松居監督&若葉竜也、ディープなものづくりトーク
高校時代の帰宅部仲間6人が、友人の結婚式に参加するために5年ぶりに集まった。披露宴の余興は盛大にスベり、落ち込んだりやら笑えるやら……。それにしても、みんな何にも変わっていない。空白の期間は一気に埋まって、あの日のようにふざける6人。だが、彼らは知っていた。大切な友人が、もうこの世にはいないことを――。
松居大悟監督が、自身が主宰する劇団「ゴジゲン」の同名舞台を映画化した『くれなずめ』(2021年5月12日公開)。成田凌、高良健吾、若葉竜也、浜野謙太、藤原季節、目次立樹といったバラエティ豊かなキャストがメインキャラクターの6人を演じ、現実と虚構の“狭間”のような不思議で温かい時間を松居監督と共に作り上げた。
今回は、松居監督と若葉の対談をセッティング。この2人ならば、オーソドックスな質問にとどめてはもったいない。もっとコアな話がしたい! ということで、「監督として、役者としてのスタンス」から、作品のクライマックスに用意された仕掛けについて、さらには「“わからなさ”を愛してほしい」というメッセージに至るまで、とことん聞いた。いまをときめく表現者たちのディープなものづくりトーク、ニヤニヤしながら楽しんでいただきたい。
※注意:記事後半にネタバレあり
自己主張が弱いのに、自意識が強い役者が好き
―松居監督はゴジゲンの公演『朱春』(2021年)や映画&ドラマ『バイプレイヤーズ』(2017年ほか)、若葉さんは『あの頃。』(2020年)や『街の上で』(2019年)、NHK連続テレビ小説『おちょやん』(2020~2021年)等々、大忙しですね。自分を見失ってしまうことはないですか?
松居:僕は「公開待機作がある」とか「現場に入る予定がある」ほうが、気が楽ですね。そういうものがない限り僕は何者でもないから、めちゃくちゃ暇だったり企画開発したり……のときのほうがしんどいです(苦笑)。
―今泉力哉監督との対談(「ピクトアップ」129号)の中で、企画開発の大変さを語っていらっしゃいましたね。
松居:10個立てて2個うまくいったらいいほうです。墓場まで行った企画がめちゃくちゃありますよ……(苦笑)。プロット(物語の要約)が通って、脚本まで書いても駄目な場合も多いです。
若葉:うわー……それは大変ですね。僕は松居さんの逆で、いつまでも休める人間です。基本的に働きたくない(笑)。逆に、「ちょっと休み過ぎだからそろそろ動かないと」という感覚ですね。自分を見失うような過剰な出方はしません。やっぱり、一個一個の質が下がってしまうんですよ。だから基本的には、複数の作品の撮影を同時にやる事はありません。
―そのスタンスは、活動初期からなのでしょうか。
若葉:そうですね。仕事ないときから作品を選んでました(笑)。
松居:(笑)。
―おふたりは、お互いの活躍ぶりをどうご覧になっていますか?
若葉:僕が十代の終わりごろから、とにかくよく名前を聞く人でしたね。ずっと撮り続けているイメージがありました。
松居:得体が知れないなぁと思っていましたね(笑)。忙しいのか、忙しくないのかもわからない。でも、面白いな、と思う映画に必ずと言っていいほど出ている(笑)。だけど「俺が出てるぞ!」って“若葉感”を出してこないんですよね。
若葉:隙間産業ですから……(笑)。というのは冗談で、自分が出たいと思う作品を選んで参加しているから、そう言ってもらえるとうれしいです。そもそも自分が「面白い!」と思う作品に参加しているから、それを共有できている感じがしますね。
―若葉さんは以前「自分が出演しなくても、面白い作品を世に出せればいい」とおっしゃっていましたね。
若葉:松居さんや自分の好きな監督たちに「この原作は面白いですよ」って勧めて、それが映画化されたら自分が出たときと同じくらいうれしいです。あんまり向いてないんですよ、役者に(笑)。
松居:自己主張が弱いんだ(笑)。
若葉:そうそう(笑)。「映画なんて出なければよかった、恥ずかしい……」と思う瞬間もいっぱいありますしね(笑)。
松居:でもスタンスとして、自分よりも作品を優先してくれる人が好きです。『くれなずめ』は、そういうメンバーの集まりでしたね。作品を優先してくれるけど、自意識は過剰、みたいな(笑)。
1回目と2回目で芝居が180度違う“リフレイン”のシーン
―『くれなずめ』のキャラクター自体も、自意識が強めな人たちが多いように思います。松居監督ご自身が、そういう人物をお好きなのでしょうか?
