アジア系女性監督として初のオスカー戴冠なるか?
2021年の第93回アカデミー賞で、作品賞などいくつもの受賞が期待される『ノマドランド』。なかでも有力視されているのが、クロエ・ジャオの監督賞だ。もし受賞すれば、女性監督としては、2009年度のキャスリン・ビグロー(『ハート・ロッカー』)以来、史上2人目。そしてアジア系ということでは、2005年度と2012年度で2度受賞のアン・リー(『ブロークバック・マウンテン』『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』)、そして2019年度のポン・ジュノ(『パラサイト 半地下の家族』)に続き、3人目となる。
「アジア系」「女性」と、まさにハリウッドが追求するダイバーシティ(多様性)を象徴する、中国生まれのクロエ・ジャオは、今回の『ノマドランド』で彗星のごとく現れたような印象もあるが、その前作で、2017年に撮った『ザ・ライダー』(Amazon Prime Videoほか配信中)で、すでに類まれな手腕が高く評価されていた。
『ザ・ライダー』は、第33回インディペンデント・スピリット・アワードで作品賞や監督賞などにノミネートされ、やはりインディーズ作品を対象にしたゴッサム賞(第28回)で作品賞を受賞。さらに第53回全米映画批評家協会賞で頂点の作品賞に輝き、第70回カンヌ国際映画祭では監督週間で上映されて芸術映画賞を受賞……と、錚々たるノミネート、受賞を果たし、バラク・オバマ元アメリカ大統領も、その年のお気に入り作品にリストアップ。アカデミー賞でも何らかの部門でノミネートが予想されていた。残念ながらその予想は外れたが、次の『ノマドランド』へのステップとなったのは明らかだ。
では、この『ザ・ライダー』は、作品としてどんな魅力を放っているのか? クロエ・ジャオの映画作家としての方向性や個性が、はっきりと、そして美しく刻印されているのは間違いない。
演者たち個々の真実が演技に宿った、奇跡の瞬間
『ザ・ライダー』は、アメリカ中西部のサウスダコタを舞台に、ロデオライダーを生業(なりわい)とするカウボーイが落馬事故で頭部に重傷を負い、再起を絶たれてしまう物語。ロデオの世界で活躍していたブレイディ・ジャンドローという青年の、実際の体験が基になっている。当初、別の映画のためにリサーチを行なっていたクロエ・ジャオは、ジャンドローと出会った後に彼が事故に遭ったことを知る。そして彼の物語を自分で撮ろうと決意したのだ。
驚くのはここからで、クロエ・ジャオの選択は、ジャンドロー自身に主人公を演じさせたこと。役の苗字こそブラックバーンと映画用に変えられているが、ファーストネームは同じブレイディ。演技経験などもちろん皆無の彼に、自分自身が経験した過酷な運命を再現させたのである。さらに信じがたいことに、ブレイディの家族や、落馬の後遺症に苦しむロデオスターら周囲の人たちも当人に演じさせている。中でもブレイディの自閉症の妹の演技は本作の重要ポイントとなったが、プロの俳優も顔負けのリアリティで、彼女は観る者の心をわしづかみする。自身の経験を再現するという、簡単そうでハードルの高い作業を、クロエ・ジャオ監督が的確に導いたと言える。
このように、登場人物を俳優ではない当事者に演じさせるスタイルは、クリント・イーストウッド監督も『15時17分、パリ行き』(2018年)で試みていた。2015年、アムステルダムからパリへ向かう特急列車で起こったテロ事件を映画化するにあたり、犯人に立ち向かったアメリカ人旅行者の3人を、演技未経験の本人たちに任せたのだ。しかし『15時17分〜』と大きく違うのは、『ザ・ライダー』が繊細な感情表現まで引き出している点ではないか。とくに、実際に長い年月をかけて馬との関係を築いてきたジャンドローが、馬に触れ、心を通じ合わせるシーンは、当事者ゆえの真実が演技に宿った、奇跡の瞬間になっている。
クロエ・ジャオは、この『ザ・ライダー』の前の長編デビュー作『Songs My Brothers Taught Me(原題)』(2015年)でも、すでに同じ手法を使っている。サウスダコタのインディアン居留地で、ネイティヴ・アメリカンの家族を描いた同作は、ほぼすべてのキャストを現地で生活する演技未経験の人々に演じさせ、主演を任されたジョン・レディが実際に生活する家で撮影を行った。父親ら家族の多くも、レディの実の家族によって演じられている。「当事者に演じさせる」ことは、クロエ・ジャオの作家としての志向であり、『ノマドランド』で実際のノマド(移動生活者)たちに本人役を演じさせたことは、当然の流れだったわけだ。
ちなみに『ザ・ライダー』で主演を務めたブレイディ・ジャンドローは、その後、俳優の仕事を一切していない。もちろん家族や周囲の人たちも同様だ。そしてクロエ・ジャオ監督のもうひとつの特色である、アメリカ原風景の映像美も、この『ザ・ライダー』で確立された。
スケジュールの縛りが生んだ「マジックアワー」の映像美
じつは『ザ・ライダー』は、主演のブレイディ・ジャンドローが日中は馬の調教師の仕事をしているため、撮影が夕暮れ時に限定されたりもした。そこで効果的となったのが、「マジックアワー」の映像。マジックアワーとは、日没前や日の出の直後などの薄暮の時間のことで、映画や写真で思わぬ幻想的な雰囲気を漂わせるため、「魔法の時間」と呼ばれる。ジャンドローのスケジュールの都合だったとはいえ、この薄暮の美しさがサウスダコタの自然と見事な化学反応をみせ、登場人物の心情をエモーショナルに伝えることに成功した。
このように『ザ・ライダー』は撮影も高く評価されたが、撮影監督を務めたジョシュア・ジェームズ・リチャーズは、クロエ・ジャオの私生活のパートナーでもあり、『Songs My Brothers Taught Me』と『ノマドランド』でも組んでいる。『ノマドランド』でも、アメリカ中西部をとらえた映像が魅惑的だが、照明などを駆使し、テクニックが冴えわたったとも評価されている。一方で、製作費が極端に少なかった『ザ・ライダー』は、そこまで時間や機材に自由がなかったにもかかわらず、偶然によって美しさが宿った印象。どこか「原石」の魅力を実感できるのだ。それはクロエ・ジャオと撮影監督の才能だけでなく、これまで数えきれない名作で描かれてきた、「馬と人間」が一体となる美しさも要因だろう。
当事者たちが体現する奇跡の人間ドラマと、マジックアワーにとけこむ馬と人の映像美。世界を代表する監督になりつつあるクロエ・ジャオの原点を、いま改めて確認してほしい。
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文:斉藤博昭
『ザ・ライダー』はAmazon Prime Videoほか配信中
『ザ・ライダー』
アメリカ中部、事故で頭部に大けがを負ったカウボーイ。身体をむしばむ後遺症の恐怖と捨てきれないロデオ復帰への思いの狭間でもがきながら、新たなアイデンティティ、そして生きることの意味を見つけるまでの物語。
制作年: | 2017 |
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監督: | |
出演: |
Amazon Prime Videoほか配信中