ州に落下した彗星の一部が40万人の人々を一瞬に消し去るところを目の当たりにする。情報をリアルタイムで受け取ることの多い現代、私たちは望まずして最悪の瞬間を目撃してしまう機会が増えた。それもこの映画が描くもののひとつ。彗星そのものの脅威もさることながら、絶望を目にしたとき、どのように行動できるかという問いが、まず私たちに突き付けられる。
生殺与奪の権利はどこにあるのか?
国から選ばれたギャリティ一家は、軍の空港からシェルターへと旅立つように指示を受ける。それをたまたまパーティに招かれ、ギャリティ家に集まっていた近所の友人たちも目にする。絶望的な状況を共有したとき、ジョンはどんな行動を取るのか。まるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思わせるスリリングな場面だ。
それ以降、ギャリティ家の人々は、考えてみたこともない決断を幾度となく迫られる。一家の視点で映画を観ている私たちは、彼らの状況選択に対し、ときに誇らしく、ときに残念に、ときにその選択をどうにか正当化できないかと案じながら、“自分のこと”として見守っていく。
自分たちが選ばれたのは、ジョンに高層ビルを設計できる能力があったからだと、彼は同じように集められた人々と話す。彼らには医療従事者であったりと、それぞれ役割があるようだった。しかし、ひょんなことから持病のあることを知られた息子のネイサンが、搭乗を拒否される。アリソンはその瞬間、シェルターを目指していた目的に気づく。自分ではなく、ネイサンを生かしたい。それがすべてだということに。
そこでまた私たちは考えさせられる。その能力ゆえに選ばれたジョン、病を理由に拒否されるネイサン。では、その生死のジャッジをしているのは誰なのか? その選択にはどういう意味があるのか? と。
生死を突きつけられたとき、最良のジャッジができるだろうか
ギャリティ家の人々は、観ている者が、常に彼らを正当化できるポイントを探してしまうほど追い詰められていく。でも、生死にかかわる災難が目の前に迫ったとき、私たちはどのくらい最良のジャッジができるだろうか? 余地が残される状況なら、より多くの人が幸せなほうを望むだろう。だが、秒単位で危機が迫っているとしたら……?
クリス・スパーリングの脚本、そしてリック・ローマン・ウォー監督の演出は、ギャリティ家の人々を、常に多くの人々の中で描くことを選んだ。他者との関係性がなければ、観客は彼らが無事にたどり着くことだけをゴールと考え、ゲームのように応援できるのに。
そう。ご想像通り、この映画の骨子は聖書にある「ノアの方舟」だ。神を信じて方舟を作り、家族と縁の者、職人、食料、そしてあらゆる動物をつがいで乗せて、7日間におよぶ大洪水を生き延びた、あの話をベースにしているのだと思う。聖書との違いは、選ばれなかった者と、そんな彼らに向き合った選ばれた者、両者の苦悩に重点を置いたところ。要するに、聖書の一節にある“正しいものはいない。一人もいない”を描こうとしたのだろう。
現実に“命の選択”が迫られる状況だからこそ……
私たちは生きていかなければならない。でも、なにを選んでも人生には正解などない。だが選ばなければいけない瞬間は、これからさらに増えそうだ。しかも、さらに重大な選択を強いられかねない。そう思いながら観ると、その臨場感たるや。ディザスター・ムービーを、こんなふうに現実的に捉える日が来るとは思わなかった。いや、思いたくなかった。
ちなみにネイサンを演じたロジャー・デイル・フロイドは、撮影当時7歳。演技プランとは無縁の彼との芝居に、ジェラルドとモリーナはさまざま考える機会をもらったようだ。モリーナはインタビューで「段取りでは動かない彼の心に立ち返ることで家族になれた」と語っている。
そんなロジャーが演じたネイサンは搭乗は拒否されるが、もともとリストには入っていた。そう考えると彼には彼の使命があり、リストアップされていたのではないか。そんな考えに至った。それは“彼”の命が重要だから……ではなく、どの命にも可能性があり、その瞬間のために重要なのだと。
https://www.instagram.com/p/CI_adeQAWdE/
ジョンが、選ばれた者それぞれに役目があると考えたのは、自分を納得させるために辿り着いた選出理由。もしかすると本来、無作為であったのかもしれない。そうなると、選んだのは誰なのか? コロナ禍で“命の選択”が迫られる状況だからこそ、何度も深く思考し、探りたくなる。
文:関口裕子
『グリーンランド ―地球最後の2日間―』は2021年6月4日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
『グリーンランド ―地球最後の2日間―』
突如現れた彗星の破片が隕石となり地球に衝突。平和な日常は一瞬で吹き飛んだ。各国の大都市が破壊され、更なる巨大隕石による世界崩壊まで残り48時間に迫る中、政府に選ばれた人々の避難が始まり、建築技師の能力を見込まれたジョン・ギャリティと、その妻、アリソンと息子のネイサンも避難所を目指して輸送機に駆けつけた。しかし、離陸直前にネイサンの持病により受け入れを拒否され、家族は離れ離れになってしまう。ジョンが必死で妻子を探す中、誘拐されて医療処置を必要としているネイサンの救出に走るアリソン。人々がパニックに陥って無法地帯と化していく状況と闘いながら、生き残る道を探すギャリティ一家は、やがて人間の善と悪を目の当たりにする……。
制作年: | 2020 |
---|---|
監督: | |
脚本: | |
音楽: | |
出演: |
2021年6月4日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開