松居:いや、僕としては最高に愛されるキャラクターだと思って世に出したら、「自意識過剰」とかレビューを書かれてショックを受けることが多いです(笑)。完全に無自覚ですね。
―ただ、逆に『くれなずめ』の“リフレイン(繰り返し)”の仕掛けは、非常に自覚的に仕込まれています。
松居:そうですね。もともと、演劇の際に「セリフも動きも全部一緒で、芝居だけが違う」という演出で、気持ちをあぶり出せないかと考えたんですよ。演劇では舞台装置もなく、役者の肉体しかない状態で芝居を変えることの情報量の多さに、面白さを感じていました。
ただそれを映画にした際に、映画のロジック的にどうするかはカメラマンの高木風太さん含めて、かなり議論しましたね。たとえば、エキストラをどうするか。いないパターンも考えたんですが、チーフ助監督の山田一洋さんが「エキストラも美術も全部同じで、芝居だけが違うイメージです」と提案してくれて。
若葉:僕はああいった脚本を読むのは初めてだったし、すごく斬新だと思いました。でも、松居さんがやりたいことはすぐわかったんですよね。他のキャストもそうだったんじゃないかな。「どうなるかわからないけど、やりたいことはわかる」という感じで、みんなが見ている先が一つだった気がします。
―そうか、リフレインのシーンは、台本上ではセリフに変化がないですもんね。
松居:そう、コピペするだけでいいからめっちゃ楽でした(笑)。本番は6人に託すしかなかったけど、きっとリハーサルをするようなシーンじゃないから、信じて任せました。
若葉:リフレインのシーンで面白かったのは、1回目は吉尾(成田凌)が僕らの台詞にリアクションしてるのに対して、リフレインではほぼ何も話さない吉尾に対して僕らがリアクションになるんです。シーンの台詞は同じで、芝居が逆転しているのが面白いなと。
松居:確かに……! いいこと言ったね(笑)。
若葉:言えましたね(笑)。
―あと、松居監督の作品には「あとから大切に想う、何気ない瞬間」が印象的に描かれているように感じます。だからこそ、リフレインのシーンも映える。
松居:そうですね。とんでもなく大きい出来事よりも、何気ないことを思い出すよなと思って回想シーンは作っていきました。
言語化できない“わからなさ”をもっと楽しんでほしい
―若葉さんは役者として「居心地の悪さ」を大切にしているとおっしゃっていましたね。今回のように和気あいあいとした現場では、この部分はいかがでしたか?
若葉:居心地の悪さというのは、「役を100%理解した!」という思い込みや慣れによって、思考が止まってしまうことを避けるために心掛けているんです。いい緊張感がなくなってしまい、「これが正解でしょ」と簡単に思い込むようになってしまう。ただ僕は、「正しいかわからない」と思いながら役者が喋っているほうが健全だと思っています。だから、現場でワイワイ騒いではいましたが、ずっと不安な部分はあったし、残しておいたんですよね。
ひとりの脳味噌で作り上げたものを持って現場にいることって、ひどくつまらないと思うんです。ものづくりの現場にそういう状態でいることが失礼にも感じるし、であれば自分が思いもよらない作為的じゃないものが出たほうが面白い。映画は奇跡的な瞬間が撮れればそれでいいから、どんどん試していきたいですね。
松居:ああ、わかるなぁ。演出家って本来、“正解”を持っておくべきなんでしょうが、僕は現場でめちゃくちゃ悩みながらやるんです。でも、そのほうが良いものが生まれるように思います。昔は、絵コンテも演出プランもガチガチに決め込んで現場に行っていましたが、やっぱり行き詰まってしまうんですよね。
若葉:役を作りすぎちゃった役者みたいな感じですかね。背景を作りすぎて、がんじがらめになっちゃう(笑)。
松居:そうそう(笑)。
―余白を残すからこそ、自由な発想が生まれて、そこに面白さが宿るのですね。
松居:映画を観てくれた方に、「これがこうなってこうで面白かった」と言われるより「なんかよくわかんないけど面白かった」と言われる方が面白いんですよね。
若葉:うんうん。
―いまのお話を聞いて思ったのですが、「わからなさを愛する」という意識についてはいかがですか? 個人的には、ちょっと減ってきているように感じます。分かりやすさを求めがちといいますか、言語化したくなってしまいがちというか……。
若葉:役者でもそういう人は多くて、例えば「このシーンで泣く理由はなんですか?」と質問する人もいるんです。「理由がないと泣かない」という思考がちょっと上から目線すぎるかなと思いますね。
その人物が何十年も生きていて、色々な感情が表面張力みたいにギリギリの状態になっていたら、ちょっとしたことで涙がこぼれる瞬間もあると思うんですよ。そこに想像力を働かせないで、答えだけを見てロジカルに芝居をしようとする風潮には、すごく違和感はあります。
それは映画を観るときもそうで、泣いた理由なんてどうだっていいから、言語化できない、でも琴線に触れる瞬間を感じてほしいなと思います。
松居:SNSが流行って、言葉が上手になりすぎてみんな評論家みたいになってしまって。その方が吸収しやすいのかもしれないけど、そんなに整理しすぎなくていいんじゃないかなとは思います。もちろん、作品の魅力を他の方に伝えてほしくはあるから、矛盾してはいますが……。おっしゃる通り、もう少し「わからない」を楽しんでもらえたらな、という感覚はありますね。
くだらない部分にこそ、真実がある
―『くれなずめ』でいうと「くだらなさ」もすごく大切にされていますよね。
松居:くだらなさって、映画を作ったり物語を作っていったりするときに、まず削がれるところですよね。「要素がぼやけちゃう」とか言って。でも、本筋のストーリーラインからすると余計な、くだらない部分にこそ真実が宿ると思うんです。ただ、割と下ネタにしてしまうことだけ反省かな……。
若葉:(笑)。松居さんの作品を観ていて、他愛無い会話をしているだけのシーンで、なぜだかわからないけど泣きそうになるんですよ。どこに琴線が触れたのか、自分でもわかっていない。赤塚不二夫さんの漫画も、馬鹿なことやくだらないやり取りの中に急に“真理”が入ってくるところがあって、その瞬間の空気感がすごく好きですね。
松居:めっちゃうれしい……。赤塚さんの作品って、油断しているところに刺してくるからすごく響くんですよね。いやぁ、うれしいなぁ。
実は『くれなずめ』も、最初30分は意図的にちゃんと侮らせて、そこから刺しに行こうと考えて作っています。ただその辺りに関しては、あくまでこっそり僕が持っていただけで、キャストとは話していないですね。話さなくても、わかってもらえていたから。それがやっぱり、今回ものすごく大きかったです。
取材・文:SYO
『くれなずめ』は2021年5月12日(水)から、テアトル新宿ほかにて公開
『くれなずめ』
優柔不断だが心優しい吉尾、劇団を主宰する欽一と役者の明石、既婚者となったソース、会社員で後輩気質の大成、唯一地元に残ってネジ工場で働くネジ、高校時代の帰宅部仲間がアラサーを迎えた今、久しぶりに友人の結婚式で再会した!
満を辞して用意した余興は、かつて文化祭で披露した赤フンダンス。赤いフンドシ一丁で踊る。恥ずかしい。でも新郎新婦のために一世一代のダンスを踊ってみせよう!!
そして迎えた披露宴。……終わった……だだスベりで終わった。こんな気持ちのまま、二次会までは3時間。長い、長すぎる。そして誰からともなく、学生時代に思いをはせる。でも思い出すのは、しょーもないことばかり。
「それにしても吉尾、お前ほんとに変わってねーよな。なんでそんなに変わらねーんだ? まいっか、どうでも」
そう、僕らは認めなかった、ある日突然、友人が死んだことを─。
制作年: | 2021 |
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監督: | |
出演: |
2021年5月12日(水)から、テアトル新宿ほかにて公開